生まれて初めて、「チーズフォンデュ」を食べた。
前々から興味はあったのだけれど、胃弱の身にはチーズをふんだんに使用した料理というものは果たしていかがなものかと毎回発注を臆してしまっていた。
しかし、昨日はついに発注した。
いつかは越えなければならない壁を、今日越えようと決心した。
相方と連れ立っていつものお店に入り、運ばれてきた水を少しなめて口のすべりを良くする。
発注を円滑に進めるための準備を怠りはなかった。
店員のお姉さんは、いつものようにメニューを運んできて、「季節限定」のページを開いて去ってゆく。
もうすっかり春なので、チーズフォンデュは終わってしまっているかも知れないいうかすかな危惧は、見開きのページに描かれたナベの中で溶けるチーズのイラストがさらって行った。
相方と、チーズフォンデュの他に何を頼むか検討し、程なく「地鶏の香草焼き」に決定。
振り返りざまに店員のお姉さんに向けて正確に
「注文お願いします光線」
を発射。
お姉さんは駆け寄ってきて、「注文とりますのか構え」を作った。
何故か少し照れながら、鼻息荒く
「チーズフォンデュ!普通の!」
と、ぎこちない発言を浴びせかける。
お姉さんはすこし困りながら、
「チーズフォンデュのプレーンですね?」
と繰り返し聞く。
「プレーン=普通の」である。
ウム。
同じことだ。
力強くうなづきながら、
「ハイ。普通の!」
と、少しだけ我を通した。
かくしてチーズフォンデュとの邂逅の舞台は整った。
もう後には引けない。
この興奮を相方に伝えようと言葉を探していたら、
「ちょっとゴメンね。」
と言い残して携帯電話を持って席を外した。
いくつか用意した言葉をため息と一緒に放り捨て、さっさと考え事の世界に入り込む私。
ほどなく、ナプキンやお手拭とともに、食事の道具が運ばれてきた。
スプーンにナイフにフォークに・・・銛(もり)??
二股にわかれ、とがった先端に返しのついた物騒な道具を発見する。
(これは、チーズフォンデュ用の「銛」か!)
まるで、歯の治療の時に、いつもと違う道具を発見した時のような緊張と不安が湧き起こった。
食事の道具で、「返し」のついたものというのはあまり見たことが無い。
私の中に、「チーズフォンデュは物騒な料理」というイメージが強烈に刻み込まれた。
しばらく戻ってこなかった相方がヒョコヒョコ戻ってきて、すぐにチーズフォンデュセットがテーブルの上に展開された。
磁器製の小さなナベの中にはクタクタと沸騰するチーズ。
大きなナベには、細かく刻まれたフランスパン、フカフカにふかされたジャガイモ、赤ピーマン、ゆがいたブロッコリー、それらに護られるような格好で、真ん中の別皿に鶏肉が鎮座ましましている。
店員のお姉さんの指示通り、頃合いを見計らいチーズをかき混ぜ、こなし、さっそく物騒な銛を獲物(パン)に突き立て、煮えたぎるチーズに浸して食べた。
チーズフォンデュはいちいち残忍な方法をとることになる料理だけれど、とっても美味しかった。
アッサリした味わいのチーズにはハーブがふんだんに混入されており、口に中に入れるとまずハーブの香りが鼻関係を確保し、つづいてチーズの味わいが舌関係を占拠する。
そして、最後に核を成す具が、歯関係をカバーするのだ。
見事なまでの連携。
あっという間に、私の味覚関係はチーズフォンデュ部隊によって鎮圧された。
チーズフォンデュは、「物騒な美味しさ」と言える。
チーズフォンデュは物騒だけれど、物騒だけに「ウマ楽しい」。
大皿に盛られた色とりどりの具を、次々に突き刺し、思うさま浸し、ほしいまま食べる。
子供の頃の、無垢な残忍さを引っ張り出される。
その興奮状態は、大人になって身に付けた「計画性」を崩壊させ、やがて空になったチーズのナベと、具の残った大皿が取り残されたことに気づく。
そこで初めて、人は「ハシャギ過ぎた。」という事実に愕然とする。
チーズフォンデュは、危険極まりない料理と言える。