翼をください。

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急ぐ気持ちのあまり、
「飛んでゆきたい」
という潜在的意識が脚方面に発露したのだろうか…。

見た目には非常に可愛いのだが、
反面、身もだえするほどもどかしい走法ではある。

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気持ちの消耗

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メシ屋さんに入って座敷に陣取り、
相方がやたら神妙な表情で

「トシさん…」

と切り出してきたため、
一体何事かと緊張したところ、
どうしても早く出さないといけないメールがあるので、
打ってもいいかな…という話だった。

もちろん、
相方はこんなふうにメールを出すことはまず無いので、
よほど急いでいるのだろうと承諾したのですが…
 
 
 
あれは事情が分かっていても、
なかなかにキツイものですね。

なんつーか、
「気持ちが消耗する」感じ。
 
 
 
打ち終えた相方も、ぐったりしながら

「…やっぱしこういうメールはよくないね…。」

と言っていた。
 
 
 
相手のことが見えていれば、
打つほうも、打たれるほうも非常に消耗すると言うことが分かった。

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オーバー・ザ・ハンガー

先日、物議を醸した相方の友人の「あたまハンガー」
なんでも、頭部にハンガーを装着することにより
無意識下、一方に首が引きつってしまうのだそうだ。

そのことにハゲシク興味を引かれた私は、
さっそく自分の肉体を用い、検証することにした。

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たしかに、アタマは動いた。
何度まっすぐ調整しても、文字通り、
左方向に引っ張られるのである。

左右どちらに引っ張られるかは、
男のそれと同じように人それぞれ違うのかもしれないが、
私は左曲がりだった。
 
 
 
一体、どのような作用が働いて
そのような現象が起こるのかは分からないが、
どういうわけか楽しい気分になってくる。

ハンガーに頸部を絞められていることも忘れ、
唇を紫に染め上げながら高らかに笑った。
 
 
 

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その時である。
酸欠、チアノーゼが私の中に、ある「違和感」をもたらした。

(何故…どうして、左なんだ…?)

「人それぞれのクセ」
として危うく片付けそうになってしまった己に、
思考の烈鞭が飛んだ。

「何故、どうして左なのか…!?」

手にしていたハンガーに目をやり、
再び驚愕に目を見張る。

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それは、ともすれば不意に見逃してしまうようなもの…
意識の死角…
思考の分岐点…!

ハンガー…!
「ある」…!

左右の何かを分ける「それ」が、
ハンガーにはある…!

そのヒントは、ハンガーの形状…!
ハンガーというものには、「左右」の概念はない。

あるのは「上下」だけ…!
しかし、使用する方法から、いつの間にか俺たちは、
ハンガーの上下を決めつけちまっていたんだ…!

だから、頭にはめるときだって、
当たり前のように引っ掛けるところを上にして挟んじまう…!

ダメ…!
そんなだから俺たちはいつも、
「食い物」にされちまうんだ…!

「枠」を捨てろ…!
「既成概念」を飛び越え、
「先入観」を打ち砕き、
「常識」の向こうへ漕ぎ出せ…!

私は、ハンガーを再びこじ開けた。
天と地を逆転させながら…!

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かくして、「あたまハンガー」に対する仮説は、
確信へと姿を変えた。

ひょっとすると私は、
人体とハンガーの密接なる神秘を
垣間見てしまったのかも知れない。
 
それは開けてはいけないパンドラの箱。
暴いてはいけない禁忌。
 
しかし私は信じたい。
すべての絶望を解き放ったその後に、

ほの光る一片の「希望」という名の意思があることを。

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破壊的キャミソール

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「キャミソールの色気は、露出面積に反比例する」

ということを以前描きましたが、
シャツの下に着用されているキャミソールというものは、
また格別にスタイリッシュ&セクスイ~なものである。

そもそも、キャミソールというものが

「これは見せる下着なのだ。」

という出所不明の大号令によって、
なかば強引に世間に認知されたものなのだから、
平坦な目で見ればそれは下着ということに変わらないわけで、
何かの下に着られていれば本来の「下着」のたたずまいを十全に発揮するのだから、当然といえば当然のことなのでしょうね。
 
 
 
「見せてもいいんだ!」

と開き直られると価値をなくすキャミソール。
隠すと価値が上がるキャミソール。
 
その不可解な差は、

「水着着用時に靴下を履くと下着に見える。」

という目の錯覚に相通ずるものがあるような気がしてならない。

キャミソールのある日本に生まれてよかったと、
嬉しくて仕方がない今日この頃。

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テーブルの吸引力

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普段、私は自室にテーブルを置かないようにしている。

部屋がさほど広くないため、
テーブルを置いてしまうと大変邪魔になるという理由も大きいのだけれど、
最たる理由は別にあった。
 
 
 
つい先日。
書類や手紙を書くのに、手ごろな台が見当たらなかったため、
部屋の片隅に立てかけておいたテーブルを引っ張りだしてきて、
ついうっかり片付かないままでかけてしまったのだった。
 
 
 
そして、その日の夜。
そろそろ寝ようかという段になって、私は愕然とした。

今日の昼間に出したばかりのテーブルの上に、すでにモノが山積していたのだ。

本に湯飲みにラジオ、紙くずになぜか鉄アレイまでがテーブルの上に累々と横たわっている。

この部屋に入るのは、もちろん私だけであり、
これらのモノを置いたのも、当然すべて自分だということになる。

なるほどよく記憶を手繰ってみれば、たしかに自分が置いたものばかりだ。

その時、ようやく己の不覚に気づいた。

そうだ。
自分がテーブルを出さなかったのは、知らぬ間にテーブル上にモノがうず高く詰まれてゆき、ついに臨界点を突破したそれらが引き起こす、凄惨かつやり場のない憤りを孕む事故を未然に防ぐためだったのだ。
  
 
 
テーブルという存在が、モノを置くために生まれたものである以上、その標高、面積、たたずまいは、モノを置かれるべく計算しつくされている。

しかしその目的は、人間の怠惰あるいは横着、または一時保留という抗いがたい負の感情とあいまって、強大な吸引力を発揮してしまうことになるのだ。

ただ、そこにあるだけで、
モノを吸着してゆくテーブル。

『テーブルの吸引力』

に私は戦慄による悪寒を禁じえず、すぐさま再び
テーブルを部屋の片隅に立てかけ追いやったのだった。

テーブル、恐るべし。

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不可解な評価

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姉にしろ相方にしろ、人の冗談で笑っておきながら、そのあとに必ず

「つまんない」
だの、

「くだらない」
だの言うのはどういうことなのか。

あまりに毎回言われるものだから、もしかしたら本当に自分のギャグはくだらなくてつまらないのかと悩んだ時期もあったけれど、彼女らはきっと素直さを少女時代に置き忘れてきてしまって、気持ちと裏腹な言葉しかしゃべれなくなってしまったのだろう。

そう考えたら、とてもすんなり納得できた。

だから、これからも冗談を言い続けてゆこうと思う。

今日もわたしは元気です。



追記:
記事を描いてからしばらくして気付いたんだけど、4コマのタイトルの「評価」のじが間違ってた。
まあ、これはこれで面白いのでバンソコ貼っときます。

ちょっと漢字ドリルとかで勉強した方がいいな。
俺。

あっはっははははは!

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落札通知

先日、メールチェックをしていると、受信トレイに奇妙な件名が混じっていた。

送信者は上田友子という人で、
件名は「Re:落札通知」だという。

これは、よく来る怪しい広告メールだろうなあ・・とは思ったのだが、「Re:落札通知」という件名が、削除キーを押す指をためらわせた。

というのも、私の身内でネットオークションによく出品する人がいる。

その人が、よく「今日は落札のメールがどうの」とかいう話をしていて、それを小耳にはさんでいたため、もしかするとひょっとして、その落札の通知メールが何らかの手違いで私のメールサーバに来てしまったのかもしれない・・。

だとしたら、このメールを転送してやらないとならんだろう。
と考えたのである。
 
 
 
そんなわけで、「Re:落札通知」と題されたメールにポインタを合わせ、訝しみながらもダブルクリックで開封する私。
すると、そのメールにはこんな文面がつづられていた。

~~~~~~~~~~

この度、あなた様を女性会員にセリをさせて頂きました。
その結果、聡美さんが142万円であなた様を落札致しましたのでご連絡する運びとなりました。
あなた様はVIP会員(無料にて近隣女性にプロフ紹介)とさせて頂き、無料ポイント進呈致します。会員画面にてご確認下さい。

~~~~~~~~~~

 
 
 
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自分でもまったく身に覚えのないところで競売にかけられ、しかも142万円という高いんだか安いんだか計り知れない価格で落札されたという衝撃の展開に、狼狽を通り越して大爆笑を禁じ得ない私。

一体、聡美さんとは何者なのか、いや、そもそもその競りはいくらから始まり、どういった経緯で142万円というプライスが確定したのか、そして、落札された以上、私は聡美さんの所有になったということになるはずなのだが、法的に見てこれは不貞行為にあたるのだろうか・・・。

私と相方の間に、競売というユニークかつ独創的な方法で割り込んできた聡美さんの関係が、これからどんな展開を見せるのか・・・。

愛と金が渦巻く三角関係は、

「絆はプライスレス」

というキレイゴトをちり紙のごとく打ち捨て、全否定した。

器用貧乏&甲斐性ナシを巡る二人の女。
禁断のラブオークションは、始まったばかりなのである。

果たして、聡美さん(32)とはどういったセレブなのか!?
相方の出方は!?
落札された私の運命や如何に!?

待て、次号!!!
(ウソ)

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何を読み取っているのだろうか・・。

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どんな店に立ち寄っても、相方は陳列されている品物をとにかく手に取り、触って回るのだが、アレは触覚から何かを読み取っている事は間違いないと思われるのだが、一体何を読み取っているのだろうか・・。

・・気になる。

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病魔と踊ろう

先日、母が珍しく風邪を引いた。

寝込むほどのものではないが、一日中コホコホとセキをして、鼻水をジルジル鳴らしている。
その様子を見た周りの人間は心配から、

「大丈夫?今日は早めに休んだ方がいいよ。」

と言っていた。
 
 
 
その日の夕方のこと。

工房にいた私のところに母がやってきて、こう言ったのである。

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「風邪を引いているから映画に行く」。

どう考えても、理由と行動に一貫性が無い。

「風邪引いてるんなら、早く休んだ方がいいんじゃないの?」

と、当然聞いてみた。
すると、こういう返答が帰ってきたのである。

「いや、今日は1,000円で映画が観られる日だからさあ。」

(あ、そうか、今日は月曜日だったなあ。)

毎週月曜日は女性に限り1,000円で映画が観られる。
思わず納得しそうになってしまうところで危うく踏みとどまった。

「いやいや、毎週あるんだから、わざわざ風邪引いている日に行かなくたって・・。」

「いいんだよ。お母さんは今日行きたいの。」

と言い捨てて、さっさと出かけてしまったのだった。
 
 
 
 
 
それから数日後。

相方と逢った私は、その時の話を聞かせた。

「・・・だってよ。なんでわざわざ風邪引いてるときに出かけたがるのかねえ?」

相方は笑いながらコクリと軽くうなづいた。

「いや、私も風邪引いたりすると出かけたくなるよ。」

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「だーいじょうぶだって。足元がフワフワして、楽しいんだ、コレが。」

「・・・。」

風邪を引くと気分が高揚し、どこかへ出かけたくなる母。

そして、
風邪を引いたことによる体の変調を楽しむ相方。

この二人に、よく似通った何かを見出したことは言うまでもない。

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楽器ケースの魔力

先日のこと。

相方が所属するバンドの練習の前にご飯でも食べようということになり、クルマで迎えに行った。
約束の時間に現れた相方。
その手には、当然、自分の楽器が入ったケースが握られていた。

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相方が楽器を弾くことは知っていたけれど、実際に楽器を持ち歩いているのを見るのは初めてである。
いつもと違う雰囲気に、感動の色を隠し切れなかった。
 
 
 
楽器ケースを持ち歩く人というのは、何故、あんなにもカッコよく見えるのだろうか。

それはおそらく、楽器を所持するという行為が、外観が、

「タダモノではない感」

を演出するからではないかと思われる。

どんな凡庸な格好をしていても、器量が多少まずくても、楽器を持っているというそれだけで、

(コイツ、実はすごいヤツなんじゃないか・・・)

という警戒心が生まれる。
知らず知らずのうちに、

「所持=弾きこなせる」

という先入観を持ってしまうのである。
(大半の方は、弾けるから持っているのでしょうがね。)

 
 
相方は楽器ケース以外にも、いつものバッグを持っていて、両手に荷物という状態になっていた。
歩くのが大変そうだったので、

「どっちか持とうか?」

と持ちかけたところ、

「あ、そう?悪いねえ。」

と言って、迷わず楽器の方をよこしてきた。

落とさないように、慎重に受け取る私。
楽器ケースは、ハードケースタイプで、黒い皮のような加工、フチに銀色の止め金具が施されている。
ひと目で「何かしらの管楽器である」ということが分かる見てくれである。

中に入っているのはコルネット(短めのトランペットのようなもの)という楽器だ。
 
 
 

図らずもそれを持ち歩くことになった私。
そこで分かったのですが、楽器ケースを持ち歩くというのは、とても気分のいいものですね。
 
何故ならば、楽器を持ち歩いている以上、周囲の人間の目には

「楽器が弾ける人」

として映るはずだからである。

わざわざ呼び止めて、

「アナタ、その楽器弾けるのですか?」

と聞く人はいない。
万が一出くわしたとしたら、騒がれる前に当身を食らわせ、無力化しなければなるまい。

楽器ケースを持ち、なおかつ音を出さない限りは、私は世間から

「楽器が弾きこなせる人」

と思われているに違いないのだ。
 
 
 
楽器ケースを持っている自分の姿がガラス窓に映るのを見ると、嬉しい。

「タダモノではない感」

を発揮してしまっているような気がしてくる。
周囲の人の目が、

「楽器所持=弾きこなせる」
という先入観の公式どおり当てはまり、

「あ、あの人楽器を弾く人なんだ。」

という、確固たる分類をいただく安堵感と、

「あの人は音楽に表現の領域を持っているんだ。」

という尊敬の色さえ帯びているような気がしてくるのである。
そういう思い込みというか、勘違いというか、優越を感じてしまったのですね。

照れ嬉しかったのですね。
 

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残念ながら、コルネットなど触ったことも無い私では、「コスプレ」の域を出ないのだけれど、
楽器ケースを所持することから生まれる高揚感は、今までの自分には無かった新鮮さを見出すに十分であった。
 
 
この快感をもっと味わうためにも、これから外出する時は、常にギターケースを背中に背負ってみようかと考えている。

つまり、

「張り子のギター」である。

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