「作り手」と「喜び手」と。

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先日(といってもだいぶ経ってしまいましたが)、
クリスマスの時、相方にプレゼントした指輪を、
(過去ログ『昇格プレゼント』参照)
製造元に送ってサイズ直ししていただいた。
(過去ログ『彼女は知らない』参照)

そのお店は、名古屋にある。
相方がまだ名古屋にいた頃、
よく立ち寄っていたお店で、
とても気のいい若い職人さんたちが、
とても真面目に宝飾品を作っているお店なのだと、
よく話を聞かされていた。

そこで、
相方に初めて贈る指輪は、
やはりこちらのものだろう。

ということで、
インターネットで調べ、
指輪を発注したのだった。
 
 
 
サイズ直しの依頼メールを打って、
まもなく返信が来た。

なんと無料で直してくれるという。

普通の宝飾店がどうなのかは分からないのですが、
サイズ直しというのはおそらく、
それなりに手間と時間のかかるものだと思うし、
当然、幾ばくかの料金は発生するものだと思っていた。

しかし、そのお店は無料。
その上、お買い上げの品物は、
永久的にクリーニングも無料。
(もちろん、送料はかかります。)
これにはちょっと驚いた。

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パソコンから書類を一枚出すのだって200円も取るような、
自分のお金を機械で引き出すのにも105円を取るような、
そんなご時世に、
無料で結構だという。

職人の、品物に対する飾り気の無い、
けれど温かい愛情と意地に感じ入る私。
 
 
そして、その返信メールの最後に、
担当のIさんから、一言追伸が添えられている。

「ブログを拝見しました。当店の品物がずいぶんと『昇格』したようで、嬉しいです。」
(要約してあります。)

どうも、私的なメールに添付する署名にあったアドレスから
たまたまウチのブログを覗いていただいたようだった。

ちょうどその時、
『昇格プレゼント』
を描いたばかりの頃で、
どういういきさつでこのメールが来たのか、
よく分かっていただけたらしい。

まったく、ブログというものは奇妙な縁を連れてくる。
しかも、奇妙な縁はこれだけにとどまらなかった。

何度かサイズ直しについてのメールをやり取りしているうちに、
Iさんから熱のこもったメールが送られてきた。

こちらも、メールの文面をそのままというのはアレなので、
口語体で要約します。

~~~~~~~~~~~~~~~

トシさんのブログを拝見していて、驚きました!
相方さんからもらったという、あの

『CHAIN LUCK DOWN』

のリングは、私の作ったシリーズなのです!

大感激のあまり、画面が曇って見えません!
(一部、表現に若干の誇張があります。)

~~~~~~~~~~~~~~~

…うわ~~~~…。

あまりのことに、おそらくIさんと同じくらい、
画面の前でトリハダ立ち、涙ぐむ私。

なんと、
相方と付き合って間もない頃、
彼女からもらったペアリング(過去ログ『ツナガリ』参照)
を作った人が、このIさんだったのだ。

その縁にも感動しましたし、
そんな過去の記事まで遡って読んでくださったというのも大感激でした。
 
 
 
ものを作るということの本質は、
『作り手』と、『喜び手』を生み出すことだと思う。

ほとんどの場合、
『喜び手』の表現方法はオカネであるのだけれど、

今回のように、
稀に、ちょっとした奇跡として、
『作り手』と『喜び手』がお互いに直接繋がりあうことがあるのだと、
心のお腹いっぱいを覚え、
とても感動したのでした。
 
 
 
というわけで、
サイズ直しとクリーニングのお礼と言っては何ですが、
微力ながら宣伝させていただきたいと思います。
 
 
ステキジュエリーのお店
「タピルス」

名古屋にお店があります。
値段もお手ごろで、ネットショップもあります。
とっても良い職人さんたちのお店ですので、
宝飾関連でご用の際は、是非どうぞ。

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ツメはがれてグッジョブあり。

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禍福とは糾える縄の如し。

逆に言えばすなわち、ツメがはがれたことなんて、
湯船に浮かぶグッジョブ程度のものなのだ。

そう思えば、多少深爪になったことだって瑣末なことなのだ。

そうに決まってるのだ。

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輪型揚げ菓子

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我が家の近くにある大型ホームセンター。
ここには毎週土日になると正面出入り口に某全国チェーンドーナツ屋さんが臨時店舗を出す。

どろどろと行き交う購買客の傍らで、テーブルの上にロゴ入りの布をかぶせ、長方形の箱がつみあげられていて、その中にはあらかじめ数個のドーナツが色とりどりに整列している。
 
 
 
服にまとわり付つくような小雨がさざめく土曜日。
私は、某全国チェーン輪型揚げ菓子臨時店舗に目を奪われていた。
目的はもちろん、ドーナツ…ではなく、売り子のお姉さんだ。

不思議なことに、その巨大ホームセンターにでる揚げ菓子店の売り子さんというのは、毎回ことごとく可愛い娘なのである。

おそらく、バイトの面接時には厳しい書類審査などがあるに違いない。
その中でも、トップグループに位置する女性だけがこの臨時店舗を任されるという名誉に授かるのだ。

売り子の座を獲得するがために、店内では今日も水面下で蝶と蝶による華麗で激しい女の戦いが繰り広げられているはずだ。
 
 
 
毎回見ていて不思議なのだけれど、この場で売り子をする女性は皆、決まってポニーテールにしている。
おそらく規則で決まっているのかも知れないが、もしかすると自発的に結っているのかも知れない。

それほど、某全国チェーン輪型揚げ菓子店揚げ菓子ユニフォームにはポニーテールがよく映える。

ユニフォームとポニーテールが互いを引き立てあっている。

機能性と見た目のよさが、絶妙な調和をかもし、奇跡の融合を交わしている。
色合いも「参りました。」と言うほかない。

機能的で合理性に富み、清潔感に溢れている。
活発でまめまめしい印象を強烈に植え付けられる。
 
 
 
某全国チェーン輪型揚げ菓子店と、ポニーテールの連携はグッジョブである。

小学生時分のように、あのポニーテールを引っ張ってその娘の気を引きたいところではあるが、今やれば間違いなく変質者であり、手が後ろに回ることは疑いなく、ローカルニュースでパトカーの後部座席に乗せられる瞬間一時停止する私の映像を相方が見て、

「最近こういう人多いなあ…。」

と、まるで他人のようにつぶやかれる様がありありと目に浮かぶので、遠くより鑑賞するだけにとどめておこうと思った。

大人になるってのは、不自由なことだ。
と、寂しくなったことはいうまでもない。

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影の主役

夏といえば、女性のキャミソール姿が眩しい季節。

あらわになった肩口や、開放的な肩甲骨周辺は、女性の造形の美しさを引き立たせ、思わず見とれてしまう魔力がある。

がしかし、

それだけではやや風情に欠けるというのもまた事実ではないだろうか。

実のところ私は、露出の多いキャミソール単体よりも、その上にカーディガンを羽織ったコーディネートの方が好きだったりする。

このコンビネーションには、「重ね着を楽しむ」という日本独特の服飾文化が色濃く受け継がれている気がしてならない。

以前、この話を相方としていた時、

「重ね着を楽しむ日本の文化は、十二単の時代から始まっているのよ…!」

と拳を振るわせつつ言い放った彼女の一言は、名言であると私は信じている。
 
 
 
この連携の一番の見せ場は、なんと言っても「肩ひも」ではないだろうか。
なんらかの作用が働き、ほんの一瞬だけはだけたカーディガンの下、垣間見える肩ひもは、なにか

「見てはいけないもの」

を見てしまったような背徳感がある。
いや、お得にも感じられるから、「背得感」と言えるかもしれない。

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新婚家庭的グッジョブだ。

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服屋さんにて。
品物を物色しながら、店内で夢中で服を選んでいるお客さんを観察するのは、私の日常の楽しみの一つである。

中でも見どころとして挙げられるのは、ここだろう。
 
 
  
それは、(妙齢の)女性客が、何かしらの琴線に触れた衣服を手に取った時のこと。
ためつすがめつしながら、色、柄、肌触りなどが、自らの趣味趣向に合致するかを慎重に検討している。

そして、熟考の結果、

「今回は見送りという方向で・・。」

ということになり、その品物を棚に戻す時に発生する。

すこし背筋を反らせてアゴを引き、手を目いっぱいひきつけ、胸の上に軽く服を乗せるようにしてたたむ。
そして、全体にたわんだそれを、軽くピッピッと張りなおし、そっと棚に戻す。

コレだ。
その仕草に、たまらない趣きを感じてしまう。

チロっという上目遣いもズルイ。
見た目のインパクトもさることながら、
 
思いがけないところでふと香る、家庭的な空気。
垣間見える日常的魅力が相乗効果となり、

衣服をたたむ女性の姿は、思わず後ろから抱きすくめたくなるような破壊力を発揮する。

つまり、新婚家庭的グッジョブだ。
 
 
 
服屋さんの店内には数多のグッジョブがあるが、いたるところで瞬くように発生するそれは、夏の花火のようなグッジョブと言える。

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グッジョブ!日本代表!!

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昨日の、ワールドカップ最終予選。

日本が北朝鮮を見事、2-0で破り、ドイツワールドカップ出場を確定させた。

まさにグッジョブ!!
素晴らしい試合でした。
 
 
 
昨日の試合で、珠玉のゴールといえるのはもちろん、柳沢選手の先制ゴールでしたが、私が印象に残ったのは2点目の大黒選手の追加点のほうだった。
 
 
数人のディフェンスラインの油断を見切って繰り出されるスルーパス。
同時に背後から飛び出すフォワード。
置き去りにされ、必死に追いすがるディフェンダー。

完全なるキーパーとの一対一。
キーパー圧倒的不利の状況での駆け引き。

シュートフェイント!
つられて滑り込むキーパーをかわす!

そして、目の前には無人のゴール。
大黒選手は、慎重に、確かめるようにインサイドキックでボールを蹴りこむ・・・。
 
 
 
・・・

ううう、美しい!
美しすぎる!!

あの、
『完全に勝負アリ』
の瞬間に、とてつもない『美』を感じてしまうのです。

思わずテレビの前で

「うっひゃひゃひゃひゃ!!」

と身もだえして、奇声をあげてしまいましたとも。
 
 
 
とにかく、サッカーワールドカップドイツ大会出場、おめでとうございます。

日本代表の皆様。
本戦でも頑張って、またあの

「美しすぎる瞬間」

を堪能させてくださいませ。

ガンバレ!
日本代表!!

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その甲斐甲斐しさが・・・!

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先日、とあるウドン屋さんで食事をした時のこと。

そのお店では、ウェイトレス・・・いや、敢えて給仕と呼ばせていただこう。
給仕のお姉さん方の制服が、なんと着物だったのである。

しゃなり、そそと店中を着物姿のうら若き女性が小気味よく働いている。
私は、注文したウドンセットを待ちながら、両手で頬杖をつきつつ、その様をじっくりと観察していた。

着物の女性というのは、やはり日本人の遺伝子に刻み込まれた何かが激しく反応するグッジョブである。

それどころか、グッジョブの最上級、グッジョベストと言っていい。
イイったらイイ。

着物を着て働く女性というのは、どうしてあんなにも甲斐甲斐しく見えるのだろうか。

それはきっと、着物の構造から発生する動作にあるに違いない。

まっすぐ落ちた裾が、歩き方にたおやかさを染み付け、
ゆとりのある袖が仕草の美しさを強調する。

全体に漂う、清涼感と清潔感を伴ったスキの無いシルエットが心地よく、それでいて腰の部分の女性独特の丸みが色気を演出している。

これほど品のある民族服は、世界中探してもそう無いと私は信じている。

着物、グッジョブ。

ありがとう。
バイトのお姉ちゃん。

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図書館における原石

今日は仕事も休みだったということもあり、約束の時間まで少し時間が空いたというのもあり、ブラリと図書館へ足を運んだ。

図書館の雰囲気というのは、とても落ち着くものですね。
コソコソという話し声と、さまざまな人たちのコツコツ、タシタシ、パタパタという靴音。
それに、ページのこすれる音がシュリシュリと心地よく耳をくすぐる。

本棚の横に設えられた椅子に座って借りてきた本を読む。
数ページ読んでは、ふと顔を上げ、そばを通る人を眺める。

再び視線を書籍に戻す。
 
 
 
それを繰り返しているうちに気づいたのだけれど、図書館には化粧っけなく、それどころか格好というものにあまり頓着しないけれど、よく見ると顔の造形がとんでもなく綺麗な人が多い。

図書館というのは知性の泉であるから、内面を磨こうという美しさが外見にも反映されるのか、それとも図書館に行くのにわざわざ化粧することもないべということですっぴん上等の心構えなのかは判然としないものの、それなりの格好をすれば、きっとエライことになるのではないかというような人がボサボサと行き交っているのである。

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図書館の楽しみは、なにも司書さんだけではないな・・と、感心しきりだったことは言うまでもない。

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荒地に咲く花

ガソリンスタンドに立ち寄った際。

思いがけず妙齢の女性店員に出会うと、とても得をした気分になってしまう。

何故ならば、ガソリンスタンドの女性店員(妙齢)は、グッジョブ的要素満載の存在だからである。
 
 
 
そもそもガソリンスタンドというものは、極めて不穏な空間である。

油と鉄とゴムが視界を阻み、危険物に囲まれているという緊張感が常にまとわりつき、脳に直接響くガソリンの臭気が無骨で無機質な雰囲気を突きつけてやまない。

考えることも、良からぬ方向に進みがちになる。
基本的に前進のまま通り抜ける施設なのに、気持ちは後ろ向きになってしまうのだ。
 
 
 
ある日のこと。

私は車のガソリン残量がわずかであることにいよいよ観念し、とぼとぼと行きつけのガソリンスタンドに入った。
それに気づいて、事務所から飛び出しつつ

「いらっしゃいませーーーー!!」

と叫び、駆け寄ってきたのは、妙齢の女性店員だったのである。
私はどんなにか救われた気持ちになった。

白と黒を基調としたグラデーションで構成されていた風景が、その女性店員の周りだけわずかな彩りを取り戻していた。

ガソリンスタンドの女性店員は、声が大きい。
女性の声というのは、大きいと艶を増す気がする。

車を止めて、運転席の窓を開けると、そこに駆け寄り先ほどよりも幾分小さな声で

「いらっしゃいませ!」

と言ってくれる。

先ほどの大きな「いらっしゃいませ」は公的なもので、今の「いらっしゃいませ」は、私だけに向けられているのだなあ・・と思うと、一歩踏み込んだ関係になったような気がして、別の意味で緊張が走り、色めき立った空気を感じてしまう。

そして、それはすぐに勘違いだと気づく。
 
 
 
油種、数量を発注すると、女性店員は一度先ほどの「個人用声量」でもって確認し、離れ際店内に響く声(公的声)でもって油種、数量を発表する。

「個人的声量」のところが、言外に

(じゃあ、あたし行くけど、すぐ戻ってくるからちょっと待っててね。)

という、「ナイショ話的雰囲気」が感じられ、そこでまた色めきだってしまう。

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そして、それはすぐに勘違いだと気づく。

ガソリンスタンドの女性店員の魅力のひとつは、この「声量大小使い分け」にあると言って良い。
 
 
 
ガソリンを注入している間、女性店員は実に甲斐甲斐しくクルマの世話を焼いてくれる。
男物と思しき、大き目のツナギを着てコロコロとよく走りながら、窓を拭いたり、灰皿を交換したり、ゴミを受け取ったり。

あまりに至れり尽くせりなので、こちらが恐縮してしまう。
冬場などは、幾分暖かい車内にいる自分が申し訳なくなり、居たたまれなくなる。

「車内をお拭きくださ~い!」

と、渡されたタオルが半分凍って硬くなっていたりすると、

「ああ・・!お疲れ様です・・・!」

と涙ぐみ、手を取り、さすってやりたい衝動に駆られてしまう。
実際にやったら、確実にドン引きされるのでやりませんが。
 
ガソリンスタンドの女性店員の魅力のひとつは、この「恐縮するほど甲斐甲斐しい」ところにあると言って良い。
 
 
 
そして、給油を終えて代金を払う。
女性店員は、サービスを終えた充実感と安堵感で相好を崩した。
寒さで赤くなった頬と鼻先に囲まれて、ニカッと白い歯が光っている。

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その顔がまた良い。

現金受け渡しの際、油にまみれ、黒く染まった指先に目が行き、少し胸が詰まる。
おつりを受け取るこちらの手の方が女性の手のように白い。

なんだか申し訳ないような気持ちになる。
しかし、そんなことはお構いナシに、元気良く前屈しながら

「ありがとうございましたーーー!!!」

と送り出してくれる姿に、私は感動すら覚えるのであった。
 
 
 
ガソリンスタンドの女性店員はグッジョブである。

メリハリの利いた艶があり、働き者で甲斐甲斐しく、勇ましい。
困難な場所に根を下ろし、懸命に咲く可憐な花のような風情がある。

たった一回の給油で、もう、他人ではなくなったような気さえしてくる。

未練だろうか。
少し振り返ると、

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早くも男性店員と談笑している。

尽くしてその気にさせといて、キッチリ突き放す。
そのビジネスライクな潔さも・・・また良い。

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不吉なるグッジョブ。

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コートを抜けると、そこはノースリーブ、ミニスカートだった。
 
 
 
密封されていたコートの下から肌の露出の多い服装が出てくると、その場の雰囲気は一瞬にして変わる。

バリリッ!という耳に聞こえぬ雷鳴が轟き、視線を集中させる磁場が発生する。

「あ、いかん!!」

と思いながらも、しっかり目を奪われてしまう。
カップをクチに運んだまま、空中で静止させてしまう。

男のサガの悲しさをあざ笑うかのようなグッジョブ。
冬場のグッジョブの中でも、もはや犯罪スレスレのグッジョブ。
威力業務妨害とも言える、問答無用のアイキャッチ。

それが、コートの下のミニスカート(大抵スリット入り)&ノースリーブである。
 
 
 
コート下ミニ&ノースリーブは悔しい。
そこに視線を固定してしまった自分に対して悔しくなる。

何故ならば、コート下ミニ&ノーは、明らかに「演出」の色あいが濃いからである。
「まんまとハマった」感が拭えない。

理性の殻で包み込んで取り澄ましていた自分が、うっかり「オス」の部分を漏らし見せてしまったことが恥ずかしくなる。

「はっ!」

として、慌てて視線を逸らし、横目で周囲の雰囲気を探ると、やはり何人かは
コート下ミニ&ノーの磁力に、視線を釘付けられている。

いよいよ募る

「やられた感」。

そして、まとめてなぎ倒されたような

「十把一絡(じゅっぱひとからげ)感」。

悔しさから、努めて逸らす視線の抵抗むなしく、気がつけば眼球は露出された素肌に食い込んで離れない。
何らかの「術」にかかった事は明白。

「目を覚ませい・・・!!!」

と、ペンで太ももを突き刺したくなる衝動に駆られる。
しかし、その行動自体あまり意味が無いことに気づき、振りかぶった手を危うく戻す。

「オス」の自分と、「理性」の自分が、激しくも静かに葛藤をする。

さっきまで和やかな雰囲気だったはずの店内は、一人の女性客が発した磁場によって、微小ながらも確実に色合いを変え、男性客の心に不穏な影を落とすのだ。

葛藤に疲れ、

「なんて事をしてくれた。平穏な時間を返してくれ!」

という恨めしさまで感じてしまうのだ。
 
 
 
コート下のミニ&ノースリーブはグッジョブである。
グッジョブが過ぎて、「不吉」とも言えるグッジョブである。

稀にしか見られないからか、淫靡感が強いからか、
それを見た後は、ロクなことが起きない気さえしてくる。
 
 
 
しかし、

「じゃあ、やめます。」

と言われると、

「いや、早まるな。」

と答えてしまうところがまた、悔しい。

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潜水艦的なグッジョブ。

何故、ニット(毛糸モノ)のマフラーと帽子を装備した妙齢の女性というのは、あんなにも可愛く見えてしまうのだろうか。
 
駐車場でたまたますれ違った女性の後姿をぼんやりと眺めながら、そんなことを考えていた。
 

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ニットのマフラーと帽子は、グッジョブである。

少し大きめの太めの毛糸で編みこまれたものが好ましい。
しかも、結び方もかさばるほどいい。
あのモコモコっぷりが、愛玩性を増幅させる。

薄手のマフラーも、知的な感じがしていいのだが、ちょっとそっけない感じがする。

髪の長い女性の、帽子からいったん外に出て、再びマフラーに収束される「たわみ」もまたポイントが高い。
ニットの似合う女性には、つややかな黒髪であって欲しい。
 
女性のマフラーというのは、どうしてあんなにもいい香りがするのだろうか。
マフラーに鼻を押し付けて香りを楽しんでいると、確実に己の脳細胞が溶解してゆくのが分かる。

分かっていながら、

「それでもいい・・」

という、廃退的な気分にさえなってしまう。
その香りには、強い安堵性が認められ、いっそ、枕カバーにしたくなるくらいの依存性も確認されている。

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    ニットマフラーと帽子のコンビネーションはグッジョブである。

それは、敢えて冬に穿くミニスカートと対を成すグッジョブと言っていい。

ミニスカートは、

「出さなくていいものを意地で出す。」

という健気さがグッジョブなのであり、そこには

「見せるためなら妥協せず。」

という不退転の決意、攻撃性がヒシヒシと伝わってくる。
戦うために海上に浮かぶ鉄塊、戦艦のような覚悟さえ感じる。
 
 
 
それに対してニットマフラー、帽子は、

「大げさなほど防御する。」

という開き直りが見て取れる。
外部の情報を読み取る器官(目、鼻、耳)だけを潜望鏡のように残し、大半を分厚い毛糸のベールの内に隠してしまう。

そこには、たおやかさを肯定し、自分を守るしなやかさとしたたかさが見える。

「専守、防衛に妥協許さず。」

という強固な意志が存在しているのだ。

つまり、ニットで身を固める女性は、

「潜水艦的な魅力」

があると言える。
 
 
 
ニットのマフラー、帽子はグッジョブである。

出来るなら、その取り合わせは厚手のズボンで完結して欲しい。

ミニスカートと合わせるのはいかがなものか。
一見、戦艦と潜水艦の混合編成による「無敵艦隊」に見えなくも無いが、捨て身の攻撃性と、専守防衛は互いに相容れることなくぶつかり合い、ちぐはぐさを出してしまう気がする。
 
 
 
「グッジョブ×グッジョブ」は、必ずしも「スゴイグッジョブ」ではなく、
時として「矛盾」をはらんでしまうのだ。

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気後れのグッジョブ。

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スーツ姿の女性は、不機嫌に見える。
 
 
昨日から降りだした雨が、今朝がたから雪へと姿を変え、アスファルトを真っ黒なシャーベットで埋め尽くす。

「夢メッセ」と呼ばれる海辺の大きなイベント施設では、その日、「住宅リフォーム展」と銘打たれた展示即売会が催されていた。

サッカーが余裕で出来そうなくらいの広さを誇る会場内。
建設業や内装業などを営む会社の人々が、それぞれ趣向と工夫を凝らしたブースをところ狭しと出展し、その間に織り込まれるように穿たれた通路を、各社のロゴ入りショルダーバッグにパンフレットを満載した建設関係者や、リフォームを考えているらしい家族連れ、bichikoさんファミリーなどがとうとうと流れ、所々で流れを塞き止めるように、客寄せの出し物に足を止めて出来た人だかり、業者間の名刺交換をする人々がいる。

そんな様子を、私は「体験陶芸教室ブース」の中から、客待ち顔でぼんやりと眺めていた。

隣のブースでは、水回りの業者さんのブースがあり、そこには黒いスーツにビシッと身を包んだ妙齢の営業社員さんがいて、通路の角に立って道行く人々に自社のパンフレットを手渡している。

人の流れの中から、時折弾き出てくる子供たちに陶芸を教える傍ら、その様子が何度も目に入った。
 
 
 
スーツの女性は、どことなく不機嫌な印象を受ける。

張った肩肘と、引き絞った腰のくびれ、内容はどうあれスラッと細く伸びるパンツを完結させる高いヒールの靴が、緊張と、頑固さをかもし出している。

スーツは確かに「戦闘服」であるから、当然といえば当然なのだけれど、普段、「スーツ姿の女性」というものにあまり免疫の無い私としては、非常に近づき難い印象を受けてしまうのである。
 
 
 
しかし、女性のスーツ姿というものは、なんであんなにもカッコイイのだろうか。

全体にスキが無く、もし、見つけられるスキというものがあったとしても、それは頭の良い誰かが計算し、わざわざ作ったスキである。

不可侵の領域を密封したような、
球体を直線で包んだようなシルエットが、独特の魅力を発揮させる。

女性の体に、男性のエッセンスを取り入れた、中性的な印象。
人間に、もしも完成というものがあるならば、それは女性の方が近い位置にいるのだろうな・・という気後れさえ感じてしまう。
 
 
 
スーツ姿の女性はグッジョブである。
近寄り難く、思わず警戒してしまうが、

「美しいもの、カッコイイものを観る。」

という楽しみ方が出来る。

「グッジョブは、遠くにありて想うもの」的な魅力である。

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バックシャン保護シール

公共交通機関(バス・地下鉄など)を日常的に利用していると、3ヶ月に一回くらいの割合で、
「めっちゃスッゲエ美人」
に遭遇する。

たろーさんは、「美しい人」を発見して、相手に「貴女は美しい」と伝えたい衝動に駆られたそうだ。
しかし、公共交通機関の中で話し掛けるのは「ナンパ」としか取られないという現実にぶつかり、断念。

なにか画期的なシステムはないものか。
あの美しさを、広く世間に知らしめることは、できないのか。

と歯噛みして悔しがっている。

その気持ちは、痛いほどよく分かる。
私も、女性を見るのが大好きである。
「見る」というより、「鑑賞する」と言ったほうがしっくりくるかも知れない。
色恋でも、肉欲でもなく(それもちょっとあるかも知んないけど)、単純に「綺麗なもの」としての女性を観るのは、実に楽しく、有意義な時間なのだ。

そして私は、
「あの美しさを、広く世間に知らしめる画期的なシステム」
として、

「デジタルの魔法」

を使う。
有と無の織りなす電脳世界に、自分なりの文章と絵で美しさを紡ぎ出し、残すのだ。
それがすなわち

「グッジョブな話」

なのである。
(おお~、なんか、荘厳な始まりになったナ)
 


昨日の事。
街に散策に行くべく、私は地下鉄に乗り込んだ。

乗客はまばらで、ところどころ席も空いていたのだが、妙なこだわりが座る事をよしとしない。
出入り口と反対のドアにもたれて立つのがいつもの指定席であり、そこからチラチラと車内の様子を観察するのが常となっている。

二駅ほど過ぎたところで、ふと目の前に佇む後姿の女性が目に入った。
長めの真っ黒な髪、小柄な体躯を真っ白なコートで油断無く包み、黒のロングブーツ。
立ち居姿がとても綺麗な女性であった。

いわゆる
「バックシャン(後姿美人)」との邂逅である。

バックシャンに出会うと、人は必ず次の欲求が生まれる。
それはもちろん

「顔を見たい!」

ということ。
後姿に惹かれた心は、顔を確かめる事で美しさの完成、または崩壊を確かめずにいられなくなるのだ。

しかし、女性は出口方向を向いたまま、こちらを振り返る様子はまったく無い。
かといって地下鉄の車内で、わざわざ前に回りこみ確認をするわけにはいかない。
それでは単なる変態ちゃんである。
飽くまでも今いるこの場所から極力動かずに確かめるしかないのだ。
 
 
その時である。
発車ベルが鳴り響き、車両がゆっくりと駅を出始めたのだ。

「しめた!」

私は思わず笑みをこぼした。
このまま駅を出て地下の真っ暗な場所に入れば、向こうのガラスに反射して、この場所から丁度顔が見えるのである。

固唾を飲んでその時を待った。
電車は、先頭から次々に暗闇に飛び込む。
ほどなく私の乗る車両も暗がりに入った。

私は意を決して、ガラスに映った女性の顔に目を凝らした。

「!!!?」

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なんと、出入り口のドアに貼られたシールが、絶妙に女性の顔を隠してしまっているのである。
狙い済ましたかのようなポイントに貼付されたシール。
それはまるで、稀少なバックシャンを無粋な好奇心から守る、

「バックシャン保護シール」

のようにも思えた。
私はしばし愕然としていたが、不思議と納得もしてしまった。

つまり、私と彼女との関係は、どこまでいっても「他人とバックシャン」なのだ。
それ以上踏み込むのは美しくないという啓示を受けた気がした。

美しいものは、美しいと感じる心が美しく、過程を楽しむものなのではないか。
それに干渉したり、詮索したりして結果を出す事はないのだ。

次の駅で私は降りた。
その後姿の美しい女性をなるべく見ないようにした事は言うまでも無い。

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もらいたくない。

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たまに繁華街などを歩くと、刺激がたくさんあって心が浮き立つものである。
街には人が集まり、人が集まれば工夫が集まる。
工夫を見て回るのは楽しく、勉強になるものだ。

しかし、必ずと言っていいほど私の気持ちを暗転せしめるものが行く手を阻む。

「ティッシュ配り」である。

進行方向に、ティッシュ配りのお兄ちゃんが待ち構えているのを確認すると、思わず来た道を帰りたくなる。
なにしろ、ティッシュ配りというものは断るのに一苦労するからだ。
その追求はスーパーの試食の比ではなく、ちょっとやそっと間合いを取ったところで、ズズイと詰められ
「よろしくお願いしマ~ス」
と下方向からティッシュをねじ込まれそうになる。

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そこには、「効果的にティッシュを受け取らせる手法」とかの心理的なアレがどうのとかいう工夫が見えるのだが、配る方も仕事とは言え、受け取る方は「ねじ込まれる感」が否めず、「ねじ込まれる」というのは実に不快なものであるがゆえに、受け取りをなんとか拒否しようという心理が働くのである。

これは自然なことではなかろうか?
 
 
大体にして、「タダで見ず知らずの人からモノをもらう」という行為が、なんともキモチワルイ。
「タダより高いものは無し」という格言(?)が頭をよぎる。
何気なく受け取ってみたら、実は末端価格にして1億円相当の覚せい剤で、ハリコミのデカにワッパをかけられ、バイニンとかホシ呼ばわりされた挙句にオツトメを頂き、ムショにぶたれるということも無いとは言い切れないのだ。

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それに、ティッシュを渡される時に発するあの
「よろしくお願いしマ~ス。」
は、一体何をよろしくお願いされているのかが極めて不透明である。
「ティッシュをよろしく受け取って欲しい」のか、「ティッシュに同封されている企業をよろしく」なのかがイマイチ判然としない。
主語が抜け落ちている。

相手が「よろしく」と出したものを受け取れば、それは「YES」の意思と取られてもおかしくはないのだ。
もし、選挙期間中などに「よろしくお願いしま~す。」と手渡されたティッシュに、「●田●男」と書かれていて、ティッシュに混じって千円札などが仕込まれていたら、それは立派に収賄であり、ハリコミのデカにワッ(中略)言い切れないのだ。
 
 
だから、「ティッシュあげるの構え」を取る人間からは、努めて何も受け取らぬようにしているのである。

しかし、例外もある。
それは、ティッシュを配っているのが妙齢の女性(さあ、来ましたよ)だった場合だ。
ティッシュ配りのお姉さんは、何故か美人が多い。
しかも、蛍光色のサイズの大きめなジャンパーに、ミニスカートといういでたちが多く、ジャンパーのやや肩の張った男性的なシルエットから、突如として下方向に伸びるミニスカートのふくよかさ加減に、思わず目を惹かれてしまうのだ。
つまり、ティッシュ配りのお姉さんは、極めてグッジョブという事になる。

そのお姉さんが、ティッシュを差し出しながら
「お願いしま~す。」
と言うのだから、男性諸氏にはタマランのではないか。
「何をよろしくすればいいンスか!?」
と聞きたくはなりませんか。
ドギマギするでしょう。
ええ、分かってますよ、TOKさん。

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そんな事情も相まって、ティッシュ配りのお姉さんというのは「色気の壁」であり、その壁を突破するのにさらなる気力が必要になるのである。

ティッシュはもらいたくないが、ティッシュ配りのお姉さんはじっくり鑑賞していたいと思わずにはいられない。
そんな葛藤もまた、困る。

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店長の陰謀

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昨日、仕事が休みだった私は、ぶらりと街中を歩き回っていた。

ブラブラと歩いているうちに、のどが渇き、体も冷えてきたため、お茶を飲む事を決め、ちょうど近くにあった喫茶店に立ち寄る事にしたのである。

落ち着いた雰囲気の店内は買い物途中のオバチャンの休憩場所と化しており、2割の有線放送に混じって、取り澄ましてのナイショ話が3割、大声での世間話5割。
匂いは、コーヒー6割、化粧品が4割であった。

その店は喫茶の他にランチもやっているらしく、ウェイターのオッチャンが午後2時を過ぎてまばらになった店内を歩き回っていた。

私は、珍しくコーヒーを注文し、席についた。
砂糖とミルクをダバダバいれ、「砂糖とミルク入りコーヒー」というより、「コーヒー入り砂糖とミルク」をちびちびと楽しんでいた。

その時である。

私の目は、店内を歩く従業員に釘付けとなった。
ウェイターのオッチャン達に混じって働く、一人の小柄な女性を見つけたのである。

大き目のシャツに身を包み、ソデはまくらずにいるため自然と指先だけがチョコンと顔を覗かせ、胸元にはネクタイ。
真っ黒いズボンを、これまた男物と思しき大きなエプロンで包み込んでいる。

小さ目の顔が、大きな衣服とのギャップをさらに広げ、短めの栗毛を引き絞って後ろで止めた髪形が絶妙な清潔感をかもし出していた。

「ウーム・・カッコワイイ(カッコイイ+カワイイの意。今作った。)」

私はすっかり感心し、左手ではちゃっかりスケッチしつつそのカッコワイイ(語感最悪)女性をしげしげと観察していた。

店内を見る限り、ウェイトレスはいない。
もしかすると、ウェイトレスの制服が無くて、仕方が無いのでサイズの合わないウェイターの格好をしているのだろうか・・。
いや、もしかするとウェイトレスの制服もあるのだが、敢えてこういうギャップを演出し、それで客寄せに使っているのかもしれない。

ということは、どこかで店長が私の様子を見て、
「ほッほ・・見てる見てる。どうだ、ワシの作戦は当たっただろう。見ろ、あのメガネの目を。釘付けじゃわい・・ワシの掌の中とも知らず・・愚かなことよのう・・ほっほっほ。」
とほくそ笑んでいるのかも知れないと思うに至り、慌てて視線を外したのだった。

昼下がりの店内。
ウェイトレスをチラチラ見ながら何かをメモするメガネは、傍目に見て十分に挙動不審である。
 
 
 
ウェイターの格好をして働く女性は、非常にグッジョブである。
一見、宝塚チックな取り合わせであるが、「働く男装の麗人」と呼んで良く、そこから立ち上る清涼感を伴った清潔感は、感動すら覚えずにいられなくなる。

コーヒーを飲み終え、店を出て振り返り、キビキビ働くその娘を見て
「たまには街に出るのも悪くは無い。」
と思った事は言うまでもない。

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クシャミは反則

nakoさんのコメントで、

ものすごく遠慮して、小さく小さくまとめようとするくしゃみ(「クチュッ」とか「キュッ」という音がする)をする人もいますよね。あれも気になります。

というものがあった。

それで思い出したのだが、私はクシャミに対してグッジョブな感情を持っている。
「フェチ」と言って良い。
なにしろ、初恋の女の子(小3時)を意識しだしたキッカケがクシャミだったのだから、そのフェチっぷりは筋金入りである。

クシャミは反則である。
それも、遠慮して小さくすればするほど、威力が増す。
うら若き女性が、突発的にもよおした生理現象に耐え切れず、それでもなるべく目立たぬように「くちっ」などとする仕草は問答無用で可愛い。

身をすぼめて、はばかる姿は健気さを感じさせられてしまうのである。

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しかも、クシャミは二枚腰である。
「クシュッ」としたあとに、照れたような、バツの悪そうな表情に、上目遣いで涙目になる。
これがさらにグッジョブである。
脳天が、やや溶解する。

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「しおらしさ」を自然に演出してしまうクシャミは、まさに偶然と、生理反応の生んだグッジョブと呼んでいい。

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猫娘。

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よく立ち寄る喫茶店の店員さんに、小柄でクリクリとした猫目の女の子がいる。
この娘が狭いカウンターの中でコロコロと働いて、可愛いんだ、コレが。
しかも、ポニーッスよ!
ゆうさん!はせさん!
どうスか!?

おっちゃん、遠くからニコニコして見ちゃう。
エエなあ~。
可愛いなあ~。
って。

ぐっじょぶ(ハート)。

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危険の中に輝くもの。

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お肉屋さんで働くお姉さんから目が離せなくなる。

お肉を注文し、それを支度してもらっている間に、どうして目が離せなくなるのかについてぼんやりと考えてみた。

まず、ユニフォームが良い。
華奢な体に少し大きめの厨房着を肘の下あたりまで軽くまくり、その上に花屋さんのような小さい前掛けを着け、化粧はごく薄く、髪は出来得る限り後ろに引き絞って緊張感を醸し出している。

オバチャンの店員になると、やや開き直りとも取れるマイペースさを発揮して、トレーナーにエプロンというのも多いが、妙齢の女性は規律を守り、白くて細いシルエットを厨房に踊らせているのである。
そこに滲み出る、凛とした雰囲気、油断の無さがまたイイ。
 
 
お肉屋さんのお姉さんは、揚げ物もする。
業務用フライヤーの前で、菜箸、アミを構えながら、目の前に浮き上がりつつあるメンチカツのもっともベストな引き上げタイミングを計っている。
腰に手を当て、構えるその姿は実に思慮深そうである。
火加減を微妙に調整する仕草が甲斐甲斐しい。
油煙にさらされながらも顔にテカりが見られないのは、それ用の対処をしているからだろうか?
そこに女性的な部分を発見する。

お肉屋さんの厨房内は、大型の刃物、機械、高熱の油などに囲まれた、非常にリスキーな領域である。
客として、安全な場所から見ていても、「どうか無事で・・!」と、思わず手に汗を握ってしまう。
手に汗を握りつつ動向を見守っているうちに、その女性店員が先ほど注文した品物を運んできてくれる。
心配の対象が安全地帯に近づいてきてくれて、少し安堵する。

大抵のお肉屋さんは、カウンター代わりに置かれたショーケースの上に量りやレジがある。
ショーケースは女性からするとちょっと高めで、自然と女性の店員さんは顎を上にあげて作業をしなければならない。
すると、自然にお客に向けて顔の無防備な角度をさらす事になるのである。
普段、女性というのは顔を下から見られるのは嫌がるハズであり、親しくも無い女性の顔を下から見る機会というのは、実に少ないはずである。

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今まで、危険地帯で油断無く働いていた女性が、ふと自分の前で無防備な面を晒すと、こちらは
「ああ、よくぞ無事で・・。」とか、
「これは、俺にだけ見せてくれる顔なんだな・・」などと、勘違い甚だしい労いを捧げたくなるのである。
 
 
つまり、お肉屋さんの女性店員がグッジョブなのは、精悍ともいえる雰囲気の中に垣間見える女性的な部分と、油断ならない状況下での無防備さの対照が、その魅力を際立たせていると考えられるのである。

お肉屋さんにお勤めの妙齢の女性店員さん(条件がキビシイな。)、グッジョブ・・!

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素敵な油断

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携帯電話の普及で利用者も激減し、公衆電話はどんどん減少の一途を辿っていて、当然、電話ボックスなども、どんどん姿を消している。

ほんのひと昔、どこにでもあった電話ボックスは、急激に「懐かしいもの」、「珍しいもの」に姿を変えてきている。


よく通る道に、電話ボックスがある。
そこの電話ボックスは、いつでも誰かしら利用している。
住宅地のそばの、割と幅の広い道路。
坂道の途中という立地で、携帯電話はもちろん電波が届く。
しかし、多くの人が電話ボックスを利用して、電話をかけているのである。

考えてみると、電話ボックスというものは実に良いものである。
少し重い引き戸を開けて中に滑り込むと、途端に街の喧騒が遮断されて、目の前には会話するための機械がただ鎮座している。
「よし、電話をかけるぞ。」
という決意というか、覚悟というか、緊張感がいや増す。
電話帳の紙のニオイが箱の中に充満していて、少し重い受話器を取り上げ、アドレス帳から電話番号を確認し、または記憶の中から取り出して、硬貨を入れる。
呼び出し音が鳴り、相手が出た時には、「プーーーーー」という音がなり、相手の「ハイ、〇〇〇です。」というのが聞き取れなくて、ある程度、声色で予測する必要もある。
たまに、普通に話していたら実は間違い電話だったということもある。

公衆電話は、携帯電話に比べればはるかに手続きや間違いの多いものである。
しかし、その分、会話というものが重視され、濃縮されるような気がする。

携帯電話の便利さと同じくらい、公衆電話の不便さは、良いものなのかもしれない。

電話ボックスの中、シヤワセそうな油断顔を見せるあの人は、もしかしたら携帯電話を持っていて、それでもわざわざ電話ボックスを使っているのかもなあ・・。と思った。

電話ボックス、グッジョブ・・!

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知識の泉にて

図書館は、「知識の園」である。
ここに集う者は知識の探求者であり、知識を積み重ねる事を無上の悦びとする。
静寂の中、紙の擦れる音だけが粛々と聞こえる館内の雰囲気は、身も引き締まり、心地のよい緊張感が全身を包むむ。

何を隠そう、ワタクシも図書館が大好きな「知識の探求者」の一人である。
図書館はいい。
何と言っても無料で本が借りられ、読めると言うのがスバラシイ。
ワタクシのように、「赤貧」がノーマル状態の人間には、欠かすことの出来ない施設なのである。

さて、その日も「知識の探求者」たるワタクシは、図書館に赴いた。
ヘミングウェイとか、ドストエフスキーとか、与謝野晶子とかの著書を読み、それらについて深く思索を巡らせるのが昔からワタクシの楽しみの一つとなっている。

・・嘘ですが。
 


余談ではありますが、図書館で働いている「司書」のお姉さんというのは、何故にあんなにも可愛く見えるのだろうか。
という事を、ヘミングウェイとか、ドストエフスキーとか、与謝野晶子とかの本を探しながらぼんやりと考えていた。

他の図書館は知らないが、近所の図書館の司書の方には制服というものが無い。
トレーナーにジーンズ、それにエプロンという限りなく普段着チックな出で立ちなのである。

女性にエプロンというのは、それだけでも胸ときめくものである。
家庭的な雰囲気が醸し出される。
しかも、知識の泉たる図書館の知的な空気も加味され、清楚な雰囲気まで纏ってしまうのである。

そのエプロン女性が、返却された書籍を満載したカートを一生懸命押しながら健気に本を戻している様を見ていると、

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と思ってしまう。

「家庭的」で、「知的」で、「清楚」で「健気」なイメージを勝手に抱いてしまうのである。


まったくもって、「司書」さんというのはグッジョブ極まりない存在である。
図書館での司書さん鑑賞というのは、私のライフワークと言っても過言ではない。

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可憐に戦うグッジョブ・・!

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花屋さんで働くうら若き女性というのは、何故、あんなにも可愛く見えるのであろうか。
ショッピングモールの中、私は遠目に花屋さんを眺めながらぼんやりと考えていた。

おそらく、花屋というものには、女性を引き立たせる要素が豊富に取り揃えられている事が要因として大きいと思われる。

まず、何と言っても「花」である。
「花」は、女性と相性がいいことは間違いない。
美しい草花は、女性の器量、容姿、雰囲気を間違いなく3割は底上げする。
背景との相乗効果が発揮される。

そして、女性の「たおやかさ」を強調する。
風に揺れる花のように、ゆらゆらと可憐に咲き、男に思わず
「オレが守ってやんねーと。」
という気にさせる。
(たとえ、それが勘違いであったとしてもだ。)

しかし、そんな華やかな雰囲気の中で、花屋の店員さんは対称的な存在となる。
動きやすい服装、腰のあたりだけをカバーする前掛け、そして、腰に帯びた剪定ハサミやカッターなどの物騒とも言える装備品が、見事に「働く女性」、ひいては「戦う女性」を彷彿とさせるのだ。

「たおやか」、「可憐」に、「武装」、「強さ」という対照的な魅力がぶつかり、化学反応を起こして「可憐な戦う女性」というフェロモンを分泌し、「ああ、ああ、そんな細腕で懸命に働いているのね。」という甲斐甲斐しさや、いじらしさまでも感じさせ、世の男性の脳髄を溶かすのである。

まったくもって素晴らしい。
これをグッドジョブと言わずにいられようか。

(若い女性の)花屋さん、グッジョブ・・!

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母性と情熱の間。

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今、宮城といえば「保育士」がアツイ。

「保育士」と言えば、つい最近まで宮城県が舞台となったNHKの連続テレビ小説「天花」が有名だが、個人的に最初の1~2回を見て、あとはマトモに観なかったので何とも言いようがない。
(じゃあ、引き合いに出すなよ)
しかしながら新聞には歴代連続テレビ小説の視聴率ワースト1を記録したとの事でデカデカと掲載されており、「ああ、観なくて正解だったか。」と不思議と安堵している次第であります。

さて、話は逸れましたが、「保育士」さん。
昔は女性の保育士さんを「保母さん」と呼んでいた。
「保育士さん」というのは、ちょっと堅苦しい雰囲気がどうも好きになれない。
なぜ、「保母さん」ではダメなのだろうか。
つらつらとその理由を考えてみるに、どうも「保母さん」という職業名がよろしくないような気がしてきた。
いくらプロ意識を持って、職業に従事したとしても「ほぼ」と呼ばれるということであり、なんだかいつまでたっても半人前のような気がしてしまうから、「保育士」といういかにもプロっぽいネーミングになったのではないかと思われる。
(もしかしたら違うかもしれない。)

ああ、また話が逸れた。
実は本日、保育士のお姉さんが我が家に来訪し、お会いする機会に恵まれたのだ。
姪っ子が通っている保育園の園長先生が、遠足の帰りにわざわざ送り届けてくださった際に、そのお姉さんも同行して来たというわけなのだ。

若いお姉さんの保育士さんというのは、その存在自体が胸ときめくものがある。
だからといって「どうこうしたいナ。」とかいう気は起きないのだが、なんというか、えもいわれぬ温かさと、一種独特の色気を感じる。
何故だろうか。
ぼんやりとそのお姉さんの顔を眺めながら考えてみた。

昔で言うところの保母さんの売りは、なんと言っても「母性」である。
「母性」というものには、もちろん子供も弱いが、当然男も弱い。
しかも、若い女性(未婚だとさらに)のふと見せる母性などには、脳天を打ち抜かれるほどの魅力を感じてしまうものだ。
(まあ、男全員が全員とは言わないが。)
保母さんは、常にその「母性フェロモン」を全身から噴出、纏いながら行動しているのである。

なので、Tシャツにジーンズという出で立ちにも、
「ああ、動きやすい格好なのね。子供たちの相手は大変なのね。」
とか、
長いストレートヘアにも
「ああ、そんなに長くて、子供たちに引っ張られたりしないのかしら。」
とか、
首から下げている可愛いペンにも
「ああ、それで書類とかを処理するのね。しかも、子供にウケのいいように可愛いのを選んでいるのね。」
とか、
Tシャツをズボンにインしているのは、
「ああ、子供たちに引っ張られるのを防ぐためなのね。」
とか、全てに肯定的になり、温かいキモチになってしまうのである。
これは、尋常な精神状態ではない。

「母性フェロモン」に脳を侵食され、ついつい精神が退行し、
「優しく叱って欲しいナ。」とか、
「っつーか、ヤンチャな俺を見てくれ!」みたいな欲求が沸々とたぎるのである。

母性と情熱の間にたゆたう快感に酔いしれてしまうのだ。
これは、一種の酩酊状態である。
それほどに、「若い女性の保育士」と言うものは男を狂わせる、危険な存在だと言える。

まあ、私には相方(彼女)という最高の女性が存在するので(ここは特に太字にして表記したい。)、そこまで深刻な影響は無いのだが、やはり「保母さん」と聞くと、心のどこかがとろけずにいられないのはいかんともし難い男の性である。

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ポニーテーラー

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「はせ」さんは、「ポニーテール党」だそうである。

なるほど、ポニーテールはグッジョブな装備である。

今でこそ「三つ編み党七つ森支部長」の肩書きを持つワタクシであるが、ひと昔ちょっと前、小学生の頃は、「ポニーテール党」であった。
それは、初恋の女の子がポニーテールであった事が要因として大きい。

あの頃の懐かしい思い出を振り返りながら、紅茶の湯気を顎に当てつつ、私は「三つ編み」と「ポニーテール」の違いについて考えてみた。
 
 

ポニーテールは、元気の象徴である。
なぜなら、良く揺れるからである。
プリンプリンと揺れる。
なんだか、見ているとこちらもウキウキというか、ワクワクしてくる。

対する三つ編みは、知的な雰囲気をかもし出す。
キッチリと結われた髪の毛は、揺れる事を許さない。
ポニーテールのプリンプリンに対し、三つ編みはブンブンである。
整然としている。

つまり、ポニーテールは「動」であり、三つ編みは「静」なのである。
ポニーテールが「太陽」ならば、三つ編みは「月」なのだ。
つまり、私が「ポニーテール派」から「三つ編み派」に移籍したのは、歳を重ねて、さまざまな経験から、「動」よりも「静」に魅力を感じ、重きを置くようになった事が要因の一つとして挙げられるのではないかと思われる。
(単に歳をとったせいかもしれない。)
 
 

もっと踏み込んでみよう。

ポニーテールは、加虐心をそそる。
つまり、こちらに「サド」の心を呼び起こさせるのである。
プリンプリン揺れるあの束を見ていると、ワシッと掴んで、「じっとしていろ!」と言いたくなるのだ。
自由を奪い、緊縛したくてたまらなくなるのである。

実際、初恋のあの子のポニーテールをワシッと掴んでは、怒ったその子に追いかけられるのが嬉しくて、しょっちゅうワシワシやっていたら、ある日、タイミング悪く掴んでしまい、思い切り髪を引っ張った格好になって泣かせてしまって、ものすごく反省したというニガイ経験からも、それは実証されている。

反対に、三つ編みは触る事を許さないような雰囲気がある。
「触るな!」という無言の圧力がある。
不可侵の聖域がそこにあるのだ。

「触りたいけど、触れない・・ああ・・!」
である。

つまり、こちら側に「マゾ」の心を呼び起こさせる何かが分泌されているのである。
 
 
 
以上の事から、「ポニーテール」と「三つ編み」は、魅力に差こそ無いが、さまざまな要因がその嗜好の傾向を分かち、特に隠れたS性やM性の分類における、一つの目安になってしまうという仮説に至ったのである。

だから、はせさん。
安心して欲しい。
ポニーテールはヤバくない。
私の仮説を用いるならば、はせさんは「S」の疑いが認められるというだけであり、それで行くなら私は「M」と言うことになるだけなのだ。

これからは、堂々と

「私はポニーテールが好きだ!そして、もしかしたらちょっとSかも知れない!」

と、声を大にしてアピールしつづけて欲しい。

世の女性達の間に、ポニーテールの波が「来る」、その日まで・・!

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戦う女性はカッコイイ。

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夕飯時。

なんとなくテレビを観ていたら、アテネオリンピック、女子ホッケー「日本×中国」が映っていた。

あまりお目にかからない競技なので、しばらく観ていたのだけど、アレは良い。
何って、ユニフォームが。
思わず描きたくなって、メモっておきましたとも。


ラクロスと、サッカーのユニフォームをを混ぜたような感じで、スッキリしていて凛々しくて、ステキ。

残念ながら試合は3-0で負けてしまったようだが、戦う女性はカッコイイ。
いや、勿論、戦わない女性も好きですが。

何のこっちゃ。

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他人事でも

「全日本トキメキスト選手権」東北ブロックでも、屈指のトキメキストである私には、前回の「小さな親切」に続いてもうひとつ、これは外せないであろうと思われる「ときめき」ポイントがある。

それは、連れ(彼氏、旦那さんなど)のちょっとした服装の乱れを、さりげなくそっと直す女性の仕草である。

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非常にグッジョブ・・・!

ああ、なんて甲斐甲斐しい。

少なくとも、それだけ相手のことをよく見ていて、相手のことをよく想い、心を配っているという事であり、それだけで「いい娘だなあ~・・」と思ってしまうには十分だったりするのです。
自分がしてもらった時などは、もちろん目眩がするほどときめきますが、他人がしてもらっているのを見ていても、ときめいてしまいます。

あらゆる意味で「ごちそうさま」なのです。

つまり、「小さな世話焼き」にも「ときめき」はある。
それは、自分に向けられている事でなくても、あるのではないかという事です。


まあ、もちろん、「服装の乱れ部分」は、袖とか、襟とか裾くらいなものですが。
ズボンのチャックが空いてるからといって、そっと直すのは、違いますから・・!
(そんなヤツはいねえ。)

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小さな親切に「ときめき」。

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彼女(相方)は世界一の女性であると信じているので「ときめきっぱなし」であるという事を前提として、


見ず知らずの女性に「ときめき」を感じる時があるならば、

たとえば店に出入りする際、後から来る私のために開けたドアを何気なくおさえていてくれる女性には、

「ありがとうございます。好きです。」

と言ってしまいそうになるくらい「ときめき」を感じてしまいます。


ただし、妙齢の女性に限ります。

オッサン(まず、持っていてくれる人はいませんが。)や、若いアンちゃん(結構持っていてくれる人が多いけど)などには、感謝をしても「ときめき」はしません。

してたまるか。