一緒にいるって

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悲しいことは半分こ。

嬉しいことは二倍。

一緒にいるって、そういうこと。


 
 
 
というCMを見ていて、いい言葉だなあと思った。

もちろん、いいことばかりじゃない。
一緒にいるから、いたいと思うからこそ苦しむこともあるけどね。

それでも。

一緒にいるだけで贅沢な気持ちになれる間柄って、そう無いと思うよ。

みんながみんな、それしかシヤワセではないと思うけれど、少なくともそう思える人がいる自分は、すごくシヤワセで恵まれているんだよな。

と思った。
思ったのですよ。

ええ。

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号泣レストラン

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いい話、素敵な言葉がたくさん書かれているblog、「なころぐ」さんにて、「お子様ランチにまつわるお話」を読んだ。

何を隠そう、私はこういう話がニガテである。
なぜならば、必ず泣いてしまうからだ。

今回のこのお話も、パソコンの前でつい涙腺が緩み、鼻汁腺まで弛緩してしまい、瞑目し、ティッシュを寄せて鼻をかみ、そのティッシュの鼻汁が付着していない部分で目を拭った事からも(今思うと、逆にすれば良かったかな・・)ちょっと鼻声で「・・エエ話やなあ・・。」とひとりごちたことからもどれだけニガテかがお判りいただけると思う。
 
 
 
このお話に出てくる店員さんは、確かに職務規定には違反しているが、本当の意味でのプロフェッショナルなのだろう。
従業員に、そのプロフェッショナル意識を自覚させるディズニーランドもまた、素晴らしいエンターテイメント施設なのだろうと思ってしまうことからも分かるとおり、そういった粋なはからいはとてつもない相乗効果を生み、多くの人間に優しいこころとか、思いやりとか、誇りとか、美しいものを思い出させるのではないかと思う。
 
 
 
余談ではあるが、「なころぐ」というネーミングと、表紙のイラストから、まやさんばりのネコ好きな人かと思いきや、実はネコアレルギーというオチに私はズッコケを禁じ得ませんでした。

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銀色夏生

銀色夏生という人の詩集「散リユク夕べ」を読んでる。
以前書いた「頭をカチ割られた一文」で興味を持って、さっそく図書館で見つけて借りてきたんだけど、これは素晴らしいな。

静かに前向きで。
かしこいんだけど、分かってるんだけど、愚かしいような。
ちょっと切なくて泣けてくるような。
泣きませんけどね。
男の子だもん。

言葉を上手く練りこめる人って、いいなと思う。
少ない言葉で、余計な飾りも無く感動を呼び起こせるというのは、芸術だ。
私にはその才能は無いけれど、せめてその感動を素直に言える人間でありたいとは思う。

でも泣かないよ。
男の子だもん。

では、最後に銀色先生の詩をちょっとパクった(笑)短歌を。

 *

言葉では伝えられない事がある いつかそこまで君と行けたら

~寿~

 *

・・う~ん・・

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春眠

春眠不覚暁 処処聞啼鳥
~春眠暁を覚えず、処々啼鳥を聞く~

宮城県もすっかり春めいて、朝晩もストーブの要らない日が増えてきました。
この時期の朝のまどろみというのは、実に気持ちのいいもので、もしかすると頭蓋の中にドーパミンが満ち満ちていて、その中に脳みそが浮いているんじゃないかと思えるほどの気持ちよさなのです。

大変風流な事に、「鳥のさえずりで目覚める」ということは良くありまして、
でも、鳥のさえずりごときでゆるりと起き上がるようなことはしません。

「・・・うるせーな!」と吐き捨て、
布団に篭城を決め込みます。

結局、朝の6時半にいつもの携帯電話のアラームが鳴る。
フェイ・ウォンの「Eyes on me(スペル、間違ってねーかな?)」だ。
これのサビの部分から始まる。

「だーりんそーぜーいゆあー、うぃってぃんるっくおーるゆあふぇいーす、あすひゅねーばはー、あーすひゅねーばだーん」
いえ、別に頭が壊れたわけではありませんよ。
「Eyes on me」のサビです。
適当に耳から入ったモノを言ってるだけです。

着信メロディーだからしょうがないっちゃしょうがないんだけど、やっぱりその前の部分がないと、サビのありがたみが薄れるな。

まあ、それはいいとして、それでしぶしぶ目を開ける。
携帯の電源をすかさずOFFにして、再び寝る。

すると、今度はテレビの電源が入る。
見事な波状攻撃だ。
(自分で仕掛けているんだが)

「目覚ましテレビ」。

半分目覚めながらも、根気良く布団の中でニュースを聞く。
んで、大体「占いカウントダウン」くらいにのろのろと着替え始めるわけだ。

どーでもいい事なんだけど、「占いカウントダウン」。
みずがめ座がワースト1の日が多くないか?
朝からちょっと陰鬱とした気分にさせるのはやめてほしい。
というか、むしろやめろ。

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お釈迦様がおっしゃる事にゃ

過去を追うな。

未来を願うな。

過去は既に捨てられた。

そして未来はまだやってこない。

だから、現在のことがらを、

それがあるところにおいて観察し、

揺るぐことなく動ずることなく、

よく見極めて実践せよ。

ただ今日なすべき事を熱心になせ。


うーん・・たしかにそのとおりだ。
「その日暮らし」を奨励しているわけですな。
お釈迦様は。

・・・

うそうそ。

よーするに、今、自分の出来得る事を出来るだけやんなさいってことなんだろうね。

今の自分の行動が、積み重なった物が過去。
今の自分の行動が、決めるのが未来。

最近の例で言うと、いかりや長介さんがまさにその実践者で、あの人は迫り来る「死」にも、勿論過去を振り返る事も無く、ただただいまなすべき事をなし、そうやって去ったからこそ、みんなにあれほど惜しまれるという未来があったわけだよね。

実は、こうやって生きる事は当たり前なんだけど、難しい。
どうしても、未来に祈ったり、過去にこだわってしまったり。

「今」から心が離れてしまいがちだ。

それでも、自分と時間の流れの接点は「今」しかないのだから、「今」を生きるしかないと。
そうやって考えると、「今」のなんと貴重な事か。

だから、「今」を精一杯生きよう。

と、締めたいところだけど、
実は、そんなややこしい事を考えているのは、脳みそだけなんだよね。
肉体は、立派に今を生きている。
もちろん、命令を下すのは脳だけど、
どんなに悩んでも、結局は腹が減る。
それは肉体が淡々と今を生きているからで。
みんな、脳だけで生きていると勘違いしがちだけど、
大きさから言えば脳なんて身体のごく1器官に過ぎないんだから。
だから、もっと肉体を意識して、それらに見習って生きられれば、
もしかすると淡々と、「今」を生きられるのではなかろうか。

人は脳のみにて生きるにあらず。

それも踏まえて、「今」を。

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