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二つの顔

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男も状況によってある程度は化けるものだけれど、

女性の化け方はハンパでない。
なにしろ意識や雰囲気までガラリと変わってしまい、
その幅がまたとんでもなく大きいものだから、
見違えてしまうこともしょっちゅうだったりする。

やはり、女性というものは実に面白い存在だと思う。

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悶絶レモンティー

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先日、某カフェでレモンティーを頼んだ。

その店では、
レモンティーといってもティパックを突っ込んだストレートの紅茶に、
レモンの絞り汁の入ったパックと、
紙製の筒に入った砂糖が添えられているシロモノで、

つまり、店側でも

「便宜上、レモンティーと名乗っておりますが、そちらのご都合に合わせてストレートということにしていただいても当方一切の異存はございませんです。」

という姿勢が見て取れるメニューとなっている。
 
 
その意思を汲み取って、
いや、砂糖やレモンを入れた飲後感を嫌ってということもあるけれども、普段の私は何もいれずにストレートティーとしてすすっていた。

少し渋めの紅茶。
まあ、値段に見合った味といえる。
 
 
 
しかし、その日はたまたま気が向いて、
初めてレモン汁と砂糖をフル投入するという壮挙に出た。

そして、
一口目をすすったところでその壮挙は暴挙であったと気づいた。

本来レモンティーというものは、
レモンの強烈な酸味の中のわずかな甘みを補完すべく砂糖を入れることで、甘サワヤカな風味がキモチイイ飲み物になると思うのですが、
そのレモンティーは、
見ず知らずのレモン汁と砂糖を無理やりに紅茶の中に押し込め、

「一緒にいりゃぁ、ともかくカタチになっぺ。」

というひどく手荒いカップリングによってレモンティに仕立て上げられたような関係だった。

たとえるなら、薄めたケチャップをあっためたような
ちぐはぐな味。

レモンティというかむしろ、

「レモン汁入り甘い紅茶」
という名称がしっくりくる液体だった。

それが、口腔内に流れ込み、
鼻腔内を充満した。

正直驚いた。
 
 
 
しかし、
さらに驚いたのは、そのちぐはぐなレモンティーも、
飲んでいるうちにやがて慣れてきて、
そのアッペトッペな渦の中に放り込まれてしまったことに当惑しながらも、

「まあ、これはこれでいいかな。」

という、諦めにも似たような連帯感を持つに至ったということだった。
 
 
 
つまり、私の誤解はそこにあった。
普通のレモンティーは、紅茶とレモンと砂糖の織り成す舞台を、
観客である自分が鑑賞し、味わうものだと思っていた。

しかし、その店の紅茶はそこから違っていたのだ。

シブイ紅茶とスッパイだけのレモン汁と凡庸な砂糖の作り出した混沌に、自らも参加することによりさらに混濁する状況を、共に乗り切ってゆこうというテーマのメニューだったのだ。

そういった意味では、
非常に飲み甲斐に富んだメニューと言えた。
 
 
  
私は深く感銘を受けると同時に、 
 
人間、過酷な理不尽を受け入れるには、
「慣れ」と「連帯感」こそが最高の麻酔になり得るのだと、
再認識したのだった。

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世間における年代の線。

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ニュース番組などで紹介される同年代のスポーツ選手たちは、
もうすっかり「ベテラン」と呼ばれている。

サイクルの早いスポーツ界では、
我々世代が今まさに円熟期なのだろう。

ついこないだまで、そういうものは
自分とはまったく異質の空間における

「年代の線」

なのだと。
テレビの向こう側での出来事。

「まあ、そういう世界もあるんだな…。」

くらいに捉えていたのですが…。
 
 
 
最近、もっと身近な世間で日常生活において関わる人々にも、

「年代の線」

をヒシヒシと感じるときが増えてきた。

世間の第一線で活躍し始めた人たちが、
年下になりつつあるということに気づいたのだ。
 
 
社会において、
いわゆる「世間の倣い」を着実に積み上げる人たち。

実社会における自分の位置とか、姿勢が染み付いてきて、
認知され、責任に見合った裁量が認められるようになってくる年代が、
ゆっくりと目の前を通り過ぎようとしている。

「本当に、自分も齢をとってゆくんだなあ…。」

と、しみじみ感じる時だ。
 
 
 
世間というヤツは本当に待ったナシで、
年齢というものも待ったナシで。

たとえ自分が動かなくてもどんどんウネル。
ウネってねじあがってゆく。

常に自分を積み上げていないと、
ウネリはうず高く、あっという間に見えなくなってしまうだろう。

なにも積み上げていない人間には、
世間は絶望的なほど冷たい。

そのかわり、
どんなものでも(悪事じゃない限りは)、
積み上げていればだれかが見ているというのもまた世間。

そこがけっこう面白い。
 
 
 
私も、これから迎える年代の線に恥じぬよう、
せめて何かを積み上げてゆきたいと存じます。

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逢えない時間が愛育てるのか?

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まあ、こんなことは我々だけではなく、
世間的にも割と普通だと思われるのですが、

相方の終業時刻が遅いのと、
(人件費は叩かれまくっとりますなあ…。)
私の方も昼間の仕事のほかに、
イラストの仕事がイイ感じにポツポツ入ってくるようになって、
(おかげさまで、ありがとうございます。)
お互い忙しい。

そこに持ってきて、
我々の場合、休日も合わないと来ているので、
逢えるのは大体夜10時以降ということになる。

普段、なかなか逢えず、
逢っても夜遅くてお互い疲れていると、
知らず気が立っていて、
些細なことでケンカになったりするわけですね。

まあ幸いなことに、相方が大人なのと、
私が忘れっぽいのでオオゴトにはなりませんが、
その頻度はカクジツに狭まってきているわけで。
 
 
 
人の関係って、液体ですね。
時に流れながら、熱くなったり、冷めてしまったりを繰り返して。

目まぐるしい温度変化の中で、徐々に、でも確かに沸騰してゆく。
それはやがて煮詰まって、蒸留される。

蒸留されたあとは、
分離してしまうものもあるだろうし、
新たな関係に精製されることもあるわけで。

私と相方の関係も、
沸騰の時を迎えている。

『蒸留の時』
がすぐそこに。

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大・散・財!

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普段、ガソリン代と食費以外にはほとんどお金を使わないこの私。

しかしごくごく稀に、
突如、「大散財スイッチ」が入ることがある。

先日、某スーパーにて、それは入った。
紅茶のハッパを買って、
ついでにチョコレートでも買おうかという時のことだった。

少し空腹だったということもあるのだろう。
見るものすべてが美味しそうに見えてきて、
次々と手を伸ばし、
買い物カゴに欲しいまま放り込まれるお菓子たち。

鼻息荒く、
瞳孔は全開。
顔はやや紅潮。

「どうしても必要」
以外のものにお金を使うという、背徳的快感。

お菓子の乱舞。
まさに、百菓繚乱。

そんな祭りは、レジに赴いたところで終息をみたのだが、
別段計算したわけでもないのに、
合計金額が4ケタに届かなかったのは、
やはり貧乏性のなせる業といえる。

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柔よく剛を制す

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先日、ムズリと鼻先にクシャミが装填された。

発射までに1秒ないし2秒ほどの猶予を感じた私は、
上あごにクシャミを搭載したまま人や食べ物のない着弾点を求めていたのだが、そうこうしているうちにあろうことかアクビまでもが発生した。

つまり、
クシャミとアクビが併発するという二大生理現象揃い踏みの状況に追い込まれたのである。

さすがに、アクビとクシャミを同時に催すというのは、
人生においても初体験であり、
一体これから自分の体がどういった現象を迎えるのか。

不可避事態へのおののきと、未知の出来事に対する淡い期待が、
顔面の中心で展開される奇跡の競演。

生理現ショー

を極彩色に染め上げた。
 
 
 
爆発的な出力を誇るクシャミ。
その力強さはまさに「剛」。

しなやかかつ流麗な呼吸をいざなうアクビは、
いかなるものも受け流す「柔」といえた。

剛と柔のぶつかり合い。
異種格闘技戦。
 
 
 
しかし、その勝負はあまりにもあっけなく決した。
序盤、クシャミが激しい勢いで口腔内に爆発させるための空気を吸い込み占拠。
しかし、アクビはいち早く眉間と鼻腔に殺到し、
クシャミの契機たるムズリを締め上げた。

それにより鼻腔周辺にあったクシャミは、
意識の根元から刈り取られた格好となり戦闘不能に。

先ほど吸い込まれた空気は、
アクビためのそれへと流用、併合された。

あり得べからざるタイミングの偶然が生んだ
二大生理現象による注目の一戦は、
おだやかなアクビがクシャミを完全に掌握、制圧し、
なおかつその力を利用しながら
優雅にその生理を完遂せしめたのだった。

ちなみにクシャミは、
アクビがパフォーマンスを終えてから数秒後に意識を取り戻し、
思い出したかのようにムズリとして負け惜しみのように爆発した。
 
 
 
自然の摂理は、やはり

「柔よく剛を制す」

のだと、今回の出来事を通じて
あらためて学んだことは言うまでもない。

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メガネ、冬の風物詩。

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メガネをかけている人で、
そのフレームが金属である人には、
大いに「ウンウン。」たる同意をいただけるはずなのですが、

冬の朝。
目覚めてメガネをかけるのに、少しのためらいがありませんか。
早朝の、清々とした放射冷却の空気にキンキンと冷やされたメガネ。

エイヤッと装着した時の、
あのツルと鼻あてから沁みこむツベタサ。

ダイレクトに脳に達して、
まるでカキ氷を食べた時のような「ヅ~ン…!」的頭痛に襲われる。

思わず、
「ひいっ…!」
という声が出てしまうくらい、
起き抜け冷却メガネは危険がいっぱいである。
 
 
 
メガネをかけているとさまざまなハンデが発生するものですが、
冬の早朝にも、こんな小さな不利益があるのですね。

せめて、鼻ツラとコメカミに冷気を感じることにより、
円滑な起床が促進されるならば、
視力矯正の思わぬ副産物たりえるのですが、
「ノド元過ぎれば…」というヤツで、
すぐに体温に迎合するツルはかえって安堵感を招き、
更なる二度寝への誘惑を強くするのだった。

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人工巨乳

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相方が怒る気持ちも分からないでもない。

がしかし、こちらの言い分も述べさせていただくならば、暖かい喫茶店の中で「マフラーの使用」を勧められれば、本来の「断・蓄熱」以外の使い方を模索しなければならないことは明白であり、思案の結果、第一に思いついた「人工巨乳」という発想へのマフラー投入は妥当であり、この件に関して頂戴した叱責、冷笑、ため息に関して、当方としましては甚だ心外という他なく、つきましては司法の場において、法に照らしての司法判断を仰ぎ、乾坤一擲、一歩たりとも退かぬ覚悟でもって闘争することをごめんなさいでした。

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耳付き頭巾。

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「編んでけっから。」

「似合い過ぎるって。絶対ソレ着たら可愛いもん。俺。」

「んだねえ。私、軽く嫉妬するね。『私より似合う…!』って。」

「だと思うよ。」

「んで?耳は何がいい?やっぱ犬?」

「いや、ネコちゃんで。」

「ネコちゃんなんだ(笑)」

「やっぱネコちゃんだろー。」

というような話を延々と書店で繰り広げる我々は、
ある意味バカップル。

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なんちゃって古田敦也参上!

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天然パーマ。
ハの字のいわゆる「とほほマユゲ」に、
たれた目じり。

そして、メガネ。

高校時代、
バイト先の先輩から言われたのが最初だったと思うのだが、

「トシさんて、ヤクルトスワローズの古田捕手に似てるよね~。」

とよく言われる。
 
 
 
こないだ、
たまたま気が向いたので、頭髪にドライヤーなど当てて、
キッチリ髪型をセットして出かけた。

そして、ソレを見た相方の第一声。

ルームミラーで確認してみたところ、
確かに似ている。

古田敦也選手に似ていると言われるのは、
非常に光栄です。

私も、ブログ記事での2,000本安打を目指して精進します。

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ちょっぴりヒモ気分

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相方と食事をするときの会計は、
ほとんどの場合、大まかに自分の頼んだものをそれぞれ払う。

しかし、たまに片方の手持ちが少なかったり、
お礼だったり罰だったりで、
どちらかがおごるということも当然あるわけです。

自分が出す時はまったく問題ないのですが、
相方におごってもらったりする時。
レジで支払う相方の後ろで、

「ごっつあんで~す・・・。」

とささやく私。
おごってもらうのはうれしいのだが、
やはりこのひと時はニガテ極まりない。

大変居心地悪く、
ひたすら居たたまれず、
激しく所在無い。

いかにも仕事帰りのOLっぽい相方と、
何を生業としているのかイマイチ判然としない格好の私。

絶対「ヒモ」か、
「無職で彼女に食わせてもらってるカイショナシ」
だと思われている気がして仕方がない。

違うんです…
違うんです…。

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記憶は時に研磨され、思い出となる。

先日のこと。
日テレ系「ドラマ・コンプレックス」という番組を観ていた。

その日は、犬との繋がりを描いたドラマをオムニバス方式で集めたという趣旨のものだった。

その中の一本に、

「ねえ、まりも」

という題名のドラマがあった。

 
始まる前のアナウンスで、
「涙ナシには観られない!」
などと言っちゃっている。

殊更そういうからには、きっと真正面から泣かしにくるのだろう。
そっちがそのつもりならこっちだってオメオメと泣いてたまるかという強硬な態度にも出ざるを得なくなる。

かつて、

「極東。鉄の涙腺」

と呼ばれたこの乾き目の真髄を如何なく発揮すべしと、
身体をややハスに構え、
飽くまでも横目で、
意識の余り分だけをかろうじて向けてやらなくもないぞよ的態度をもって画面を眺め始めた。
 
 
 
内容は、
なんのことはない、

少女がまだ幼い頃、もらわれてきた子犬。
同じ時の中で共に成長してゆくのだが、
いつしか子犬は少女を追い抜くように成長し、老いてゆく。

そんな、犬を飼っていれば当然のように流れる出来事を、、

少女は不思議そうに問いかけ、
子犬はもどかしく応える。

それらを囲むように、
切ない音楽と、台詞の無い情景が淡々と彩ってゆく・・・。
 
 
 

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ふぐおあぁぁぁぁぁ~~~~!!!
あ~~うあうあう!!!
だげでゅで(泣けるぜ)~…!

ぼう…、だべだっでどんだ、
ぜづだづぎゆっで!!!
(もう、だめだってそんな、切な過ぎるって。)

昔飼ってた犬たちのこと思い出しちゃったよ!

うほおおおお~~~ん!!!!
 
 
 
かくして、テレビの前にはあっけなく陥落した鉄の涙腺と、
涙と鼻水をたっぷり含んだティッシュが、
屍山血河を築いたのだった。
 
 
 
 
 
ウチがまだ街に住んでいた頃、
犬を飼っていました。

それも5匹。

犬ぞりのような散歩、
糞尿の世話、
犬同士のケンカの仲裁、
犬の声による周辺住民の反感…

本当に大変で、負担だらけだった。

「なんでこんなことしなきゃならんのだ。」

と思ったことも数知れず。

十数年、たっぷりと関わりきって、
最後の一匹を見送った時には、
悲しさや寂しさよりも、

「やっと終わった…。」

という、達成感と、安堵感のほうがはるかに大きかった。
そんな「記憶」。

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しかし、この

「ねえ、まりも」

というドラマを観ていて、
大変なだけだったその「記憶」は、
研磨され、精製されたかのように、
光り輝く「思い出」として蘇った。
 
 
思い返せば、
大変なこともそりゃあたくさんあったけど、
あいつらがいたからこそ感じたこと、
楽しかったこともたくさんあった。

なによりも、
十数年かけて命の一部始終と関わりきったという経験は、
非常に貴重なものだったのだ。

ドラマの終盤でも、

「こんなに悲しい思いをするのなら、もう犬なんて飼いたくない。」

という少女の言葉が、
子犬のおぼつかない想いと合わさって、

「でも、私はまた、犬を飼いたい。」

となった。
 
 
 
私も、
あんなに大変な思いをするなら、もう犬なんて飼いたくない…。
と思っていたが、

このドラマを観て思いました。

でも、私はまた、犬を飼いたい。
 
 
 
・・・5匹はカンベンだけどな。

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「言戯」刊行化!

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当サイト「言戯」が、 エッセイとして雑誌に掲載されることになりました~。

本日(11月18日)発売の、
ソフトバンク・クリエイティブ株式会社発刊
インターネットエンターテイメント情報誌

「ねっため」

の、付録小冊子「らぶろぐ」にて、
「相方の話」カテゴリより数話抜粋、
一挙18ページにわたり掲載されております。

いや~、しかし、
発売前に見本誌をいただいたのですが、
こうやって印刷に載っかると、
過去の記事はあまり読み返さないということもあってか、
描いた先から忘れているからなのか、
やたら新鮮に映って、こう言っちゃあアレですが、
私の記事もなかなか魅せるというか、
まるで他人事のように面白いなあ~というか・・・
(取りとめない文章)

ひとつハッキリしたのは、
自分の描いたもので本気の大笑いが出来るのは、
世界広しといえども私ぐらいなものだろう・・・ということですね。

まさに、果てしなき自画自賛の世界と言えなくもない。
 

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エ~、それとですね。
「らぶろぐ」表紙と裏表紙に、
4コママンガを2本描かせていただいております。

いわゆる、「表紙イラスト」と言うヤツです。

手にとれば、本表紙の次くらいに目に入るところですので、
是非是非手にとって、最寄のレジまで同伴くださいませ。

手にとって、戻しちゃいやん。
ですわよ。

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おひとついかが?

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個別包装になっているお菓子というものは、ただそれだけで
「おひとついかが?」的要素に満ち溢れているものですね。

私の部屋に置いてある袋入りチョコレートは、
入り口から入って真正面という絶好の立地も手伝って、
訪れる人訪れる人みんながつまんでゆく。

袋の中身は3倍のスピードで減ってゆきますが、
日常、思いがけず味わうチョコレートというものは、
格別に美味しいものなんですよね。

そう考えると、
我ながらなかなかステキな計らいと言えなくもない。

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正義の味方の現実

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ラジオから流れるパチンコ屋さんのCM。

最近のパチンコ・パチスロ台って、
一昔前、我々が親しみ、楽しんでいたマンガやアニメ、ゲーム
などをモチーフにしたモノが多いんですね。

優れたフィクションが時の流れに埋もれゆくなか、
再びこうやって新しい分野に移行してまた日の目を見られたというのは、大人の視点から見れば、むしろ喜ぶべきことなのでしょう。

しかし、
かつて「愛」や「勇気」や「正義」を高らかに謳いあげていた彼らが、
バクチの機械になってしまったというのは、すこし切ない気もします。

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程好いシヤワセ

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お金はたくさんあったほうが便利だけれど、
みんなが必要としているものだから、
たくさん集めるのは難しいものですね。

持っていないからこそ感じられるシヤワセというものは、
実はとんでもなく贅沢なのかも知れない。
 
 
 
…って、こういうことを貧乏人が書いても、
負け惜しみにしか聞こえないから説得力がねえんだよな。

でもまあ、
それもまた面白いと思う。

むふ。

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傘袋の問いかけるもの

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雨の日に、
少し大きめのスーパーや飲食店などの入り口に必ずと言っていいほど置かれているのが、

「傘袋」
である。

用途は、まあ、殊更言うまでもありませんが、
屹立し、濡れそぼった傘を挿入。
その飛沫によってもたらされる、大事な人や、
その周囲への多大な迷惑、被害を防止する効果がある。
(ただし、100%の効果を保障するものではない。)
 
まさに、大人としての身だしなみというか、
品位が問われるエチケットと言える。
 
 
 
しかしアレですね。
傘袋というものは、
どうしようもなくバツの悪さが付きまとうものですね。

傘の水気を簡単に飛ばして、施設に入る。
ヒョロヒョロと垂れ下がる傘袋から一枚引き取る。

歩きながら装着したのでは意味がありませんから、
どうしたって入り口付近で立ち止まって傘袋に取り組むことになる。

この位置が恥ずかしい。

次々に歩き去る人々。
そのほとんどが「傘袋」に目もくれない。

意外なことに、世間の傘袋装着率はそう高くないらしい。
みんな、「ナマ傘」から雫をポタポタさせている。

きっとあの人たちは、傘の扱いに慣れすぎてしまって

「今日は大丈夫。」とか、
「水気を外で出したから大丈夫。」

とか思っているのだ。

慣れって恐ろしいですね。
油断って怖いですね。
 
 
 
そんな人たちを横目に見ながら、
ヒラヒラと主体性のカケラもない袋の入り口に傘の先端をあてがう。
ビニール袋の入り口がなかなか開かず、
おぼつかない手つきでようやく先端を入れたと思ったら、
今度は傘の水気がビニールの内部で抵抗を起こし、
動かないわヨれるわの大騒ぎとなる。

この一人モタモタが恥ずかしい。

ついに装着たらしめたあとの、
ベタベタになった手もつくづく情けない。

このように、傘袋の装着というのは、
どう取り繕っても、洗練されない行為と言える。
 
…言えるのだが。

思うんです。

傘袋は我々に問いかけているのではないだろうか?

世の中がひたすら便利なもの、洗練された行為、
それだけを追い求め続け、
いつしかどこかに置き忘れてきた「何か」を、
傘袋はその存在をもって問いかけているように思えてならない。

そう考えると、入り口付近に突っ立っているあの姿が、
なんだかとても崇高なものに映り、
物言わぬそれこそが、
沈黙という名の雄弁を轟かせているような気さえしてくるのである。
 
 
 
しかし、どんなにまっとうな意見でも、
相手に伝わらなければ意味を成さない。

傘袋側にも少しは歩み寄る姿勢が必要だとも思うので、
最後に「もう一工夫」を提案して
今回の記事を終わりたいと思います。

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テキトー料理の結末

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ゴハンとケチャップと卵が舌の上で奏でるハーモニーは、
ゴハンと、ケチャップと、卵が、
たまねぎやベーコンやピーマンといった介在者を失って、
共通の話題を見つけられないまま横目にけん制し合っているような、
やけによそよそしい空気を醸していた。


作りたての湯気が立ち上りながら、
これほど寒々しい料理を食べたのは久しぶりだった。

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マナーと技術

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スパゲティが好きでよく食べるのですが、
どうも初手のフォーク刺突深度が大きすぎるようで、
あきらかに自分の口腔許容量を超えたスパゲティ・ボールが
形成されてしまう。
 
 
 
マナーというか、見た目の美しさ。
いわゆる芸術点としてはかなり減点の多い食べ方であり、
けっして褒められたものではない。

がしかし、
一口ではとても対処できないほどの量を一気に巻き込み、
しかもギッチリと編みこまれ、多少の振動や慣性にも動じないスパゲティ・ボールを作り上げるということは、技術点としてかなりの高得点をマークするはずだ。

まるでロウで形成されたオブジェのようにフォークの先に捕りついたそれは、強固に過ぎて皿に戻すこともかなわず、かといって口腔内に放り込めもせず、進退窮まって玉砕覚悟の咀嚼を試み、見事、スパゲティ・ボールは空中分解を果たし、その残骸は次の犠牲者の頭上に降り注ぐ。

スパゲティとはすなわち、
行くも地獄、戻るも地獄の択一的料理であり、
自暴自棄を具現化する食べ物なのではないか。

そういった料理に対する冒涜や陵辱を重ねているうちに、
だんだんと目は虚ろになり、鼻息は荒くなり、
スパゲティは相変わらず空中分解を続け、
モーナンダカ人生というものは、
堕ちることこそに快楽があるんじゃないかと、
誠実とか、実直なんてのは所詮、
偽善者の取り繕いでしかないんじゃないかと。

そんな心持ちになってくるわけなんです。
 

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つまりアレですね。

スパゲティで技術点を追求すると、
荒んだ気持ちになることもあるのでご注意ください。

ということです。

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校閲ボディブロー

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中途半端な知識と根拠のない自信。

この二つに油断という媒体が合わさって抽出される結晶体。
それが『うろ覚え』である。
 
 
 
相方と逢っている間、
間断なく繰り広げられる会話、
猫の目のように移りゆく話題。

そのなかでほんの一瞬現れる、

「うろ覚え固有名詞」

という名の隙を、相方は決して見逃さず、
訂正、突っ込みのボディブローをねじ込んでくる。

的確に急所を射抜くそれは、
徐々に私の足の自由を奪い、
ついにはダウン(落ち込み)を余儀なくされるのだ。
 
 
 
しかしまあ、
よくあんな瞬時に間違いを見抜き、
訂正できるものだと感心しきりを禁じえず、

「さすが、校正士…。」

という畏敬の念を抱いてしまうのです。

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圧縮娯楽

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映画もゲームも楽しいけれど、
拘束時間が長いのが難点ですね。

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目覚まし時計との決別

言うまでもなく、目覚まし時計というものは、睡眠の天敵である。

奴らはヒトの安眠を、貴重なひと時を断絶させるために生まれた、
ニックキ存在である。

「我々は、君たちに『睡眠』という猶予を与えているにすぎない。」

と言わんばかりの
あの、居丈高な振る舞いに、
毎週5日ないし6日は煮え湯を飲まされ続けているヒトも多いのではないだろうか。

我々は、睡眠という生物として欠かすことの出来ない生理行動を、
目覚まし時計によって管理され続ける悲しい一族なのかも知れない。
 
 
 
しかし。
恣意的な暴虐、専横は永遠に続かない。

いつの世もそれは、

「見えざる神の手」

のように、
揺るぎないものと信じられていたものを覆す存在が現れる。
  
たとえば目覚まし時計を超越した私のように。
 
 
 
ついに私は目覚まし時計を越えた。

目覚まし時計が発動するまさにその瞬間。
無意識裡に無力化する奥義を会得した。

これを、

『奥義・止掌背刺拳』

と銘する。

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これにより、目覚まし時計の支配から解き放たれ、
心ゆくまでの安眠が約束された。

勝ち得た自由には強靭な翼があり、
責任という枷(かせ)を無くしたそれは、
新たな横暴となる。

安眠はいつしか惰眠へとその姿を変え、
朝寝坊という社会生活における困難を招いた。

「見えざる神の手」
は、例外なく私にも及んだのである。
 

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私は、
目覚まし時計と、和解・共存の道を模索すべきなのだろうか?

『奥義・止掌背刺拳』
の、有効間合いの外に目覚まし時計を配置すればそれは叶う。

だが正直なところ、そこまでして起床したいとは思わない。
(起きなきゃならんのだが。)

勝ち得た自由と、不可欠な不自由。
人間の業は、いつも内なる天秤の上で揺れている。

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母性の発露…?

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ごめんなさい。

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ラーメン・ラビリンス(支那そばの迷宮)

「オレ、塩ラーメン。」

席に着くか着かないかの間。
メニューをチラリと見て、さっさと注文を決めた。

「早!っていうか、いっつも塩だよねえ。」

相方は半分あきれながら、自分の食べるものを決めるべく、
メニューを睨みつける作業に入った。
 
 
夕餉の時間をだいぶ過ぎた国道沿いのラーメン屋さんは、
マンガをおかずにラーメンをすするスーツさんと、
ひたすらパチンコの話しを繰り返す若者たちくらいなもので、
店内の湯気もややナリを潜めている。
 
 
 
周囲の様子を一通り眺め終えると、お冷に口をつけた。
やや上目遣いに相方の様子を探る。

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まだ、自分のオンリーワンを決めかねているようだ。

最近気づいたことなのだけれど、
飲食店における発注時の相方は、非常に思慮深く、慎重であり、
妥協を許さない。

自らの気分、体調、士気、所持金、好物、意外性、
同伴者多重発注回避、天候、時刻、季節、
気温、湿度などなどを逐一計算し、
多角的かつ総合的にもっとも適した品目を注文しようとしている。

頬杖をついて、低いうなり声を発し、眉間を曇らせている。
知らない人が見たら、具合が悪いのかと心配になることだろう。

しばらく黙ってその様子を眺めていたが、
そろそろ飽きてきたので、提案がてら声をかける。

「そういやあ、こないだ『次は塩にしよう。』って言ってたよねえ。」

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スルー。

残念なことに、私の声は相方に届いていないらしい。
彼女の意識は、今、この瞬間の己に最も合致したラーメンを選択することで満たされているのだ。
 
 
 
数分が経った。
席の向こうでは、相変わらず相方が唸っている。

いよいよ思考は熱を帯び始めたらしく、
メガネをはずして頭を抱えている。

テーブルの上には気まずい沈黙。
知らない人が見たら、別れ話をしているようにも見えるだろう。

しかし誤解しないでほしい。
彼女はラーメンで悩んでいる。
 
 
 
どうやら、候補はトンコツとタンタンメンに絞られ、
情勢としてはややトンコツが有利のようだが、
まだまだ予断は許さない状況。

無言でお手拭をいじくっていた私も、
久しぶりに相方の唸り声以外の声が聞きたくなって、
再び呼びかけを試みた。

「サチ!もう、これでいいんじゃねえ?『お子様セット』!ははは。」

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…非常に残念な結果となった。

出来れば、さっさとメニューを決めて、かまってほしい。
さもなくば、寂しくて死んじゃう。
 
 
 
その時。
相方がガバッと顔を上げた。

その表情には未だ迷いの澱みが残っているが、
ようやく何らかの折り合いがついたようだった。

「よし…うん。決めた!タンタンメンにする。」

悩みに悩んだ結果が、いつものタンタンメンである。

いつも、非常に悩む割りに、
最終的にはほぼ同じメニューだったりする。

直感発注型の私としては、
(一体、何を毎回悩んでいるのだろう…?)
と不思議でならないのだが、
もしかすると相方は、
「選択出来る」という贅沢を存分に楽しんでいるのかも知れない。

そして、食べ始めてからの決まり文句

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というのも、後悔すら賞味しているのかも知れない。

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車中の遺伝子

「車に乗ると、人格が変わる。」

という方、結構いますね。

気が荒くなる人や、やたらテンションが高くなる人。
オーディオに合わせて熱唱する人や、
鬱々と沈み込んでしまう人もいるでしょう。

考えてみれば車内というのは、
半ば密室が移動するようなものだから、
普段、外界で見せる顔とは違う、
その人の根っこの部分が現れるものなのかもしれない。
 
 
 
私の母も、車に乗ると著しく人格が変わる。
ただし、運転するわけではないので、
助手席で変わる。

車に乗り込んで、シートベルトを締める。

「忘れ物とかない?いくよ?」

「うん。いいよ。」

車がゆっくりと発進する。
パリパリという、小石の爆ぜる音とエンジンの振動音。
小さくかかっているラジオからは、
いつものFM局が街の情報を流し続けている。

「バリッ!!!」

助手席で、何かが破れる音がした。

「ぼりぼり!」

母だ。

待ってましたとばかりに、
お気に入りの「鬼かりんとう」を開封、咀嚼し始めたのだ。

「かりんとう、食べっか?」

差し出される黒いカタマリ。

「…いや、今はいいや。」

苦笑交じりに断る。
 
 
 
そう。
母は、車に乗ると人格が変わる。
「食いしん坊」になるのである。

普段はどちらかというと小食なほうなのに、
どういうわけか車に乗るとやたらお腹が空くのだという。

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そこでふと思い当たった。
 
私自身も車に乗っている時、よく食べる。
普段は割と小食なのに、車に乗っている時はバクバク食べる。
  

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何故、車に乗っているとお腹が空くのだろうか?
 
それは、母のクセが遺伝したものとも考えられるし、
単に、適当にアゴを動かしているほうが、
かえって運転に集中できる…ということもある。

車内の振動が消化器系に刺激を送り、
空腹を促進させるということもあるかもしれないし、
運転というリスクを伴う行為のストレスを紛らわす事への
生理的防衛策として、食欲が発露するとも考えられる。

まあ、一番は、
要するに運転中は必要な器官以外、割とヒマなので、
ちょうどいい暇つぶしに食べている…というのが大きい。

何かを食べていると、眠くならないというのもデカイ。
 
 
  
ちなみに、車中で食べて美味しいものの代表例は、

コンビニなどで購入できるジャンクフード類。
スナック菓子なども食べやすい。

甘味はアイスクリームがステキ。

ドライブスルーでのハンバーガー類も悪くはないが、
万が一、バンズと具の剥離、離脱が起きた場合、
運転に支障をきたすだけでなく、
衣服への被害も甚大なものとなる。

車内および衣服にもニオイが染み付くので、
あまりオススメはしない。

こないだ、あるニュースで小耳に挟んだのだけれど、
事故に遭いやすいドライバーの車内の匂いでもっとも多いのは、
ファーストフードのそれなのだそうだ。

別にファーストフードが悪いというわけではなくて、
きっと、そうやって食事をおろそかにしていると、
そのほかの様々なところまで「おろそか」が及んでしまうのだろう。

気をつけなくちゃなあ…。
と、この文章を書いていて反省しました。

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愛の試験~身を捨ててこそ~

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近頃の相方の愛情測定は、
己が身体を完全に預けるスタイルである。

ローテンションな情念の女なのかもしれない。

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ココログ大容量化!

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ウチのブログは、
niftyの「ココログ」というブログサービスを使っています。

それは、たまたま以前から使っていたプロバイダがniftyで、
会員なら無料で使えるから…という理由で始めたのがキッカケでした。

他のブログサービスを利用したことが無いので分からないけれど、
とりあえず、そんなに長時間サービス停止になったこともないし、
閲覧はまず切れないし、
動作も安定しているほうだと思うし、
ガマンできないほど重いということもなく、

とっても使いやすいと思っている。
 
 
 
ただ、ひとつ問題があるとすれば、
ちょっと容量が小さいということだったのですね。

実際、今利用している「ココログプラス」は、
記事の容量が100メガまでなのだけれど、
もう、そのうち80メガくらい使ってしまっていたのです。

このペースだと、
だいたい来年の中盤には容量オーバーしちゃうなあ…
と、ぼんやり困っていた。


きっと、時期的にそういう人が他にもたくさんいたのでしょう。

ココログさんがまさにナイスタイミングで
使用可能ディスクの大容量化を実施してくれました。

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なんと、100メガから一気に5ギガ!(「ココログプラス」の場合)

おかげで、約80%だった使用済み容量が、
ほんの1.6%くらいになりました。

3年分の日記帳を買ったら、
アフターサービスで50年分のページを追加してもらったようなもの。

どんだけ描けんだ…。
というくらい、途方も無く大きな容量を用意してもらったわけです。

なんだかすごく得した気分で、
こういうニクイ演出というか、上手い商売が出来るから、
デカイ企業になるんだな。

と、ひねくれた感激を禁じえなかった。

いやでもホント。
とりあえず容量の心配が無くなったのは非常に嬉しい限りです。

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自分の描いたものって、
たとえ上手くなくても可愛いものですから。

っつーわけで、ココログさん、グッジョブ!

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カリスマのバリカン

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以前は無料だった姉のバリカン理容師も、
来たるべき大増税時代の影響か、一気に

0円→3,000円という価格の高騰を果たしていた。

1分1,000円。

時給換算で60,000円/時間。

どんだけカリスマ理容師だよっていう話し。
 
 
 
まだまだ自分にはカリスマは早い。
ということを悟ったので、
普通の床屋さんに行こうと思いました。

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需要と供給

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我々の相互嗜好に関する需要と供給は、
見事なほどに合致していない。

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バックのセクハラ

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「クルマをバックさせている時、運転者がステキに見える。」

というのはよく聞く話しですね。

なんでも、さりげなく背後に回された手に頼もしさを感じ、
真剣な横顔、眼差しにやられるのだとか。

確かに、クルマのバックというのは、
マニュアル車のセカンドからサードに切り替える時と並んで、

「運転者の見せ場」

と言える。
 
 
 
相方と出かける際。
ほぼ100%、クルマなものだから、当然駐車場では
その「ステキな動作」を披露することになる。

しかし、相方は見とれたり、惚れ直したりするどころか、
正面を向いたまま動きの取れない私に対して、

腹を揉む、
胸を揉む、
耳の穴に指を突っ込む、
脇をつつく、
乳首をクリックする…

などのセクハラ行為を仕掛けてくるのだ。
まさにやりたい放題。

「何故、貴女はそんなことをするのですか?」

とたずねたところ、

「スキだらけだから。」

という答えをいただいた。
キミはアレか。
格闘家か。

バックしている間というのは非常に危険な時間だから、
本当にやめてね。
とお願いしたことは言うまでもない。

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