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小学校の変貌

e-0786

先日、小学校へ行きました。
子供を入学させるためでもなく(いないしね)、
ましてや自分が入学するわけでもなく、
出張陶芸教室の講師としてPTAの希望者数名に、
陶芸をお教えするという仕事があったためだった。

久しぶりに入る小学校。
もちろん、自分の出身校ではないけれど、
独特の匂いや、
やけに清々とした空気など、
諸々の雰囲気が懐かしく、
見える景色だけが自分の意識を小学生のそれに変え、

段差の低い階段や、
腰を低くかがめないと使えない水場、
使用するのに工夫が要るミニチュアの机や椅子などの違和感が、
なんだか自分だけが急に大きくなってしまったような、
ガリバー的孤独感をひどく感じてしまった。
 
 
 
違和感といえば、小学校は大きく変わりましたね。

まず、校内へ入るのに、チェックが厳しくなった。
職員室で日付、氏名、入校時間を書いて、バッジをもらわないと
入れないという。

これは、ここ最近の陰惨な事件の影響でしょうが、
以前と比べて、学校というものがより世間と隔絶されたような、
異次元の度合いを増したような、
そんな感覚を覚えました。
 
 
 
子供の数も減りましたね~!
結構な街中の小学校だったのですけど、
一クラス20人くらいしかいないのではないでしょうか。

昔は一クラス50人弱はいて、
それが7~8クラスはあったものですが。

少ない子供が教室の中央に机を寄せているため、
教室の四方が大きく開いているんです。
その不自然なスペースに「少子化」というものが
むっつりと座り込んでいる様を目の当たりにしました。

まあ、自分も今現在、
実際、親になろうかという年代にいるわけですが、
今の時代、子供を持つってのは相当の度胸が要りますからね。

子供を持つのは「ぜいたく」という風潮さえあるのでは・・・?
という感じもします。

 
 
 
そして、もうひとつ。
とても驚いたことがありました。

それは、
「授業と休み時間の境が曖昧になった。」
ということです。

チャイムが鳴って、授業が始まりますよね。
私が小学生だった頃は、子供はいっせいに教室に戻って、
先生が入室し、

「ハイ、それでは国語の授業をはじめま~す!」
となり、日直の子が

「きり~つ!れ~い!ちゃくせ~き!」

ガタガタガタ…と、そういった儀式というか、
キチンとした境目があったわけなのですが、
それがないのです。

子供はチャイムが鳴っても急ぐでもなく、
ゆっくり歩いて平気で先生よりもあとに教室に入ってゆく。

たまたま私の見たところだけがそうだったのかもしれませんけれど。
これには驚きました。
 
 
 
さらに驚いたのが、

「授業中、さしたる用事もないのに教室から出歩く子がいる。」

ということ。
自分の小学生だった頃は、授業中に教室の外に出るのは
急に気分が悪くなった時とか、
トイレがどうしてもガマン出来ない時とか、
とにかく、非常事態が伴っていたものです。

みんなが授業を受けている時の廊下は独特の静寂に包まれていて、そんな中一人歩いていると、なんだかとても悪いことをしているような、ワクワクのようなドキドキのような、
今思えば子供なりの背徳感があった。

しかし、今は違うんですね。
気分に任せて席を立ち、教室の中をうろうろしたり、
廊下をトコトコ歩いたり。

教員も、その子に対して何を言うでもなく授業を続けているのです。

これは、新聞などで話を聞いたことはありましたが、
実際見たのは初めてで、しかも、それが一人や二人じゃない
ということにも驚きました。

自分の頃は、今よりもはるかに人数はいたけれど、
こういう風に徘徊する子供はいなかったなあ・・・。

どんなに風変わりな子でも、最低限、授業は座って受けるという
ルール以前のものだけは守っていたと思う。

反感を承知で書きますが、
授業中、教室内をうろうろしている子供というのは、
まるで人の形をしたケモノのようでもあり、
とても不気味に映りました。
 
 
 
ここに書いたことは、私がたまたま垣間見た光景を、
自分のあの頃と比べて書いているものであり、
もちろん、それは全貌ではないと思うし、
見方が偏っているかもしれないです。

それに、いろいろな人の試行錯誤の途中でもあるとは思います。

これから、同じ世界で関わってくる次世代の人間たちの
養成区を見て、色々と考え込んだということだけ、書いておきます。

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コメント

初めまして。いつも楽しく拝見させていただいています。
私も周りから最近の学校について聞いてはいましたが、
「授業中、さしたる用事もないのに教室から出歩く子がいる。」
には驚きました。
もちろん、すべての学校でそうだとは思いませんが、少なくともそういう学校があるんだなぁと。
私の時代とは授業や学校に対する感覚が変ってきているのだなぁと考えさせられました。

投稿: なまい | 2005/09/21 02:08

はじめまして。nakaと申します。2ヶ月ほど前から拝見させていただいています。
あんまりショッキングな話なので思わず初書き込みせずにはいられませんでした…

自分には、感覚が違ってきたとか個性を尊重するとか、悠長な話ではないかもしれないということがひしひしと伝わってきました。

縦揺れとかヒップとかおのろけとか(笑)、ホッとする・笑う話の中にこうした現実を突きつけられるといつもよりさらに考えさせられますね。
「言戯」…う~ん奥が深い…!!

投稿: naka | 2005/09/21 05:38

久しぶりの書き込みです。

いろんな要因はあるのでしょうが、単に「画一的といわれるのを恐れるだけ」という気もしてきます。
他人(ひと:教師であろうと他の児童であろうと)が話しているときは聞くというのは、最低限のルールだと思うのですが。

相手に聞いて貰えるように話す技術も、少なくとも指導者には求められるし、それがないからウロウロする子がいても放っておくしかないのかなぁ。

寿さんも何度も書いていらっしゃるように、たまたまご覧になった一面かもしれませんが、何となく淋しい気がしました。

投稿: | 2005/09/21 06:44

すごい話ですね…。
寿さんが「反感を承知で」と書いた一文に、私が漠然と感じてきたことが端的に表されている気がしました。

「最低限のルール」を身につけなかった人間に対してそれを説くのは本っ当に神経がすり減る苦行なので、自分が教師だったらと考えるだけで胃が痛くなりそうです。

じっと座っているほうの子供たちはどう思っているんだろう。

投稿: あひる | 2005/09/21 07:09

我が子が小学校を卒業してからでもウン年経つのですが、廊下を歩く子はさすがにいなかったと思います。が、授業中に落ち着きのない子はいました。親の立場から見れば(どうにかしてよ!)みたいな本音があるのですが、意外に子供たちは気にしていないのですね。慣らされているのかもしれないですが・・・いまはさまざまな要因や○○症候群といったような新しい病原もあり、イチガイに性格とは言えない場合もあってとても難しい問題です。
幼児期に兄弟や近所の子どもとじゃれあったり、ケンカしたりという機会がなくなったことにも一因があるような気もしますがガマンができない子が増えていることは事実です。

投稿: じゃこ | 2005/09/21 07:24

はじめまして。
ずいぶん前からのぞきに来させて頂いてるんですが(実はおのろけ日記のファンです!)、初めてコメントします。

小学校で子どもが歩き回るのは私が大学生の頃(数年前)から、“わりと普通”のようです。幼稚園での「自由保育」(時間割をもとから決めずに子どもがやりたいようにカリキュラムを流動化させる?)が流行って以来その弊害だと言われているのですが、授業中という決まった時間帯ではちゃんと座っている、ということが子どもたちの中では”普通”じゃなくなってしまうケースがあるという風に教わりました。自由保育の全てが悪いわけじゃないでしょうし、全ての学校がそうってわけじゃないと思いますが。
小学校教諭をしている友人に本当にそうなのかと聞いたことがあるんですが、「あーそんなん普通普通。でも私は叱るけど」と言っていました。

長々とすみません。

投稿: ソラ | 2005/09/21 08:35

ボクもトシさんと同世代ですし 同じ場面に遭遇したら感想を持つと思います
学校っていうのは我慢を学ぶ所だって言われてましたねぇボクのときは
親と先生以外人は自分のために叱ってはくれないぞー

投稿: ひー | 2005/09/21 08:41

トシさんはじめまして
私は6年前まで小学生で現在小学生の弟がいるのですが・・・こんな事のある学校があるというのははじめて知りました、なんだか背筋が少し寒くなった気がしました
トシさんたち親の世代とは違いまだ自分自身が未熟な兄の世代として何かできることはと考えてはみましたが
結局思い至るのは「自分とその弟のことで手一杯」でした、難しいものですね

投稿: サンマ | 2005/09/21 08:54

初めての書き込みです。
前々から読ませてもらってました。今回の話
を読んで・・・
私の母は小学校教師なんですが(1年担任)
授業中に立ち歩く子はやっぱりいるそうです。
ADHDなどの子供は、ジーッと座ってる事が出来ないそうです。
授業中、トイレから帰って来ないと思ったら、水道で遊んでた、とか。
母も、なるべくこちら側に気を向けさせようとはするんですが、どうしても担任1人ではカバー出来ない部分もある、と。
前に、登校途中で遊んでしまって(!)学校に来ない子を教師皆で探してたら(母も教室を別の人に頼んで探してた)
他の親から苦情がきたそうです。
「1人の子の為に教室を留守にした、授業をどうしてくれるんだ」と。
動く子に対しての対応は中々教師1人では難しいのが現状みたいです。

投稿: みー | 2005/09/21 09:14

みーさんがおっしゃるとおり、
先生一人では「面倒見きれない」状態が現状だと思いますね。

授業中に勝手にしゃべる、うしろを向いて座る、
先生もいっしょうけんめい対応されてますが、
全部の子どもを同時におとなしくさせるのは
本当に大変そうです。

それと学校にいって、もうひとつ驚くのは、
授業参観中に携帯で話したり、おしゃべりする親がとても多いこと!
授業中の子どもと普通に会話する親もいます。

学校のありかたも問題かもしれないけど、
それ以前に家庭の教育力の低下が恐ろしくなりますね。

投稿: Kei | 2005/09/21 10:46

「それが一人や二人じゃない……」、元風変わりな子の俺もこうなってくるとなんとも言いようがないですな。
教室を勝手に出た彼を「人の形をしたケモノ」にしてしまったのも我々の責任かもしれません。それは、「衣食足りて礼節を知る」とはいいますが、今は「衣食いいかげん、礼節教えず」に世の中がなってきているのではないでしょうか。
しかし、「座禅を組ませる」「正座をし書を認める」などの「心の徳目」を高める教育を行えば自然と礼儀作法は身に付くと思われますが、これは理想論ですかね、やはり。最も俺は「礼儀」「一般常識」の無さで苦労はしているので、この出歩いた彼には「人は見てるぞ」という同類相憐れむの様な感情は持ちますね。


投稿: Q@N デイリーさくら | 2005/09/21 11:05

はじめまして。
私は2児の母ですが、これが現実です。
上の子が5年生の時、学級が荒れ、一時期、担任、保護者、他の先生がいつも教室で授業を見守っていました。
先生の指導力にも問題がありましたが、家庭での教育にも問題があったのではと思う今日この頃です。
あれから5年、当時の事を子供に言うと「反省している」と言う言葉が返ってきました。
結局今の子は昔の子供にくらべて精神的にかなり幼いのではないかと思います。
トシさんが親になった時には、是非この体験をいい方向へお役立てください。

投稿: sara | 2005/09/21 11:31

こんにちは!

ボクはちょくちょく小・中学校に仕事で出入りすることがあるのですが、なんと言いますか、寿さんの書かれたような雑感を日々考え、人に話しては首を傾げざるを得ないこのごろです。

大人になって学校を見ればそりゃあ観点も変わるし教員や生徒との関わられ方も違うのでなんとも言えませんが、少なくとも教育の現場とは簡単に「こりゃどうなの?」と簡単に批判なり賛同なり出来ない難しい現状が垣間見れますね。大変そうです。

いいな!と思った例は・・
まず、教職員や出入りの業者、父兄等、行き交う大人に対する生徒の「挨拶」はずいぶん励行されてるなあと。丁寧、乱雑はおいといて、どこの学校行ってもおっきな声で挨拶されることは最近になってからかなあ。ボクが子供の頃は挨拶についてうるさくしつけられた覚えもないし、大人になった今、逆に子供のほうから挨拶されると気おくれしちゃったり(汗

あと、最近はコンピュータやデジタル家電等、子供にも身近になったテクノロジーを積極的に工夫して授業に取り入れてるとこが各教室で見受けられます。別に時代についていくことが大事なんじゃなくて、グループ発表や掲示物に生徒の趣味や個性が反映されてて、自由な創意工夫が見てとれますね。ややもするとめんどくさい、難しい研究も、表現する手段ごと楽しみ、興味を引き出すような課題だったりしてね。

今度は疑問点・・

まず職員室。というか大人。
僕みたいな民間企業というか営利団体とはやはり全く違います。
発注、依頼の仕方なんて「はあ?何様?」って思うこともしばしば。教職員が壊したものでさえ「早く直しに来いよ」的態度、約束取り付けて行けば行ったで学校の状況によって簡単に約束が破られてしまいます。

確かに生徒を預かる身で、しかも未来の社会を左右する人間を育んでいかなくてはならない最もナーバスな現場なんで、教職員のプライドなり背負ってるものがそれなりなのは承知してますが、ね、外との関わり方についてもっと視野を広げて欲しいと思うんです。閉ざされた環境の中なんで仕方ないのかもしれませんが、対生徒、対教職員同士の態度はあくまで学校の中で成り立つこと。学校出ちゃえば「大丈夫?」って心配させられる社会性が欠如した大人が多くて不安です。

あと子供のこと。
ショックを受けた光景は枚挙に暇がありませんが・・

掃除について注意され、逆ギレしてほうきで教員を叩き追い回す生徒。なにも言えない教員。

「なあなあ、オッサンの仕事もうかる?」って僕に聞いてくる低学年の女児数人。

「それってアテツケかよー?」って難しい言葉が飛び交う7歳児の教室。

3年生女児「ラブホテルって10回言って!」
俺「なに?なんてこと言うのだ!!どんなとこだか知ってるのか?」
3年生女児「いいから言って!」
俺「・・ラブホテルラブホテルラブホテル・・」
3年生女児「今何回言った?」
俺「10回?」
3年生女児「えーーー!ラブホテルに10回も行ったことあるのーー??」
俺「・・・・・」

教室一同爆笑

とか・・

低学年男児A「お前生保入ってる?」
低学年B「いや、まだ。俺死んだって親はカネいらねんじゃね?おまえ死んだらいくらガッポリ?」

とか・・


子供は家庭のアラワレでもあって、家庭の行い、しつけ、価値観がそのまま学校というソサイエティですんなり通っちゃう。授業中の立ち歩きもいい例で、わがままっていうよりも子供にとっては当然の行い、発言。家庭とガッコウのギャップが大きすぎて、画一化された倫理なり抑止力すら疑問視されちゃう昨今。

メディア、情報が多様化、規制緩和で、子供が受け入れる、発信する情報も今と昔じゃ段違い。。。それをメディアの汚染のせいにしてるようなことも聞かれますが、僕はこう思います。
「メディアの内容なんて今も昔も同じ。違うのは、子供にとって必要、不要の切り分けが親が出来てない」

ほんと今の僕ら親の世代って、好き勝手ですからね。昔は行儀よく、勉強はなるべく出来て、勉学以外の素養、たとえばなにかのお稽古を複数してるとか、そんなことが親が子に与え、社会に対するステイタスだったような。今は「ウチはウチ」感がもっと強いですね。

んなもんだから、バランバランな規範の家庭から子供が集まって、教室はいよいよ多国籍化してますよね。ざわついてきたら誰かが「しーーーーっ!」って言って、まわりは「ヤベっ!」って言ってオトナシクなったもんです昔は。今はざわついたって関係ない、教師が静かにして欲しい理由を明らかにしてはじめて子供が納得するみたいな・・・

んでそこで更に子供たちはいろんな価値観や家庭のアラワレを垣間見て吸収しちゃうんです。今朝はこんなこと言ってた子供が、別の価値観をもって帰ってくるみたいな。

・・・先生だったらどうすりゃいいんだ・・って思いますよねえ・・
だってものを壊してる子がいて「コラっ!ダメだそんなことしちゃあ」って怒れば生徒は「はあ?なんで?」だもんね・・
「壊しちゃダメ」って思ってた子は「いいんだ」ってなっちゃう。

長々書いちゃいましたが、一番わからないことは「筋合い」って奴です。
もう誰も他人についてなにもいえないのかな?って思います。叱ったところで、その筋合いは?って聞かれちゃうとねえ・・・物事の是非も自由は自由でいいのですが、画一的ななかで育った僕らは逆にその殻を破るのが怖いのでしょうか?

不適切な個人的見解もあるかもしれませんが、みなさんの意見も参考にしてみたく書きました。よろしくおねがいします。

投稿: acky | 2005/09/21 12:32

以前、トラックバックさせていただいた大学の教員です。

教室が崩壊していると聞いていましたが、ここまでとは……。
あと5年もすれば、教え子となる学生もまったく変質してしまうのかも…と恐ろしくなります。

投稿: フラスコ | 2005/09/21 12:49

寿さんこんにちは☆

学校っていうのは変わったんだなぁなんてまたもや思っちゃいました。
前に思ったのは順位を付けない運動会。
そして今回の徘徊する小学生はさらにびっくりしました。
こういうのが我慢出来ない子供達を作り上げるのではないだろうかと感じてしまったのは考えすぎなんでしょうかね?
これが一部の学校の話だと信じたいもんです。

投稿: はる | 2005/09/21 14:27

「授業中、さしたる用事もないのに教室から出歩く子がいる。」

このエントリで初めてこういう子供がいることを知りました。
私は、児童福祉系のボランティアのようなもの(いまいち曖昧)をしていますが(なのにこういう事を知らないなんて…)、その活動の中でも、人の話しをしっかりと聞けない子、何回注意しても同じ事を繰り返す子、ホントに最近の子供は我慢が足りないというか、最低限の約束事すら守れないというか…。
先述の活動を始めて、ある程度年月を過ぎてから思ったことは、『教育は学校だけでするものに非ず。』
いろんな親と接し、またいろいろなメディアで現代の親の姿を見てきましたが、どうも『教育は学校で行うもの。』と勘違いしている親が多いと思います。自分の家庭での教育を棚に上げて、『学校が悪い、行政が悪い。』いったい何を言っているのかと。
私は、学校(特に小学校)は第一に集団生活を学ぶ場だと思っています。躾云々は家庭で行うべきものだと。
私にも子供が1人いますが、今回の寿さんのエントリを読んで、家庭内の教育の大切さを改めて考えなければならないなと思いました。

長々と取り留めのない文章ですみません。
このエントリを登校してくれた寿さんに感謝。

投稿: で~すけ | 2005/09/21 15:02

最終行:登校→投稿
…orz

投稿: で~すけ | 2005/09/21 15:03

こんにちは。
僕も6年ほど前に教育実習で、同じ現場を見てきました。

当時はまだこういった教育が「最先端の実験」のようなものだった気がします。

「児童中心学習」という考え方を知り、実際に教育実習を受けてみて、当時の僕はこの現状をとても「あり」とすることは出来ず、進路を考え直すことになりました。

教師も問題ですが、彼等は結局サラリーマンなのだなと思います。
僕が問題だと思うのは、大人。大人が社会を作り、子どもを育てています。大人がこういった方針にNOをつきつけられないから、学校はそれとして進めています。

こういう現状をもっと世間に問うて、考える必要があります。

僕自身、これから子どもが出来たら、学校にはもう一任できないと思っています。

投稿: プラト | 2005/09/21 15:34

ADHA(注意欠陥多動性障害)、学習障害、の子供が多くなったといいます。普通目には皆と変わりないから、そのような子供がいても黙っているときは隠れている。特殊学級がないなどの理由で、普通教室にいると、そのうちイヤでも目立ちます。
サラリーマン先生、行き過ぎた熱血先生。
教師も、生徒も、相性の悪い人に当たったら、一年間無事にすぎるのを我慢するしかないのかな、とあきらめます。

投稿: まきち | 2005/09/21 16:15

こんにちは。
私の地域の小学校では(全国的なことは分かりませんが)、男子も女子も全て苗字に「さん付け」で呼ばせています。
子供同士の間でもそうですが、体格の良い熱血教師が、悪ガキ(失礼)相手に、「田中さん、止めなさい。」と、注意をするのです。
「田中!何やってるんだ、止めろ!」で、いいのではないかと、私個人としてはそう思うのですが。
校長先生曰く、「言葉から入ることも大事。さんを付ければ、自然と言い回しが優しくなるし、生徒も落ち着くと言う統計がでています。」
との事。
寿さんの記事からふとそんな事を思い出し、時代の流れでは済まされないような不気味さを感じました。

投稿: すず | 2005/09/21 17:41

…コメント群を拝見して、ちょっと胃にきちゃう感じで
申し訳なく感じてしまいました。
私はADHAとかではないし、けして若くないので1クラス40人前後の時代でしたが、小学校低学年の頃はふらりと廊下にいたことのある生徒でした。
特に嫌なことがあった訳でもなく。先生からももちろん注意されましたが廊下から教室を眺めるのが一番安心する子供でした。
1年生の2学期にはだいぶ無くなりましたが。
あの頃、なんの理由もなく「教室の中に居場所がない」
と感じていたことと、どこかで注目を集めたいと思っていたこととがあったように思います。
要は「理性」がちゃんと育っていなかったのでしょうね。
今の子供はどうなんでしょう?
興味はありますが、大人になると子供ってなんだか怖いんですよね…。

投稿: caco_betty | 2005/09/21 22:17

履き違えた自由とジェンダーを押しつける日教組とアダルトチルドレンな親が悪いでいいんじゃないでしょうか?

投稿:   | 2005/09/21 22:53

はじめまして。
いつも楽しく拝見しています。

長い時間集中できない子供は増えているそうです。
病名の付く場合もあります。
寿さんが見たのがそういう子だったのかどうかはわかりませんが、もしそうでも、教師がその子達に声もかけずにというのは変ですよね。
クラス全員を細かく見るのは難しい事だとは分かっていますが、それでも「ちゃんと見てるよ」という姿勢は保って欲しいものです。

投稿: nao* | 2005/09/21 23:27

 はじめまして。
 保育士をしています。

 今、保育の現場もどんどん変わってきています。
 上のコメントの中で自由保育について書いてある部分がありました。
 人それぞれ、解釈の仕方があるので、自分の考え方が合ってるなんて傲慢なものは持ってないのですが。
 そこについて、少し書かしていただけたらと思います。

 「自由保育」なんて言葉を使うと、子どもは好き勝手して、自分のしたいことだけをして、したくないことはしなくていい。と、取られがちです。
 確かに、自分が小学生だったころのように、画一的には出来ない状況になってきているのは現実です。
 親の価値観、生活リズム、家庭環境・・・原因なんて挙げだしたら切りがありません。
 あぁ、今の親は・・・とか
 最近の若い者は・・・とか
 昔は・・・と語りたくなるのももっともです。
 でも、今現在それが起こっている以上、なんとかして対応しなくてはいけないのが現場です。
 嘆いてる時間なんてない。

 そのための対応策として出来たのが、幼年期からの保育だと思っています。
 保育の基本は心育てだと思っています。
 心が育ってこそ、人を愛せるのだと。
 相手を思いやり、何にでも意欲的に取り組み、失敗からだって前に進む。
 そういう源は、すべて心の育ちだと思います。
 ADHDやLDなどの障害により、芽が摘み取られることもある。
 親からの虐待は育児放棄によって、人を信じられなくなり、傷つけることで自分を守るしかなかった子どももいる。
 そんな子どもの一人でも多くを、心の豊かな子にしてあげたい。
 未来は輝くものが必ずあるのだと。
 たとえ、今どん底にいても、這い上がろうと思えるだけの勇気の種をまいていきたいのです。

 なかなか、こういう話題は、狭い世界の中でしかやり取りできていません。
 現に、今まさに現場に立っている人ですら、目を背けている人もいます。
 でも、やろうと前を向いている人もいるのです。
 だから、少しでもみんなに知ってもらいたい。
 我が家は違うから。
 うちの子は、大丈夫。
 そんな考え方ではなく、少しでも小さな心を救えるように、手を貸してもらいたい。
 人を育てるのは人しかいません。
 動物に育ててもらえても、心は育たない。

 少しでも、多くの方に今の現場の気持ちを知ってもらいたく、長々と書いてしまいました。
 だいぶテンションあがっちゃって文章はめちゃくちゃになってますが、一人でも多くの方の目に留まれば幸いだと思っています。

投稿: moomin | 2005/09/22 00:48

知り合い、というか恩師で、中学の特別教室の教師がいます。僕の時代はそんな切り口がなかったせいか、フツーの個性的な教師だったんですが、いつの間にかそれ専門になってて。
先日話をしたら、「今度ホストの演劇をやることになったので。お前の持ってるシェイカーを貸せ」なんてことになりました。
詳しくたずねると、虐待が原因(?)で自閉症になってた少年がなんだかのキッカケで自信を持ち始め、気に入った女性(主に美人教師)にやたらと言い寄るようになったので、ホストの道を教えたところその気になってしまい、収支をつける意味でもロールプレイっぽい学芸会をすることにしたんだとか。
今回のエントリとは直接は関係ないんですけど、まだまだ捨てたもんじゃないカスタムな教育現場もあるってことを。

そんなエラそうなコメントをしながらも、離婚を想定してる3児の父だったりして。
世の中、一筋縄ではいかない!

投稿: ニコラウス | 2005/09/22 01:38

こんばんわ。ずいぶんROMっておりましたが、初コメントいたします。

授業中、勝手に教室から出て行く…というのはまさに私の想像を絶する状況で、恐ろしい気がしました。

私はまだ結婚もしていませんし、教育といえるものもしてはいませんが、親世代の人たちが学校に子供の教育を押付け過ぎなんじゃないか、ということは以前から感じていました。

もしかしたら、子供と同じように、親も、先生も、社会も、昔に比べたら幼いのかもしれませんね。みんな未熟だから、うまく後世を育てることができないのかも。

歯車が狂うというのは恐ろしいですね。誰のせい、どこに原因があるといって済ませられる話しではなくなってきたような気がします。

つい最近、母校の中学校にふらっと立ち寄った際、後輩たちは見知らぬ私(というか不法侵入者か!?)に挨拶をしてくれました。
お客さんには挨拶をするようにという教育が徹底してるのかもしれませんが、学校教育の惨状ばかり聞いていたので、ちょっとほっとしたのを覚えています。

投稿: おで | 2005/09/22 02:37

「管理人」を付けてしまうと、一区切り付いたような感じになってしまう気がしますので、敢えて外します。

さまざまな立場にいる、さまざまな視点からのご意見をありがとうございます。

コメントのひとつひとつが、とても濃密で、しかも読みやすく、よく伝わるものばかり。

大変勉強になりましたし、こういう人たちに読んでもらってるウチのサイトって本当にシアワセモノだなあ・・。

と、感激しております。

記事は自動的に更新され、下がっていってしまいますが、このような美しいツナガリの記事は、是非これからここを訪れる方々にも読んでいただきたいので、サイドバー「言戯オススメ記事」にアップすることにします。

他の記事同様、コメントどしどし募集しますので、ご意見、ご感想などお寄せください。

~管理人@寿~

投稿: 寿 | 2005/09/22 08:15

いつも楽しく拝見しております。
ウチには3歳の息子がいますが、 ちょっと近い将来が不安になるような内容です。
この延長で 日本は大丈夫なのでしょうか?

投稿: 切磋たくま | 2005/09/22 23:23

コメント数の多さが皆さんの危機感の強さを表しているようで、チョッとほっとしました。
でも危機感ばかり募って、現状が変わらないのがここ数年の日本なのではないでしょうか。

考えてみると、昔の大人って、いい意味で「子供っぽかった」と思う。
私の父親は、私が高校生になっても「喧嘩ならオレの方が強い」とか「おまえにゃ負けん」とか言ってました。親戚の伯父さんも同様。若い者に負けてたまるかって気概に満ち溢れています。
自分の周りだけかもしれないけれど、頑固で意地っ張りの分らず屋が多く、若者と衝突しまくり。だからこそ秩序やバランスが保たれてきた気がします。
それに比べれば、自分も含めて今の大人たちはずいぶんと物分りが良くなったのではないのでしょうか。ブログやサイト、インターネット、テレビ、書籍等々を用いて知識は飛躍的に増大し、個性や自由の名の下、非常に理知的な人間が増えてきました。

でも、それって子供の方が得意な分野なんですよね。
「書生論議」(死語かな?)に代表されるように学生は理屈っぽいんです。巷に「天才少年」が良く出てくるように子供は知識に貪欲なんです。
勝てるわけがありません。

むしろ我々大人たちが、子供達に示すべきは「優しさ」「誇り」「意地」「厳しさ」「情念」・・・理屈では割り切れない何かを伝えるべきなのでしょうか。

ドーキンスの「利己的遺伝子」ですが、動物ってすごく「合理的」に生きています。基本的に、生きて自分の遺伝子を残すために行動し、それ以外のことはしない。寿さんの感想を読んで10年前に読んだ本を思い出しました。
我ながら嫌なんですが、今の子供達と時々ダブってしまうんです。

今の日本は物と情報にこんなにも溢れているのに、それ以外のものがない。子供に与える何かがない。

長々と身勝手な感想を述べてしまい、申し訳ありませんでした。でも願わくば自分の周りにいる子供達だけでも、ケモノになってしまわぬよう、一人一人が行動していけたらイイですね。


投稿: ハグラー | 2005/09/23 01:20

二度目の投稿です。最初の投稿の後で、多くのかたがADHAの可能性について触れていらっしゃり、それを思いもしなかった自分を反省しました。昔と違うのは教育やモラルだけじゃなく、病気など様々な事情が明らかになってきたという点もあるんですね。

投稿: あひる | 2005/09/23 04:52

 娘通信さんが昔、行き過ぎたジェンダー教育と平等教育が日本をだめにするというエントリーを書いておられたので紹介しておきます。

東京の公立学校の先生が自分の子供は私立にやるというとんでもない事態が進行してますね。すこしはまともになったんでしょうか?

投稿: kokoro | 2005/09/23 14:19

気分に任せて徘徊…それを注意すらしない教師。
最低限の礼儀・常識すら教えられないのなら教育って一体なんなんでしょうね?

投稿: cattail | 2005/09/24 10:49

はじめまして。
当たり前と思っていることが
『当たり前』のことではなくなってきている
そのことに危機感を感じることが
しばしばあります。

学校だけの問題ではなく
躾をも学校でして行かなければいけない現状
(もちろん全ての子がではありませんが)
そのものが 危うさを象徴しているように
感じられてなりません。

投稿: 碧空 | 2005/09/24 23:44

小学生の子供を持つ親として、非常に興味深く読ませてもらいました。
真白は小学校で、読み聞かせなどをしているのですが、話としては聞きますが、そこまで目立った行動の子供は見たことがないです。
大人に対する態度・言葉の使い方が出来ない子が多いですが、お話をしていると、やはり子供らしくかわいさを感じます。

ただ、先生にカッターを向けた子供がいるとか・・・という話は聞きました(びくびく)

最近の子供は沢山の情報に囲まれています。良いことも悪いこともインターネットで簡単に調べることができるのに、その情報が良いものか悪いものかの判別がつかないのです。
その判断基準を教えてあげるのが、親であり教師なのだと思うのです。

しかし、現実には、希薄な親子関係があり、教師の指導に対する過剰な親の反応があります。
叱られて当然のことをした子供をしかることなく指導した教師を責め立てる。新聞やTVなどで偏った報道の仕方をすることも問題なのだと思います。

頭をコツンとやっただけで、「体罰だ!教育委員会に訴えてやる!!」となってしまうのです。そんな親を見ている子供の判断能力が歪んでくるのはある意味当然とも思います。

家庭で教えるべきことも、教師に任せている親のなんと多いことか。
最低限の常識、ルールって、家庭で教えることではないのでしょうか?

その最低限の常識がない親御さんが非常に多いと感じます。
授業参観中に携帯が鳴り響き、子供の姿を見るために来ているはずなのに、隣の人とずっと喋りっぱなし。
子供達は授業受けてるんですよ?


まず、自分が子供のお手本になれるような大人にならないといけませんよね^^;


そして、ADHDやLDに対する周囲の理解も必要だなぁとも思います。


・・・何だかまとまりがありませんが^^;
これって凄く大切な事だと思うので、色んな視点から考えて行きたいですよね。


投稿: 真白 奏 | 2005/09/25 09:03

この寿さんの言戯の次の日。22日。
奇しくも文部科学省から「生徒指導上の諸問題の現状に関する調査結果」(平成16年度)が公表されている。
追記事にベネッセコーポレーションの調査「授業中に歩いたり教室外に出る児童」が「増えた」とした小学校教諭は、全体の37.6%。
学級崩壊につながる小一問題・・・っていうそうですね。
家庭教育の低下に原因があるとのこと。親のありかたですか。
家庭で会話の時間が減る、家庭で思いを発散できない、家庭の営みが軽んじられ子育てがぞんざいになった等。。。

だからどうしたらいい。
先生はどうしたらいい。
親はどうしたらいい。


私の子どもは10代後半。
自立を促す最終時期に入りました。
子育ては、親も共に育っていくこと。自分達が生きてきた財産だけではやっていけません。
自分が育った時代には存在しなかったものも含め、ほんとうにすべてが全く初めてのことなのです。
だから、一番世の中のことに敏感でありたいといつも思っています。
人生のフィールドは仕事をしていた時と比べ物にならないくらい広がりました。
ともに悩むし、忍耐もあります。
試されているって感じる時も多いです。
でもうれしいこともたくさんあります。

先生も同じ。自分の今までの財産だけでは、教師はできません。
書物で学ぶか人から学ぶ。どんな方法をとってでも、今の現状をどうにかしましょうという考えはいつも持っていてほしいです。
今問題がなくても、いつでも対処できる準備はしていてもいいのでは?

子どもが小1のとき、こんなエピソード。
うわばきで帰ってきた息子。
どうしたのかな・・・と先生から電話「校庭で犬のふんを踏んでしまったので、靴を洗いました。・・うんがついてよかったねって(笑)いっておきました。」
中1の時の英語。I am sorry.=「私はソーリーです」と訳した・・・しっかり×でしたが、笑った!!とのコメント。
先生って仕事はおもしろいです。こどもっておもしろいです。


だいぶ主旨とはなれてしまいました。申し訳ない。

寿さんにも将来、もしも子どもを授かったら、いっしょに絵をかいたり、陶芸したり、散歩したり、・・・そんななにげない日常がいとおしくなる子育てしてほしいです。恐がらずにね。

投稿: rieono | 2005/09/26 10:46

お邪魔します。

 授業中徘徊していた子供達が大人になった
ら、「自分が低学歴で低収入に甘んじなけれ
ばならないのは、親が適切な教育を怠ったせ
い」と親を訴えるであろう、間違いない!

投稿: ブロガー(志望) | 2005/11/20 21:49

もうずいぶん昔のブログなのでこのコメントが読まれるかどうかわかりませんが…。
小学校では、最近、軽度の障害のある子を普通学級で生活させ、障害のある子とない子とを日常的に関わらせることを行っているところも増えています。
自閉症などと同じように先天的な脳の障害により、私達とは認識の仕方や感覚から違って、じっと座っておくことのできない(意味が分からない)子供もいます。
もちろんクラスの他の子達の理解を深めた上での話ですし、担任も、見守りつつ授業を進める…といった感じでしょうか。
もちろん寿さんの見た子供がそうであると言う保証も、その小学校がそのような指定校であるという保証もありませんが、「しつけ」や「環境」に起因するとは限らない可能性もあることを、一言記しておきたかったので、コメントさせていただきました。
もし的外れでしたら済みません。
(ただ…意外に、先天的なものに起因する行動異常の子供は、それほど少数というわけではないこともわかってきています。気付かれなかったり親によって隠蔽されることも多いです…)

投稿: まるりん | 2005/12/16 10:30

もうずいぶん昔のブログなのでこのコメントが読まれるかどうかわかりませんが…。
小学校では、最近、軽度の障害のある子を普通学級で生活させ、障害のある子とない子とを日常的に関わらせることを行っているところも増えています。
自閉症などと同じように先天的な脳の障害により、私達とは認識の仕方や感覚から違って、じっと座っておくことのできない(意味が分からない)子供もいます。
もちろんクラスの他の子達の理解を深めた上での話ですし、担任も、見守りつつ授業を進める…といった感じでしょうか。
もちろん寿さんの見た子供がそうであると言う保証も、その小学校がそのような指定校であるという保証もありませんが、「しつけ」や「環境」に起因するとは限らない可能性もあることを、一言記しておきたかったので、コメントさせていただきました。
もし的外れでしたら済みません。
(ただ…意外に、先天的なものに起因する行動異常の子供は、それほど少数というわけではないこともわかってきています。気付かれなかったり親によって隠蔽されることも多いです…)

投稿: まるりん | 2005/12/16 10:32

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