伝わった!
つい先日のこと。
私の開講している陶芸教室に、二人の女性が訪れた。
一人は中国系アメリカ人のJさん。
彼女はホームステイで日本へ来たそうだ。
そして、もう一人がそのステイ先のAさん。
日本人である。
外国人に陶芸を教えるのは初めての私は、意思疎通のやり様を求めて日本人のAさんに尋ねた。
「あのう。彼女(Jさん)は、日本語しゃべれるんですか?」
「ああ~、彼女は英語と中国語とスペイン語しかしゃべれないのよー。」
「…ああ、それだけ話せれば十分ですね。」
とりあえず、日本語による接触は諦めた方がよいことはハッキリした。
日常会話程度の英語が出来るAさんがついているので教える分には問題ないだろうとは思ったのだが、なにしろこれだけマトモに外国の方と交流するのは初めてのことである。
私の日常では、滅多にあることではない。
つまり、チャンスである。
なんとか直に意思の疎通を図りたい。
出来うることなら、陶芸を通して日米間の交流を温めたい。
そんな欲求が、むくむくと胸のうちに膨らんでくるのを感じてしまったのだった。
しかし、物事を伝えるというのはそんなに甘いものではなかった。
英語なら、それなりに単語は知っているし、それを繋げていればなんとかなるだろうと多寡をくくっていたのだが、日本語の中で使われる英語と、本場の英語では発音がまったく違うらしい。
あまり通じないのだ。
仕方がないので、Aさんに訳してもらいながら、それを真似て言葉による接触を試みる私。
相変わらず英語はあまり通じなかったが、奥の手として繰り出した「絵」は、実に有効だった。
「OK、OK!」
の言葉が増えた。
それと、「身振り手振り」。
意外なところでは「擬音」も効果を発揮する。
「絵」や、「身振り」や「擬音」での交流なんて、とても現代とは思えないような原始的な伝達手段ではあるのだが、それだけに「伝わった」時の驚きや嬉しさは、格別であり、新鮮であった。
普段の自分は、周囲にいる人たちに対して言葉が通じるのが当然で、すれ違いや行き違いこそあれ意思の伝達に苦労を感じることはあまり無い。
それだけに、言葉という便利極まりないものに対する慣れが、知らず知らずそれの使いようをぞんざいにして、「伝える」という事の重心を浮かせていたのかも知れないと思わされた。
心がだぶついて、言葉の重心が浮くと、言葉の通じる相手にだって伝わらなくなるもんね。
だからこそ!
「伝わる」ということは、こんなにも嬉しいんだ!
という再発見があった。
これは、割かし大変な発見だと思ったのです。
無事、コーヒーカップを作り終え、退室する間際。
Jさんの
「アリガトウゴザイマシタ。バイ。」
という挨拶と、
私の
「サンキューベリーマッチ!」
という挨拶は、ある意味あべこべではあったが、大変貴重な体験をさせていただいたことに本心から感謝したことは言うまでもなかった。
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コメント
寿さん,こんにちは。
「伝わる」って,うれしいですよね。
ぼくもたまたま昨日,「伝わる」経験をしました。
とっても,うれしかったです。
「伝わった!」
投稿: ガンジー | 2005/06/27 07:14
で、どんな?
投稿: 管理人@寿 | 2005/06/27 09:24
絵と、ジェスチャーと、少しの英単語
ぶっちゃけその通りです!
ましたも、初めてオーストラリアに来たとき
半分ぐらいそんな感じでした
てか、今でも、ジェスチャーの癖は抜けてませんが!
交流って、伝わったときが1番うれしいですよね!
投稿: ました | 2005/06/27 10:36
う~ん。Jさんに対する個人的な印象は書かれていませんが非常に好感度が高い女性だったということは想像に難くなく、この記事はその部分を割り引いて読む必要があるのではないだろうか。熱心の度合いは相手への好感度に比例する。間違いない(笑)。
投稿: 惑 | 2005/06/28 01:32
>ましたさん
そうなんです!
でも、伝わらないと焦るんです!
腕から風きり音がするくらい、ジェスチャー大会でしたよ!
>熱心の度合いは相手への好感度に比例する。間違いない(笑)。
そりゃあ、相手がオッサンだったらここまで熱心にコミュニケーションは図らんよ・・・。
・・・
あ!ウソウソ!
人類皆兄弟!!
ニイハロー!
投稿: 管理人@寿 | 2005/06/28 08:45