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ノロケで獲る天下

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「輝く!日本ブログ大賞2005」にて、「イラスト&おのろけ部門大賞」をいただきました。
ナイスネーミングセンス!
あらゆる意味でサプライズ!!

一族郎党、仲間内に、

「俺はノロケで天下を獲った」

と声高に喧伝してゆきたい所存でございます。
 
 
 
スタッフの皆様、お疲れ様でした。
ノミネートしてくださった方、推薦してくださった方々、誠にありがとうございました。
 
 
 
「言戯」管理人:寿

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差別と分別と区別

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たろーさんのブログから。

「人権擁護法案」

についての問題提起です。
何が問題なのか、分かりやすく教えてくれるサイトは「たろぐ」で紹介されておりますのでそちらをご覧ください。
 
 
 
「差別」は良くないことですが、区別と分別までごっちゃになるようなルールはもっと良くないと思います。

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相方と友と不穏な空気。

昨日の日曜日は、やや風は冷たかったものの好天に恵まれ、すっかり春の陽気が満ちていた。

その温かさに誘われてか、ウチの店にもお客さんが大挙して押し寄せ、昼間は久々にランチやピザでてんてこ舞いとなった。
 
 
 
そんな忙しさも一段落した3時過ぎのこと。

私のいた工房に、姉が飛び込んできて

「トシさん!相方ちゃん来てるよ!」

と伝え、去っていった。

そんな話は聞いていなかったので、驚く私。
相方は、高校時代の女友達二人を連れてウチに遊びに来てくれたのだった。

急いで手を洗い、相方たちのいるところへ向かう。
相方ご一行は、寄ってたかってウチの飼い猫にジャレついていた。

私が部屋に入ったことに相方はすぐに気づいてくれたが、友人二人は相方に促されるまで気づかなかった。

可愛さと存在感の序列で猫に遅れをとったことに、内心軽くくず折れる私。
 
 
 
相方の友、UさんとTさんは、以前にもお会いしたことのある顔見知りである。
たしか、Uさんと会うのは3度目であり、Tさんは2度目だが、ブログを開設しているので、ちょくちょく覗きに行って、近況など知っていた。

とりあえず、コーヒーなどを運びつつ、挨拶と軽い世間話をねじ込むチャンスをうかがう。

女性が二人以上集まって話しているところに、男が割って入るのは非常に困難な事業である。
独特の緊張を強いられる。

しかも、3人は旧交を温めているのだ。

そこにズカズカ入っていくのはあまりにも無粋というものだろう。
私はそれとなく遠巻きに様子を窺いながら、チャンスが来るのを待った。
 
 
 
しばらくした頃。
ふと思い出話が一段落した瞬間を見出した。

(ここだ!)

と、すばやく滑り込む私。

手にしているピザは、会話の輪に入るキッカケと、ささやかなお祝いの品である。

「エート、コレ。良かったら食べてください。」

と、相方の横からにじり寄る。

「わー!ありがとうございます~!」

そろって喜んでくれる相方&友二人。
これだけ喜んでくれると、作った甲斐があるというものだ。

(よし!)

内心、機をつかんだと確信し、言葉をつなげる。

「Uさん、就職おめでとうございます。」
Uさんは、今年美術関係の仕事が決まり、関東方面へ行ってしまうらしい。
ということを、以前相方から聞いていた。

「わー、ありがとうございます~。」

「あ!あとTさんも、最近イイことがあったようで。」

ニヤニヤしながら切り出す。

「そうそう。」
相槌を打つ二人。
赤面し、うつむくTさん。

Tさんは、つい最近恋人が出来たらしい。
そのラブラブな様子は、ブログで読んで知っていたので、思わず冷やかしたくなるのが人情というものだろう。

私は重ねて聞いてみた。

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「ん?どーなんですか?誰にも言いませんから。」
調子に乗って、完全に下世話なオッチャンと化している私。

Tさんは、ひたすら言葉を濁していた。

その時である。
背後から、不吉な一言がボソリと聞こえてきた。

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「・・・・・・。」

何故かは分からないが、冷や汗を禁じえない私。
場には湿度の低い沈黙が舞い降りている。

「・・・ははは。」

友二人の乾いた笑い。

「・・・ははは。じゃあ、ごゆっくりどうぞ。」

私は引きつった笑いを残し、そそくさとその場を後にしたのであった。
 
 
 
季節は春。

日は眩しく、風は温んできているけれど、空気には微量の不穏が含まれている。

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KCさんと会った!

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「季節はずれ」と呼ぶにはあまりに本格的な雪が降りしきっていた昨日のこと。

「KC観察記」の管理人さんであるKCさんとお会いした。
はるばる岩手県から訪ねて来てくださったのである。

考えてみると、ブログを通じて知り合ったブロガーさんと、実際にお会いするのは初めてのことだったと思う。

「ブログ」というものが無ければ、もしかすると一生接点の無かったかもしれない人間がこうして会えたというのは、
実に不思議な「縁」を感じてしまうのです。
 
 
 
「ブログには、書いている人間の性格がにじみ出る。」

という話をよく聞く。

「本当かしら?」

と思っていたけれど、実際にお会いしたKCさんはまさにブログのまんまだった。
とても人好きで、人を楽しませることで生まれる

「良い連鎖」

を大事にしている人なのだという印象を受けた。

その意識が、自分のためにではなく、周囲の人間、住む地域に向いているということが、
「志(こころざし)」となるわけなのですね。

ウムウム。

世の中にはいろんな人がいるけれど、中でもこういう方とお会いできたのは、大変な収穫でした。
 
 
 

厳かな名刺交換から始まったKCさんとの対談は、囲炉裏端でのまじめなブログの話、報道の話などを経て、
場所を移してのテレビによる楽天イーグルス観戦から、最後にはお互いネタの応酬による談笑へとなだれ込んでいった。

なんだか、(リアルでは)初対面とは思えない気の置けなさ。
ほんの2時間ちょっとでしたが、とても楽しい時間でした。

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今度は私の方から岩手県まで行ってみたいと思います。
いや、ホント。
この「出不精癖」を治して。
 
 
 
 
あ、帰りしなにいただいた

「三陸海の幸セット」。

貴重な食料提供に、家族一同、手をたたいて喜んでおりました。
 
 
KCさん、ご来訪誠にありがとうございました。
きっとまたお会いしましょう!

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チャイナドレス!!

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それはあまりにお約束過ぎるグッジョブであり、あまりにメジャーであるがゆえに、主に淫靡関係に用いられることが多くなってしまったがため、これを描くべきかどうか、大いに悩み煩悶したんです。

しかし、
「やはりあの感動は特筆モノだよな。」

という結論のもとに今回のグッジョブについて敢えて触れてゆきたいと思ってしまったのです。

そうです。
もうお気づきかとは思いますが(主にタイトルで)、今回のグッジョブは

チャイナドレスなのですね。


 
 
あれはまだ、街中の寒気が本格化する前の頃。
私は、街に用事があって地下鉄の駅に降り立った。

そこの駅は百貨店の地下にあり、改札を抜けた最寄の出口から直接入店出来るようになっている。
私ははじめだけ自発的にエスカレーターに乗り、ゆるゆると地上へと運ばれ、その百貨店の1階に無事搬入された。

百貨店の1階は、大変な人ごみである。

出店している業種と、高齢化社会を反映してか、女性と老人が多い。
そのどちらにも属さない自分に、少し居たたまれなさを感じた。

その時である。

出口へと急ぐ私の行く手に、ひときわ鮮やかに異彩を放つ人影があった。

朱色に近い鮮やかな色合いに、金色、白、ピンクの刺繍。
半袖のセミロングタイプ。

チャイナドレスとの邂逅(かいこう)である。
 
 
 

チャイナドレスさんの手には数十枚の紙が抱きかかえられており、それを店内をゆく人に配っているようだった。
右手には東洋雑貨のお店がある。

おそらく、その店の従業員さんか何かだろう。
 
 
 
私は思いがけないチャイナドレスさんとの出会いに感激し、すこし狼狽し、にじみ出る笑みを禁じえなかった。
出来ることなら、間近のベンチに陣取って両手で頬杖を就きながら、小一時間ばかり鑑賞していたいくらいであった。

さすがにそこまでじっと見入るのは、チャイナさんに迷惑だろう。
私も恥ずかしい。

しかし、チャイナさんはある程度目立つためにああいった格好をしているわけであるから、見てやらないのも失礼に当たる。
っていうか、見たい。

そこで、お互いのやむなき事情(?)をかんがみ、折衷案として、

「出来る限りゆっくり歩きながら観察する。」

という行動をとることにしたのである。
つまり、「牛歩作戦(懐)」である。
 
 
 
チャイナドレスというものは、グッジョブである。

しかし、体の線がハッキリ出ることと、脚線を強調するスリットの存在からか、どうしても公序良俗に反しているような意識を持ってしまう服装である。

あまり人前では見てはいけないもののような気さえしてしまうものである。

「大陸的な色気」

をかもし出すチャイナドレスは、独特の後ろめたさも手伝って、

「加速度的グッジョブ」

を演出しているのだ。

ゆっくり歩いていたら、チャイナのお姉さんがチラシをくれたのですが、

「どうぞ~。」

と言われて、

「ども~、んふ。」

と思わず笑みがこぼれてしまい、不審がられたのはここだけの秘密にして欲しい。

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甘蹴り!?

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先日、雑用を片付けるべく街を歩いていたときのこと。

人ごみを歩く私の前から、一組の男女が歩いてきた。
その二人は、雰囲気から察するに恋人だと思われるのだが、非常に仲むつまじい様子が見て取れた。

なにしろ、並んで歩きながらお互いのお尻や足元をひたすら蹴りあっているのである。
つまり、ミドルキックとローキックの応酬である。

私の視界に入った時にはすでに蹴りあいは始まっており、すれ違って人ごみに消えるまで、ずっと蹴りあっていた。

おそらくあのあと、どこかのレストランに立ち寄っても蹴りあい、メニューを決めながら蹴りあい、お冷を飲みながらも蹴りあい、食事しながら蹴りあい、会計中も蹴りあっていたに違いない。

蹴りあうことが、互いのキック力を確かめ続けることが、彼らの愛情表現であり、お互いの想いの丈を知る方法なのだ。

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動物の愛情表現には、「噛む」というものがある。

いわゆる「甘噛み」というものである。

母乳をもらっていたときの名残なのか、
口という大事な器官の中に相手を入れるという形での信頼の表れなのかは定かではないが、

相手に自分の脚を預け、不安定な体勢をさらすということでの愛情表現。

つまり、

「甘蹴り」

というものを目の当たりにしたのである。

(愛情というものには実にさまざまな形があるものなのだナ。)

と深く考えさせられたことは言うまでもない。

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会心の一撃

昨晩のことである。

私と相方は喫茶店での談笑を終え、帰路に就くべく駐車場に停めてあるクルマへと向かった。

3月も中旬。
昼間は厳しさの和らいだ春の風が吹くが、夜風はまだまだ冷たい。

「サムイ、サムイ」

と連呼しながら、急いでエンジンをかけ、ヒーターをかけたのだった。
 
 
 
低くうなるエンジンとわずかな振動の中、寒さを紛らわすべく話をしていると、

「手、貸して。」

と相方が手を差し伸べてきた。

「ん。」

左手を預ける。

両手で包む相方の手は冷たい。

「うわあ、あったかいねえ。どうしてこんなにあったかいの?」

と尋ねる相方に、私はすかさずこう答えた。

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「おお~!言うねえ~!!ようやった!!」

驚愕の顔。
手をたたいて拍手喝采する相方。

「だろ!?今のは『会心の一撃』だったよな!!」

ガッツポーズで己の功績を誇示する私。

「でも、『君』ってところにまだ照れが感じられるな。」

と、わざわざダメ出しする相方。
飽くまでも満点はやりたくないらしい。

それよりも、もっと根本的な問題は、
時たまこういった

「ホームラン的発言」

が飛び出しても、そこから「いい雰囲気」に発展しないというところにある気がする。

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駄菓子の後悔。

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少し前のことになる。
相方と連れだって、行きつけのショッピングモールの中を歩き回っていると、和風小物を扱うお店の片隅に、

「駄菓子コーナー」

が新設されているのを発見してしまった。

私の世代よりも、少し前くらいの駄菓子屋を再現してみましたといった感じの商品陳列棚には、駄菓子がところ狭しと敷き詰められ、あるものは寝ることも許されず立たされ、もっとも酷いところでは側壁に吊るされている者すらいた。

その一角は、主に懐かしさを主眼に商っている事があまりに明白で、しかも、そのターゲットとなる年代に、我々はしっかり入っている。 
 
湧き上がる興味と、甘酸っぱいような懐古の念。
しかし果たしてやすやすと胸襟を緩めてよいものだろうか。

店側からの「まんまと」に乗せられたくはない・・・。
ただただ警戒し、逡巡する私。
むっつりと黙り込み、思案に暮れていると、横にいたはずの相方はいつの間にかツカツカと歩み寄り、淡々と駄菓子たちとの旧交を温めていた。

「・・・・・。」

(ウム。これでは仕方がない。)

相方をダシにして、後ろ手に組んだまま遠巻きから少しずつにじり寄ってゆく私。

「ホーホー、ドレドレ。」的な尊大的態度で相方の横に貼りつく。

飽くまでも、
「連れの付き合い」的「ショーガネーナ」的な色合いを崩さないことで、「まんまと感」に対抗する手段を得た。

しかし、棚の前に立って数秒。
「どんどん焼き」の懐かしい袋を目の当たりにした瞬間に、矜持は失われ、「ホードレ」的尊大は失われ、胸襟は全開となった。

気がつけば、私は「キャッキャ」的童心を取り戻し、備え付けの小さなカゴに次々とその昔食べ慣らした駄菓子を放り込み、相方にそのお菓子にまつわる逸話を解説し、聞き流されていた。
 

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ひとしきり目ぼしい駄菓子をカゴに収めた我々は、それを持ってレジへ向かった。
カウンターの向こうでは、妙齢のお姉さん店員が待ち受けている。

いざ会計の段になって気づいたのだが。
この歳になって、駄菓子のみを買うという行為は、思いのほか恥ずかしいものである。

まず、明らかに子供用と思しき小さなカゴに駄菓子を満載したものを提出するという

「おままごと」的行為が恥ずかしい。

(しまった、はしゃぎ過ぎたか!)

という事実に愕然とする。
これを「羞恥の事実」という。

思わず、おずおずと店員さんの顔色および表情を窺ってしまう。
少しでも苦笑の雰囲気が感じられた場合、椅子を蹴って退出せねばならない。
(座ってないんだけどね。)

そういう穏やかならざる決意を固めざるを得ない雰囲気があった。
 
 
 
お姉さんは、無表情に黙々と一つ一つの駄菓子を丁寧に取り上げ、その金額をレジへ打ち込んでゆく。
その金額が、恥ずかしさに拍車をかけている。

20円・・・

30円・・・

10円・・・

子供の頃は、50円なら50円の範囲内で収まったことに誇らしささえ感じたものであったが、
大人になってから10円単位の買い物をするというのは、想像を絶するほどの精神的苦痛を強いられるものだったのだ。

(大人として、箱買いすべきであったのか・・・?)

という悔悟の念が湧き上がってくる。

相方の購入したアメが、たった一つで「100円」という数字をたたき出した時など、久々に見る3桁に胸をなでおろしたほどである。

この時ほど、デフレの世間が恨めしく、インフレが待ち遠しかったことは無い。
 
 
 
商品の数の割りに、一向に増えていかない累計金額に焦りを感じつつ、

「ピッ」

と鳴るたびに降り積もる後悔。
私はただただうつむいて、説教のような会計が終わるのを待った。

そして、ようやくすべてのお菓子が袋に詰められ、レジの合計金額表示窓に

「475円」

の数字が浮かび上がったのである。
 
 
 
心なしか、レジのお姉さんも疲れているように見えた。
確かに、これほど張り合いなく、砂を噛むように味気ないレジ打ちもそうないであろう。

こちらも、近年これほど購入して申し訳ないと思った事はなかった。
私はいそいそと小銭入れから500円玉をつまみ出して手渡し、心の中で

(ごめんね。)

と謝罪する私をよそに、相方は空気ポンプを握ると、「ピョコン」と跳ねるカエルのオモチャの購入是非を5分ほど悩み、断念していた。

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「言戯」一周年!

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本日、3月22日を持ちまして、当ウェブログ「言戯」が、めでたく一周年を迎えました~。

これからも、描ける限り描き続けていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
「言戯」管理人:寿

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新聞掲載してた!!

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先日、共同通信社の記者様からお受けした取材の記事が、地元の新聞に載らないとくず折れきっていた私に、朗報が届いた。

それは、当ブログのコメント欄にJINJINさんの手によってもたらされたのであった。

「今日の河北新報朝刊に載ってますよ~。」

それを読んだ私は、椅子を蹴って転ぶように部屋を飛び出し、今日の朝刊を散らかし始めたのである。
すると、新聞のちょうど真ん中あたり。
コラム欄に混じって、確かにその記事はあった。

「おおおおおお!!?」

感動を隠し切れない私。
すぐさま相方にメールを打つ。

「今日の新聞に載ってるよ!見て~!」

最近気づいたのだが、私は何か嬉しいことがあると、まず相方に報告を打っている。
まるで、投げられたボールを咥えて戻ってきて、得意満面になっている犬のようだ。

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そして、取材をして記事を書いてくださったH記者にお礼のメールを打った。

 
 

紙面の扱いは、思っていたよりも大きくて、ちょっと照れくさかった。
しかし、犯罪ではなく、(おそらく)全国の新聞に名前が載るというのは、なんとも気分がいいものである。

何度も読み返して、ニヤニヤしていた。
 
 
 

正直なところ、はじめは

「なんで今頃?」

とも思ったのだが。

しかし、すぐにそれは素人の浅はかさだと気づいたのである。
河北新報さんは、三連休の最終日。
もっと読む人が多いであろうところを狙い済まして記事を打ち込んできたに違いないのだ。

なんと、ありがたいことだろうか。
さすがとしか言いようがない。

私は、感涙を禁じえなかった。

この新聞は、私の宝物の一つにしたいと思った29の春である。

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比べちゃダメね。

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昨日のこと。

我が家の囲炉裏スペースをメイン会場に、日ごろお世話になっている方々を集めての大食事会&飲み会が開催された。

手巻き寿司を中心に、メンチカツ、串カツ、てんぷら、サラダ、おでんなど、脈絡の無いメニューが展開される会場中央部から、参加者が思い思いに好みのモノを取り、それぞれにグループを作り、大いに飲み、酔態をほころばせている。

その会場の片隅に、私の姪っ子たちにバレエを教えてくださっているマイ先生と、その彼氏がいた。
二人とも19歳。
なんとも若いカップルである。

相方は、

「10コ下で19歳ってのは、ちょっとショックだよねえ。」

と呟きながら、眩しそうにその二人を眺めている。
おそらく、自分の19の頃と重なる部分もあるのだろう。

私は、

(19歳から誰かと付き合おうなんて思うのはスゴイなあ・・)

と考えていた。
自分が19の頃なんて、一番人間と付き合うのがイヤでイヤで仕方がなかった頃である。
薄暗いパチンコ屋の中で、ぼんやり光る機械とにらめっこしながら、一日中うずくまっていた。

だから、少し前まではこういう若い恋人たちを見たり、相方の話を聞いたりすると、

「自分には無かった」

という悔しさやうらやましさを感じていた。
そういう経験に乏しい自分に、どうしようもない劣等感があったのである。

しかし最近、

(それは違うんだな。)

と思うようになった。
その頃の自分にとって、一番価値があったのが「一人の時間」だったのだ。

感じていた後悔は、世間大半の人の価値観に合わせたものであって、自分の価値観ではなかったのだ。
シヤワセというものは、比べてしまうと輝きを失ってしまう。
もともと、比べるものではないのだ。

つまり、
一人でいることにシヤワセを感じていた自分と、その他のシヤワセを比べること自体に間違いがあったのだ。
 
 
「自分に必要無かったから、選ばなかったのだな。」
 
 
と、最近、ちょっとだけそう納得できるようになった。

世間にはいろんな人がいて、自分もその「いろんな人」の一人なんだなあ・・・。

と、ようやく一つ分かった気がしたのである。
どうも自分は勘が良くないようで、こんな簡単なことに気づくのにエライ時間がかかってしまった。

イヤ、まったくお恥ずかしい。

 
 
 
 
などということをぼんやり考えていると、目の前では若い二人が仲むつまじくご飯を食べている。
談笑に、時折入るマイ先生のツッコミは、彼氏の肩や腿にすさまじい肉音を立てている。

・・・本当に痛そうなんですけど。

若いって、恐ろしい。

と思ったことは言うまでもない。

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やせ我慢の胸元。

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先日、所用があって、繁華街を歩いていたときの事である。
 
 
3月も初旬だというのに、空は灰色の雲にうっすらと覆われ、そこからやや大きめの雪粒がふりかけられていた。
街ゆく人々もそれぞれに、少しでも体温を逃すまいと分厚い防寒具に身を包んでいる。

それらは冬の空気に溶けて、グレーの塊のようにも見えた。
 
 
 
その時である。

揉まれるように雑踏を歩く私のゆく先から、一組のカップルと思しき2人組みがやってくるのが見えた。

年のころなら20代前半だろうか。
女性の方は、タンクトップの上にジャケット、下は当然のようにミニスカート。

冬場の素肌は「お得」に見えるとはいえ、今日のような天気、気温の場合、痛々しささえ感じてしまう。

それだけならば、「がんばってる女性」というだけの感想だったのだが、
特筆すべきは男性の方であった。

この寒空に、おそらくシャツ一枚にズボンのみ。

しかも、シャツの前面のボタンを必要以上にはずし、決して厚いとは言えない胸板を殊更強調している。
 
 
 
服飾的には実に気合の入ったモノだと思うのだが、なにしろ季節感が著しくズレているような違和感が拭えない。
春を通り越して、初夏を先取りしてしまっているのである。

(一体、あの二人にはどういう事情があるのだろうか・・・。)

と不安にさえなった。

「アンタがそう来るなら、アタシだって。」

「ナニー?俺だって負けねえぞ。」

とばかりに、意地のぶつかり合いから発生した「非防寒合戦」の果ての出来事なのか。

「お前だけに胸元は露出させねえぜ。」

という、男の優しさなのだろうか。
 
 
 
よく見ると、男性の唇は少し青い。
露出した胸板も、赤くなっている。
その中央に揺れている銀色のアクセサリーは、きっと肌に触れるたびに冷たかろう。

しかし、胸を張って、アゴを突き出しねり歩くその様は、

「オレ様ってカッコイイ。」

という自信に満ち溢れていた。
むしろ、

「こんなサミーのに、なんでお前らコートとか着てんの?」

という問いかけすら感じられる。

一瞬、コートにニット帽子、首をマフラーでガッチリガードし、
手先まで手袋をはめ込み、「格好より、防寒」というテーマを掲げる自分が間違っているのか?
という自問にまで至ってしまった。
 
 
 
白い息を吐きながらも、

「寒さより、見た目。」

を体現する彼らに、

「モテるってことは、やせ我慢だぜ。」

というメッセージを見た気がした。
少なくとも、私はそう受け止めた。

しっかと受け止めたのち、

「じゃあ、モテなくていいや。」

とあらためて思ったことは言うまでもない。

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クラッシュド・パソコン

昨日、ソフトバンクパブリッシングより発刊された「暮らしとパソコン」2005年4月号。

その中の特集

「2005年はブログで行こう」

の中で、当ブログ「言戯」が、

「暮らパソおすすめブログ」

として紹介されています。
全国の書店などに並んでいると思いますので、是非(買って)ご一読くださいませ。
 
 
 
こういった、「ブログをはじめよう!」的な企画に紹介される機会が多いのは、
きっと私自身も、決してパソコンに明るくないということが要因の一つにある気がしてなりません。
(まあ、その他にも、「オタク的なネタは使わない」、「時事的な問題も扱わない」というのもあるかもしれません。)

このサイトのデザインなどがまったく変わらないのも、日々増え続ける相互リンクサイトを折りたためずに手をこまねいているのも、ひとえに私がまったくパソコンに詳しくないからであります。

cssってなんだよ!?
アイ・フレームってなんだよ!?
知らないよ!
うわ~ん!!

ってなもんです。
ブログ描きのクセに、「カラム」の意味さえ知りませんでした。
(実は、今でもよく分かっていません。)

へっへっへ。
 
 
 
話は変わりますが。
ウチの母に、

「今度、『暮らしとパソコン』って本に載るんだ。」

と話すと、必ず

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と聞き違えます。

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楽器ケースの魔力

先日のこと。

相方が所属するバンドの練習の前にご飯でも食べようということになり、クルマで迎えに行った。
約束の時間に現れた相方。
その手には、当然、自分の楽器が入ったケースが握られていた。

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相方が楽器を弾くことは知っていたけれど、実際に楽器を持ち歩いているのを見るのは初めてである。
いつもと違う雰囲気に、感動の色を隠し切れなかった。
 
 
 
楽器ケースを持ち歩く人というのは、何故、あんなにもカッコよく見えるのだろうか。

それはおそらく、楽器を所持するという行為が、外観が、

「タダモノではない感」

を演出するからではないかと思われる。

どんな凡庸な格好をしていても、器量が多少まずくても、楽器を持っているというそれだけで、

(コイツ、実はすごいヤツなんじゃないか・・・)

という警戒心が生まれる。
知らず知らずのうちに、

「所持=弾きこなせる」

という先入観を持ってしまうのである。
(大半の方は、弾けるから持っているのでしょうがね。)

 
 
相方は楽器ケース以外にも、いつものバッグを持っていて、両手に荷物という状態になっていた。
歩くのが大変そうだったので、

「どっちか持とうか?」

と持ちかけたところ、

「あ、そう?悪いねえ。」

と言って、迷わず楽器の方をよこしてきた。

落とさないように、慎重に受け取る私。
楽器ケースは、ハードケースタイプで、黒い皮のような加工、フチに銀色の止め金具が施されている。
ひと目で「何かしらの管楽器である」ということが分かる見てくれである。

中に入っているのはコルネット(短めのトランペットのようなもの)という楽器だ。
 
 
 

図らずもそれを持ち歩くことになった私。
そこで分かったのですが、楽器ケースを持ち歩くというのは、とても気分のいいものですね。
 
何故ならば、楽器を持ち歩いている以上、周囲の人間の目には

「楽器が弾ける人」

として映るはずだからである。

わざわざ呼び止めて、

「アナタ、その楽器弾けるのですか?」

と聞く人はいない。
万が一出くわしたとしたら、騒がれる前に当身を食らわせ、無力化しなければなるまい。

楽器ケースを持ち、なおかつ音を出さない限りは、私は世間から

「楽器が弾きこなせる人」

と思われているに違いないのだ。
 
 
 
楽器ケースを持っている自分の姿がガラス窓に映るのを見ると、嬉しい。

「タダモノではない感」

を発揮してしまっているような気がしてくる。
周囲の人の目が、

「楽器所持=弾きこなせる」
という先入観の公式どおり当てはまり、

「あ、あの人楽器を弾く人なんだ。」

という、確固たる分類をいただく安堵感と、

「あの人は音楽に表現の領域を持っているんだ。」

という尊敬の色さえ帯びているような気がしてくるのである。
そういう思い込みというか、勘違いというか、優越を感じてしまったのですね。

照れ嬉しかったのですね。
 

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残念ながら、コルネットなど触ったことも無い私では、「コスプレ」の域を出ないのだけれど、
楽器ケースを所持することから生まれる高揚感は、今までの自分には無かった新鮮さを見出すに十分であった。
 
 
この快感をもっと味わうためにも、これから外出する時は、常にギターケースを背中に背負ってみようかと考えている。

つまり、

「張り子のギター」である。

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3億円まであと一つ。

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ついに私にも運が向いてきたらしい。

一攫千金のチャンスを獲得するチャンスを与えられた。
それも、そんじょそこらの千金ではありません。

なんと、3億。
3億円を手に出来るかもしれないのだ。
 
 
 
私がその事を知ったのは、昨日ぼんやりと眺めていたテレビであった。
何かの歌番組だったと思うのだけれど、その内容の一部で

”宝くじに当選しやすい人の特徴”

というものを発表していたのですね。

”当選しやすい人の特徴”と聞いて、もしかすると

「宝くじ券を所持している人。」

というオチなのではないかと思ったらそうでもない。
過去の高額当選者は、星座や名前のイニシャルにある傾向が見られるそうなのだ。

その、”当選しやすい人の星座及びイニシャル”とは、
 
 
 

■ みずがめ座 
■ イニシャルがT・K

 
 
の人。

それを知ったテレビの前。
大いに動揺し、色めきたつ心を抑えきれなかった。

何を隠そう、私の星座はみずがめ座で、イニシャルはT・H。

なんと、高額当選者の条件を、3つのうち2つまでもクリアしてしまっていたのだ。

億万長者の扉を目前にしながら、今までそれに気づかなかった自分を悔やんだ。
3億円獲得の権利を、みすみす放置していたのである。
 
 
 
だがしかし。
条件を2つまでも満たしているという事は、逆に残りの一つが気にかかる。

苗字の「K」が気になる。

私の億万長者へ続く一本道の、最大にして唯一の障壁である気さえしてくる。

来るべき私の「宝くじデビュー」、ひいては「億万長者デビュー」に向けて、不安要素はすべて塗りつぶし、万全の体勢で臨みたい。
 
 
 
3億円と、現在の苗字を比較すると、当然3億円の方に加重が傾くのはいたしかたないところであろう。
しかし、「名前の変更」というのは聞いたことがあるが、「苗字の変更」って出来るのだろうか?
よしんば出来たとしても、

「宝くじ当選のため」

という理由で認められるかというと、それはどうも難しいような気がする。

「3億円獲得のため」

とすればどうか。
いざとなれば袖の下さえも辞さない気構えが必要だろう。

なあに、3億円も手に入るのだ。
少しくらいくれてやっても惜しくはないわ。
 
ん?イヤ待て、しかし、相手は職権を汚すのだから、当然

「当たりハズレに関わらず」

要求してくるはずだ。
そうなると、万が一3億円を逃した時に困ってしまうではないか。

債務と前科だけが残ってしまう。

それは困る。
非常に困る。

よって、本件は廃案とすることにした。
 
 
 
しかし、このまま諦めてしまうには、「3億円」はあまりに魅力的である。
そこで、他の方法を模索することにした。
 
 
私の苗字を、もっとも現実的かつ合法手段を用いて変えるには、やはり苗字が「K」のウチへ婿養子に入ることであろう。
3億円のためならば、「計略結婚」さえも厭わない覚悟ではあるのだが、しかし、それを実行するにはあまりに大きな犠牲が必要となる。。

相方である。
相方の苗字が「K」であれば何の問題も無かったのだが、そうではないところに非業の宿命を感じてやまない。

私は、3億円獲得の有資格者であることを知るのと同時に、相方と3億円のどちらを取るのかという苦渋の選択を迫られているということにも気づいてしまったのである。

「愛」か、「金」か…。

金で買える愛もあるが、愛でもらえる金は無い。
そのことは分かっているのだが、相方のそれは、金では買えない愛である。

でなければ、こんな赤貧男に惚れるまい。


ああ!俺のバカ!!
たとえ一瞬でも、3億円ごときに目がくらんでしまうなんて!

バカバカ!
俺のバカ!

 

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・・・というわけで、苗字については諦めたのだった。
しかし、3億円を諦めたわけではない。

3分の1の不安定要素はあるものの、3分の2は好条件なのだ。

今度のサマージャンボ(かな?)は、是非、購入してみようと心に決めた事は言うまでもない。

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相方の「いつもの。」

昨日のこと。

私と相方は、いつものカフェレストランへ、いつものように立ち寄った。

席に着き、メニューを取り出す。

相方はパラパラとメニューを眺めて、

「私はコーヒーにしようかな。」

とつぶやき、視線をメニューからこちらに戻した。

「寿さん、今日こそ『いつもの』って言うのかい?」

いつものように、ほんの少しの微笑をたたえた仏像顔で尋ねてくる。

「うん。言いたいんだけどねえ・・・。」

と思いつめた表情で応える。

その時私は、このウェブログのコメントでいただいたアドバイスを反芻し、チャンスがあれば

「私、いつもナニ頼んでましたっけ?」

というオトボケ作戦を実行しようと考えていた。
今日こそ、なんとしても一皮剥けたい。
そういう切迫感があった。

しかし、ひとつ問題があった。
その日のウェイトレスさんは、いつもの人ではなかったのである。
これだけ通っていれば、顔見知りではあるのだが、実際にその店員さんを通して発注したことは少なかった。
当然、あまり注文以外で話したこともない。

(どうしよう・・・)

先ほどまでの不退転の決意に、大きな亀裂が生じた。
有退転の決意というか、可退転の決意くらいにまで撤退を余儀なくされている。

もし、

「いつもの。」

と言って、理解されず、私の「いつもの」について店内の人員全員に聞いて回り、果ては店員全員を招集しての緊急ミーティングが開かれ、結局「いつもの不明」のまま従業員全員が己の不明を恥じ、私のテーブルを囲んで、一同滂沱の謝罪などされても非常に困る。

どうもこの店にはそういう事態が起こっても不思議ではない雰囲気がある。
 
 
 
そんな私の心配をよそに、メニュー決定の雰囲気を察した店員さんが駆け寄ってきた。

「ご注文お決まりですか?」

とうながす。
相方は、

「あ、じゃあ、コーヒーのホットで。」

と伝え、メニューに目を落としたまま、私の出方を窺っている。
口元が少し緩んでいるように見えるのは気のせいか。

「え~・・と。」

中腰でメモを取る体勢を固める店員さん。
テーブルに肘をついて、指先でクチビルを揉む私。

重苦しい数秒が流れる。
 
 
  
 
 
 
 

e-0547

「はい!アッサム、ホットですね。」

サラサラとメモを取り、厨房へ戻る店員さん。

(やっぱりね。)

という表情を一瞬浮かべる相方。
己の不甲斐なさに、テーブルに突っ伏してさめざめと泣く私。

結局、その日も
「『いつもの』チェリーボーイ」を卒業することが出来なかったのである。

「泣かないで。」

慰めてくれる相方が、

「あ、そういえばねえ。」

と、何かを思い出したように切り出した。
顔だけ上げて話しを聞く。

「ウチの近くに、『●●●』ってコーヒー専門店あるでしょ?」

「ああ、あったねえ。」

「あそこに、最近休みの日に一人で行ってるんだけど・・・」

「ふむ?」

「こないだ行ったら、席に着くなり、『いつものでいいですか?』って聞かれたよ。」

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「あれは嬉しいね。」

ニコニコと微笑みながら、コップを口に運ぶ相方。
悔しさとうらやましさから顔面蒼白になり、頭を抱える私。
思わず、相方を責める。

「なに、それって自慢してるわけ?」

「いやあ、自慢ってわけじゃないけど・・・」

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         再び、突っ伏して嗚咽を漏らす私。 相方は、

「泣かないで。」

と再び慰め、こう言った。

「でも、その時は『今日はいつものと違うやつで』って言ったんだよ。」

私は、もう立ち直れなかったのは言うまでもない。

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ポスト前の選択

相方の誕生日は、世間で言うところの「ホワイトデー」と、たった一日違い。

この時期になると、

「昔から、バレンタインデーのお返しと誕生日プレゼントをまとめてもらうという事がほとんどだった。」

と、よくボヤいている。
 
 
 
 
14年前の3月15日。

朝6時。

私は緩み始めた冷気の中に、白い息を弾ませていた。
住宅地の中はところどころのから、朝の支度をする人々の生活音が漏れ聞こえてくる。

手には一本のカセットテープが握られている。
前日にCDからダビングダビングして製作した「マイ・ベストテープ」。

ちょうどひと月前、わざわざウチまでチョコレートを持って来てくれた女の子へのお返しと、誕生日プレゼントを兼ねて贈ろうとしていたのである。

なるほど、当時からその娘はこういう扱いを受ける運命にあったらしい。
 
 
 
そのテープの中に入っていた歌は10曲ほどあったはずなのだけれど、はっきりと覚えているのは1曲だけだ。
故・尾崎豊さんの、「誕生」という歌である。

正直、他の歌はどうでもよくて、その一曲だけを聴いてもらいたかったと言っていい。

それほどまでに、この歌は当時の私が言いたいことをすべて含んでいた(ような気がする)。
 
 
 
その歌をぼそぼそと口ずさみながら、その娘の当時の自宅前に到着した。
セロハンテープでしっかりと封を施された封筒を、ポストの挿入口にかける。

その時である。

今の今までまったく感じていなかった緊張が、足の先から急激にせりあがってきた。

途端に激しくなる鼓動。
紅潮する顔。
震える手。
 
 
ポストに落としたら、一目散に逃げる手はずだった。
しかし、手が、動かない。

頭の中には、「誕生」の歌が流れている。

投函した瞬間から、後戻りが出来なくなるような気がしていた。

あの時は、それが何なのかすら分からず、それがたまらなく怖かった。

紅潮していた顔は、蒼白になっている。
 

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5分ほど固まっていただろうか。

近くの家の人が玄関を開けた音が聞こえ、小動物のように「ビクリ」とひとつ痙攣。
私は思わず封筒を持ったままで逃げ去った。
 

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駆け足で帰路に着きながら、自分の臆病さ加減に、これ以上無いほど落胆する。

わざわざ作戦実行に早朝を選んだのは、学校で手渡す度胸などハナから持ち合わせていないからである。

ついにそのテープがその娘の手に渡ることは無かった。
 
 
 
 
 
 
 

14年後。
その話しを打ち明ける私。

相方は非常に怒って、

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と、14年前の私を責めた。

「あの時はかなりショックだったのよ!何も無かったから!絶対、嫌われてるんだと思ってたわ!」

私は苦笑いを浮かべ、14年前の自分に代わって、ひたすら謝るのだった。
 
 
 
 


人生は、瞬間ごとの選択で出来ている。

今思うと、あの時、あのポストの前の選択は、私の人生に大きな変化をもたらした。

もし、あの時投函していたら・・・。

自分はどんな人生を歩んでいたのだろうか?

3月15日を迎えるたびに、私はそんな事を考えている。

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納品完了!

つい先日のこと。

いつものようにメールチェックをしていると、「寿さま@『言戯』」の題名でメールが入っていた。

(ん?なんだべ?)

さっそく開けてみると、(有)マン・クリエイト(掲載許諾を得ましたので実名を掲載します)という企画デザイン会社のナガオカ様という人からであった。

内容をつらつらと読む。

文面には、こうつづられていた。
「某銀行の、ポスター製作に使うイラストを描いていただきたい。」
 
 
 

・・・・。
 
 
 
 

e-0545

おおおおおおお!!!

仕事が入った!!!

すげえ!!!

今まで、書籍への掲載や取材はいくつかあったが、「言戯」つながりで仕事が来たのはこれが初めて。

メールによると、ナガオカ様も「フロム*ヤマガタ」というブログを開設されていて、「言戯」を毎日読んでくださっているとのことだった。
しかも、ブログピープルつながりで相互リンクもしてあったという。

ブログのつながり、侮れん・・・。
と改めて思い知らされた。

とにもかくにも新しい展開が生まれ、パソコンの前で一人小躍りして喜ぶ私。
すぐにナガオカ様へ受注のメールを出し、返す刀で相方に報告のメールを打つ。
 
2~3質問を出し、詳細を詰めて、その日の夜からさっそく製作にとりかかった。
 
思えば、仕事で絵を描くというのは初めてである。
知人からイラストを頼まれ、小銭をもらうことはあったが、今回のようにデザイン会社のプロから正式に依頼されるというのは初めてのことであった。

描き始めて分かったことなのだが、仕事として描く絵というのは、「描く」部分は意外なほどに少ない。
まず、資料をかき集めることが重要なのだという事が分かった。

そして、報酬と納期のハッキリした絵というのは、とても緊張する。
陶器でも同じことはしているのに、まったく緊張の度合いが違うのだ。

しかしその緊張は心地よく、描く絵も今までと違っていることに驚いた。
いつもの「言戯」イラストは、かなり流して描いているのだが、やはり毎日描いていると、知らぬ間に線のタッチなども変わってくるらしい。

主線を引き終わった時に、

「へえ、俺ってこういう絵描けるんだ・・。」

と思わずつぶやいたほどであった。
 
 
 
その日のうちに一枚仕上げ、さっそくメールに添付して送った。

数十分後に返信が来る。
評価をいただくメールというのは、鼓動を早める効果がある。

「もう少し躍動感が欲しい。」

という旨の内容だった。

つまり、
 
 
 
ボツ!
 
 
 
である。

ちなみに、ボツイラストがコレ。↓

e-0544

「う~~ん・・そうかあ・・。」

言われてみればそのとおりだと、もう一度描き直す。

タブレットをキュイキュイ言わせながら描く。
公式に使われるイラストというのは、描いていて嬉しい。
燃えてくる。

しかも、今回の依頼は、依頼主の某銀行の担当者様に「言戯」を見てもらった上で決めたという。
なおさら燃えるではないか。

燃える気持ちをフォトショップにぶつけ、イラストは完成した。
再び送る。

程なく返ってくる返信。

緊張の面持ちで開封すると、そこには・・・
 
 
 
 
 
 
 
 

e-0545-2


の文字が!

「っしゃあ!!」

パソコンの前で一人ガッツポーズを作る私。

納品完了の瞬間であった。
ナガオカ様へお礼のメールを書き、すぐさま相方にも「無事納品したよ~!」のメールを打つ。

パソコンチェアーの背もたれに体を預けながら、解けてしまった緊張を惜しみつつ、安堵感と充実感を紅茶と一緒にすする。

深呼吸をひとつついて、すぐさま今日の分のブログ記事を書き始めた。
今日の話題は、「いつもの!」のタイミングについてである。
 
 
文章を考えながら、

(そうだ、プロフィールページの職業欄に、陶芸屋と石窯ピザ屋に『イラストレーター』も加えておこう

最初で最後の依頼かも知れないが、納品した以上はプロ・・・なのだ。
と、一人ほくそ笑んでいた事は言うまでもない。

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いつもの!

今、私は極秘裏に、ある遠大かつ壮大な計画を進めている。
 
作戦の舞台は、相方と逢う時に、ほぼ毎回立ち寄るカフェレストランである。
 
 
 
このカフェレストランは、私の大のお気に入りスポットである。
その最たる理由は、「紅茶が美味しい。」これに尽きる。

ダージリン、アールグレイ、セイロン、どれをとっても美味しいのだが、自分の味覚には、どうやらアッサムティーが合っているらしく、来店時にはほぼ9割以上、

e-0543

と注文している。
 
 
 
さて、冒頭に申し述べた「計画」であるが、それは別名「エブリ・アッサム作戦(以下E・A・O)」と呼ばれている。

そのカフェレストランに足しげく通い、ほぼ毎回アッサムティーを注文する。
来店した時に、

「あ、アッサムの人、来たよ。クスクス」

と言われれば、この計画は半分成ったも同然である。
 
 
 
あとは、時期を見計らい、

「いつもの。ホット。」

と注文。

ウェイトレスのお姉さんがニコリと微笑み、

「かしこまりました。」

とメニューをさらって厨房へ戻る。
5分後、お盆の上にカチャカチャと、

「いつもの」
カップ&ソーサー、ティーポット、、茶漉しを乗せてやってくる。
ポットの中身は当然、

「いつもの」
アッサムティーだ。
 
 
 
・・・スマート!
あまりにスマート!

スマーテスト!!!(スマートの最上級と思われる。)

「いつもの。」
で通じる店を持つという事は、男児の永遠の夢と言ってよい。
 
その店を、毎週せっせと通ってはせっせとアッサムティーを注文し、ウェイトレスのお姉さんの心証をよくすべく笑顔をふりまき、開拓に勤しんでいる。

これが、今、私が極秘裏に推し進めている

「E・A・O」

のあらましである。

計画は、開始から約半年が経っている。

すっかりその店でも常連となり、店員さんとは知り合いとまでは行かなくとも「顔見知り」くらいにまでは関係が発展している。

私が約9割強の確率でアッサムティーを注文するということも、おそらく従業員のほとんどに浸透していているのではないか。

「いつもの。」

が通用するのではないか。
許されるのではないか。

私は息を潜めてその時を、その機を窺っていたのである。
 
 
 
先日のこと。

私は、相方と連れ立って、いつものように件(くだん)のカフェレストランに足を運んだ。
店内は、いつものように混み合い、席の3分の2が埋まっている。

「あ、いらっしゃいませ~!」

入り口で出方を待つ我々に駆け寄ってくるウェイトレスのお姉さんは、いつもの人だ。

茶色く、よくウェーブのかかった髪を両サイドで結び、丸顔をさらにクシャリと丸くして、満面で笑うステキな女性である。

話しをする時に、少しだけ肩をすぼめて、アゴを相手に近づける仕草が可愛い。

(うんうん。エエなあ~・・。)

私は一人、納得のうなづきを弾ませながら、席に座った。

ほどなく、メニューと水が運ばれてくる。

私はメニューなど見るまでもなく、アッサムティー。
相方も注文が決まったようだ。

メニューを閉じて頬杖をつきながらいつものように

「振り向いて光線」

を発射。

それは正しくウェイトレスのお姉さんに受け入れられた。

「ご注文お決まりですか?」

クシャリと微笑むお姉さん。

「あ、はい。それじゃあ・・」

注文をする相方。
私は、ひそかに決意を固めていた。

(今日こそ、「いつもの。」と言ってみよう。)

このお姉さんならば、きっと分かってくれるに違いない。
「いつもの」はアッサムなんだと、気づいてくれるに違いないのだ。

手には汗がにじみ、鼓動が早まる。

緊張が涸らしたノドに、コップの冷水を撒き、その時を待った。

相方の注文が終わる。
お姉さんはこちらを向いた。

(こちらは何にされますか?)

と、目で語っている。

私は意を決して口を開いた。
告白するのだ。

「いつもの。」

と!!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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怖気づいたわけではない。

怖気づいたわけではないのだ。

ただ、その、アレだ。
もし、気づかれなかった時に困るのは私ではなくてウェイトレスさんであるし、もしも何かの勘違いで、

「いつもの」

で、一度も注文したことの無いチーズフォンデュなど持って来られても途方に暮れてしまうので、「E・A・O」は今回は時期尚早につき次回以降に持ち越しという英断をくだしたのだ。
 
 
 
 
例えばスタンプカード。

いくつスタンプを溜めると、割引などというサービスは要らないので、

「同じものを注文するごとにスタンプをひとつ押し、30個溜まったら『いつもの』で発注可能」
とかいうハッキリした基準を決めて欲しいと切に思う今日この頃である。

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クシャミ反応

兄弟というものは、実に似かよった遺伝子を持ち合わせているものだ。
ということを痛感することがある。

例えばジャンケンをした時、

そして、例えば今回の事のような時に・・である。
 
 
 
うららかな春の日。
 
私と兄は、自宅の庭でせっせと雪かきをしていた。

空気には土のニオイがまざり、流れる水は雪を融かして運んでゆく。
頬をなでる風の温みが、過ぎ去る冬を告げているようだった。
 
 
雪というより氷の断層と言った方が適当な塊を、ツルハシで削り、スコップで放り投げる。
砂利を張り付かせた氷塊は、地面に叩きつけられ、シャララという音とともに砕ける。

春の入り口の雪かきは、撤退してゆく冬への掃討作戦のようでもあり、少し残酷な楽しさがある。
 
 
 
「あっちい~・・。」

そろそろキツくなり始めた背中を伸ばす。

「今日は好い天気だなあ~。」

兄もスコップを持ったまま腰を伸ばした。
 
 
偶然、二人同時に空を見上げたその時である。

「いえっきし!!・・え~い・・」

「いえっきし!!・・の野郎~・・!」

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揃ってクシャミが出た。
それも、示し合わせたかのように2連発だった。

何故か少し気まずい雰囲気が垂れ込める。

クシャミの後というものは、どういうわけかちょっとだけバツが悪い気がする。

それは、猫がクシャミをした後にふと目が合うと、ほぼ100%の確率で照れ隠しの毛づくろいをするという統計からも、

「クシャミ直後の気まずさ」

が学術的に証明されているのである。
 

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それはさておき。

我が家のの兄弟は、姿かたちはことごとく母似である。
似顔絵を描くのが楽なくらい似ている。

ジャンケンがなかなか決着しないということから、思考にも似通ったところがあるようだ。

では、父に似ているところは無いのだろうか?

というと、そんなことは無い。
しっかりと父の遺伝子も受け継いでいる証明がある。

それが、今の「クシャミ」なのである。
 
 
 
 
ウチの兄弟は、もちろん私も含め、

「太陽を直視して眩しさを感知すると、クシャミが出る。」

という奇癖がある。
全員ある。
揃ってある。

しかし、家族内では母だけがそれを持っていないのだ。

つまり、

「太陽直視時の、クシャミ反応」

に関しては、父の遺伝が正しく伝わったという事を証明しているのである。
 
 
 
遺伝情報の絶対量で圧倒的不利な立場にある父ではあるが、

「クシャミ反応」

において一矢報いたということは、喜ぶべきことではないかと思う。

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レベルアップ

先日のこと。

自宅に、宅配便の配達員のアンちゃんがやってきた。
受領書にサインをしながら世間話をしていると、突然、彼の体からファンファーレが鳴り響いた。

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思わず、

「んん!?なんスか?今の音!?」

と尋ねる私。
すると、アンちゃんはニコリとしながら、

「あ、メールの着信音ですね。」

と言った。

大概の携帯電話は圏外であるハズの私のウチだが、最近では●uに限り、ギリギリ入るとの事だった。

しかし、私はだまされない。
あれは、メールの着信音などではないのだ。

あれは間違いなく、レベルアップの音なのである。
おそらく、レベルアップした瞬間を気取られたくなかったのだろう。
彼は、努力する姿を人に見せたくない性分なのだ。

その証拠に、ファンファーレが鳴った瞬間、少し慌てていた。
きっと、

(あ、やっべ!人前でレベルアップしちゃったよ!)

と思ったのだろう。
 
 
 
 
そして夜。

相方と、とある喫茶店までお茶を飲みにでかけた。
お茶をすすりながら談笑していると、

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突然、相方の体からも、ファンファーレが。
私は思わず、

「え!サチ、今、レベルアップしなかった?」

と聞いた。
すると相方は、携帯電話を取り出しながら

「ああ、したねえ。」

と応える。

「あ、やっぱり!なに、防御力とか上がったの?」

「いやあ、さっきご飯食べたから、『栄養』が上がったんじゃないかなあ。」

「ああ、そう。じゃあ、『体重』もレベルアップしたんだね。」

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リアル舌打ちをする相方。

なにか、マズイことを言ったのだろうか・・。

心当たりは・・ないのだが。
 
 
 
その日は、偶然にも二人の人間のレベルアップに立ち会ったわけなのだが、去年の秋ぐちあたりからこっち、私の体からファンファーレが聞こえたことは無い。

おそらく経験値の蓄積が足りない事が第一の原因だと思われる。

周囲の人間が次々レベルアップしてゆくのに、自分だけが取り残されている現状に、最近焦りを感じている。

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世界のてっぺん

私の愛車、オデッセイ君には、カーペンターズのCDが一枚だけ積んである。

カレンさんの、しなやかで広がりのある声が心地良く、音楽に明るくない私でも、時たまとても聴きたくなる時があるからだ。

なかでも、特に好きな歌が、

「TOP OF THE WORLD」

という曲。

まあ、言うまでもなく有名な曲なのだけれど、この歌を聴くたびに、頭の中に

地平線に果てしなく広がる黄金色の小麦畑、
目の前には大きなアスファルトが伸び、
その向こうには目もくらむような青空が広がっている

という情景が浮かぶ。

つまり、こんな感じ↓

e-0539

実際にそういう景色を見たことはないので想像の産物でしかないのだが、サビの部分に突入する時のグングンという飛翔感と、サビ部分の浮遊感は、心に羽ばたく翼をもらったような気持ちになれるのだ。
 
 
 
しかし、私がこの歌に想いを寄せていても、必ずしも歌が私に応えてくれるとは限らない。

どうも、この歌にはあまり好かれていないような気さえしている。

というのも、以前持っていたカーペンターズのCDは、ちょうど「TOP OF THE WORLD」のサビに入るところ。

You’re the nearest thing to heaven・・・

ここで、まるで狙い済ましたかのように停まってしまうという困ったクセを持っていたのである。

ヘヴンヴンヴンヴンヴンヴン・・・・

あたかも、

「お前は天国には近くないよ。」

と言われているようである。

situi-01

他の曲には問題がないのに、何故か「TOP OF THE WORLD」だけに不具合が認められる。
不審に思い、CDをよく見てみると、大きな傷がついているのに気づいた。

「こりゃあ、いかん。」

そう思い、その日のうちに家電屋さんに持ってゆき、修理を依頼した。

店員さんは色々と検査して、困り果てた顔をした。
そして、申し訳顔でこう述べる。

「記録面が割れてしまっているため、修理不能です。」

ガックリする私。

仕方がないので、その足でCD屋さんに向かい、同じCDを購入したのであった。
 
 
 
 
それから2年後。
久しぶりに「TOP OF THE WORLD」が聴きたくなって、2代目のCDをデッキの中に滑り込ませた。

とるものもとりあえず、「TOP OF THE WORLD」が聴きたい。
迷わず2曲目を選択。

あのイントロが車内に流れ始めた。

♪Such a feelin’s comin’ over me~

ああ、イイ・・。
いつものように、あの情景が広がってくる。
心地よく旋律は流れ、カレンさんの声に聴き入る。
そして、曲はサビへと軽やかにころがってゆく。

♪I’m on the・・

まさに、地面を蹴って飛び上がろうとした、その時であった。

♪toptoptoptoptop・・・

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地上10m付近で失速し、墜落する私。
地面に叩きつけられ、動けなくなる。

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それほどのショック。

またしても「TOP OF THE WORLD」だけが不具合に見舞われている。

まるで、

「お前は、世界のてっぺんには行けないよ。」

と言われているようである。
 

situi-01

 
落胆に包まれる私。
何故かは分からないが、この歌はいつも私につれない。

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彼女の変貌

相方の携帯電話の中の人(女性)が、機種変更に伴って急激に色気を増した。

以前は、

「タダイマ 電話 ニ 出ラレマセン 留守番電話センター ニ 接続シマス」

という、非常に味気ないアナウンスだったのに、
こないだ出た携帯の中の人(女性)は、

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という、非常に流暢で才色に富んだ(と思われる)声色に変貌を遂げていた。
あまりに突然の事でうろたえてしまい、

ピーー

という発信音の後にメッセージを入れるのを忘れましたとも。

ええ。

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振り向いて光線

飲食店では、常に緊迫を強いられる場面がある。

それは、メニューを決めて、店員さんを捕まえるまでの時である。
 
 
 
食事をするべくお店に入り、人数を告げると、店員さんが席に案内してくれる。
そして、間髪を入れず、大抵同じ店員さんがお冷とメニューを持ってきてくれるのだ。
ハッキリと宣言されたわけではないのだけれど、これまでの流れからなんとなく、

(ああ、この人が、我々の『担当』の人なのだな・・)

という安堵感を覚える。
そして、

(ああ、我々は歓迎されているのだな・・)

と、優越感さえ覚える。

しかし、その信頼感、優越感は束の間のものでしかなかったのだ。

「では、お決まりになりましたらお呼びください。」

と言い残し、今まで『担当』だと信じていた店員さんは突き放し、去ってゆく。

我々は、その段になってようやく、メニューとお冷とともに取り残され、孤立無援の戦いに放り出されたことに気付くのである。
 
 
 
メニューを眺めている時というのは、不安である。
『担当者(こっちが勝手に決めたんだけどね)』との別離が、安堵感の喪失を伴って、余計に不安を増長させる。

そのうちに、自分は厳密に言うと、まだ「お客」として認められていないのだ。
ということに気づいてしまうのである。

なるほど、それならばこの仕打ちも納得がいく。

店内は、基本的に「アウェー(敵地)」である。
お客は、注文を出す事で

「食べ物をもらい、それらを食べるためのスペースを借り受ける。その対価として、しかるべき金銭を支払う。」

という旨の和平条約を締結するのである。

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つまり、発注を出して初めて店と客は対等な立場になるのであり、それまでは、店側に提示された選択肢(メニュー)の中から今後の身の振り方を決めるまでの、わずかな「猶予期間」をもらっているという格好なのである。

これはどうにも具合が悪い。

少なくとも、対等ではない。

迅速かつ可及的速やかに取り急ぎ早急な今後の方針の決定を迫られているのである。
 
 
 
 
 
2~3の立案と廃案を繰り返し、主に胃腸と懐の具合を鑑みつつ徐々に選択肢を狭めていって、程なくメニューが決まる。

連れの方針も決定したようだ。

ここからが、本当の勝負の時といえる。

店内を忙しく駆け回る店員さんを、出来うる限り自然に、可能な限りスマートに捕まえなくてはならない。

もちろん、店員さんにしてみれば、我々だけがお客ではないから、他のテーブルとの兼ね合いも判断材料に入れなければならない。

しかし、そればかりを気にかけていてはいつまで経っても発注などできないのだ。

 
 
まず、メニューを閉じる。
さりげなく

「メニューはもう必要ない=決まったよー。」

的な消極的アッピールを試みる。
が、これで気づかれることは稀である。

それは仕方がない。
 
 
 
それでは・・と声をかけることにするのだが、これにはそれなりのリスクが伴う。
あまり大きい声では、周囲のテーブルに迷惑だし、もし、小さくて聞き取れなかった場合、図らずも

「無視された」

という苦境を招いてしまう。
店員さんに声をかけて気づかれなかった時の悲しさ、恥ずかしさ、居たたまれなさは、筆舌に尽くしがたいものがある。

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出来ることならば、店員さんがこちらに気づいてから、

「あ、お願いします。」

と声をかけたい。
それがもっともローリスクな選択肢であろう。

では、如何にして気づいてもらうか。

それはひとつしかない。

「眼力」

である。
 
 
 
眼から、

「振り向いて光線」

を出すしかないのだ。

「振り向いて光線」の射出姿勢は、基本的に「座撃ち」が望ましい。
立ち撃ちはマナーとして避け、臥撃ちは禁ずる。

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テーブルに両肘をつき、両手でしっかりアゴを固定すること。

「振り向いて光線」は、目標との間に遮蔽人物が無いことを確かめてから発射しなければならない。
もし、光線が誤って遮蔽人物に着弾した場合、

■ 変な目で見られる。
■ 喧嘩販売員と間違えられる。
■ 恋が芽生える。

などのアクシデントに見舞われる可能性がある。
発射の好機が見当たらない場合は、先に配られたお冷で間を持たすことが望ましい。

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首尾よく光線が命中し、店員さんがにこやかに歩み寄ってきた時、ようやく戦いが終わり、楽しい食事が始まるのだ。
 
 
 
いただきます。

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粗相なふたり

昨日のこと。

相方と私は、夕飯を共にしていた。
二人の間には鉄板。
その上にはお好み焼きの生地が貼りつき、シュウシュウ、プチプチと静かに焼ける音を立てている。

それが焼けるのを待つ間、皿を分けたり、コテを分けたり、コップに水を注いだりと、着々と準備を進めていた。

その時である。
相方の持っていた水差しが、なみなみと水の入った自分のコップに当たり、倒れてしまったのである。

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「あっ!」

慌てる相方。

「あららら!」

慌てる私。

コップから脱出した水は、またたく間にテーブルを伝い、次々飛び降り、相方のズボンや座布団へ着地。
そして染み込んでいった。

その騒ぎを、隣のテーブルのスーツ姿の男女が冷めた目で見ている。

「あああ~!しまったあ~・・!」

急いでお手拭を取り出し、テーブルやズボンを拭き、空いている座布団と取り替える相方。

その様子を見て、

「だ、大丈夫か?」

と言いつつ、くっくっくと笑ってしまう。

「悪かったわね!どうせ私は28にもなって、粗相をする女よ!」

真っ赤になって笑いながら逆ギレする相方。
忙しく拭いて笑って怒りながら、

「コレ、(ブログに)描かないでよ!!!!」

と念を押された。
分かった分かった・・っとうなづく私。

そろそろ、お好み焼きが食べごろである。
 
 

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そんな事があっても、食事は美味しく、楽しい。

先ほどまで大きな円を描いていたお好み焼きも、今では鉄板の上にまばらな破片となって累々と散らばっているのみとなっていた。
相方は、

「あ~、美味しかったけど、ズボンが冷たくて気持ち悪いな~!」

と、ボヤいている。
冷たさが、先ほどの失敗を思い出させて悔しいのだろう。

残りわずかのお好み焼きをほお張りながら、

「むっふっふ、まあ、気にすんなって。誰にでもある。」

普段の、

「落ち込み側、なぐさめ側」

がにわかに逆転し、内心ちょっとうれしい私。

少し得意げに、最後の一切れを皿に移そうとした、
その時だった。

左手の小指がコップに引っかかり、「あ!」と言う間もなく倒れる。

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中になみなみと入っていた水(氷入り)は、テーブルを駆け抜け私のセーターをズボンを欲しいまま蹂躙した。

再び、相方の

「あ!」

という小さな叫び声。
あまりのことに、一瞬呆然とその様子を眺める私。

水はあらかた流れ出した後で、今さらどうしようもない。
それよりも、まったく同じ粗相をしたことへの可笑しみが湧き上がり、したたる水もそのままに、突っ伏し、笑い転げてしまった。

相方も頭を抱えて笑っている。

明らかに、あきれの色を隠せない隣のテーブルのスーツ♂♀。

今度は私が赤面しながら、咳き込み、笑いつつお手拭を駆使し、セーター、ズボン、座布団をくまなく濡れそぼらせしめた水を拭く番になってしまったのである。

「コレ、(ブログに)描いていい!!」

と言いながら、相方は大笑いしていた。
 
 
 
 
 
お好み焼き店を出ると、とっぷりと日が暮れていた。
雲ひとつ無い夜空には、星がまたたいている。

「夜風が冷たいねえ~・・特に、ズボンあたりが。」

「そうだねえ~。」

んっふっふっふ・・。

と笑い合いながら、ズボンの右に水のシミのある相方と、
ズボンの左に水のシミを作った私は、そそくさとクルマに乗り込むのであった。

「早く、暖房つけよう。」

「そうしよう。」

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新聞掲載!したけれど・・。

本日発行の夕刊各紙に、先日の共同通信社からお受けした取材の記事が掲載されているとのことで、夕刊を取っていない我が家としましては、わざわざ山を降りてふもとの新聞店まで夕刊を買いに行きました。
 
 
 
宮城県唯一の夕刊、「●北新報」には、掲載されていませんでした・・・。

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夕方。
H記者から

「掲載しました。」

というメールをいただいた。
親切なことに、掲載された記事の内容まで書いてくださっている。

意外なほど扱いが大きく(っていうかメイン)、しかも、カラーの画面キャプチャー写真まで載っているという。
さすがに顔写真は載ってませんが、本名が載っています。
(取材の時、「実名でもいいですよ~」と言ったからです。)

そして記事を読んでいると、一緒に紹介された他の二人のブロガーによく知る名前が・・。

ミミさん!!!

なんと、ブログでお付き合いさせていただいている桂樹ミミさんも同じく取材をされていたのですね。
スゴイ偶然です。

というわけで、ミミさんにトラックバック投げ!!
 
 
 
それと、もうおひと方。
70歳のブロガー、soroさんのブログ「No Blog,No Life!」も紹介されておりました。

わたくし、soroさんの

「No Blog,No Life!」

は名言だと信じております。
こういう人に、私はなりたい。

というわけで、これをご縁にトラックバックさせていただきます。
へへへ・・。
 
 
 
というわけで、もしかすると本日の夕刊に、記事が載っているかもしれませんので、是非ぜひ、チェックしてみてくださいませ。

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恐るべき遺伝子

夕餉の食卓では、異変が起こっていた。

配膳する段になって、ご飯をよそうのに用いるべきシャモジが無いという事実が判明したのである。

シャモジ不在。

そのあり得べからざる状況は、和やかだった食卓の雰囲気を暗転させるに十分だった。
何故ならば、シャモジのある厨房は別棟にあり、取りに行くためにはわざわざ靴を履かなければならない。

しかも、その日は3月だというのに、大粒の雪がボタボタと降りしきっている。
当然寒い。

要するに、誰も行きたくないのだ。
 
 
 
その場に居合わせた母、姉、そして私は、黙然と視線を交し合う。

(誰かが、行ってくれないだろうか・・)

という意思で一致している。

なんとなく、雰囲気として、私が行かなければならないような雲行きになってきている。
母と姉の視線が、

(あんた、行きなさいよ。)

という色合いを帯び始めている。

しかし、なんとなく、その雰囲気を察して動くのが悔しい。

「屈した感」

が悔しい。
そこで私は、ひとつの妙案を思いついた。

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ジャンケンである。

ジャンケンを持ちかければ、とりあえず

「俺100%」

の現状を、

「俺33.3%(小数点以下省略)」

にまで改善できるのだ。
非常に消極的な対抗策ではあるが、他に方法があるなら教えて欲しい。

とにかく、

「ジャンケン案」

は、私の思惑通り可決され、

「一番負けた人が取りに行く」

というルール設定が成された。

3人は、一様に背筋を伸ばし、ある者はコブシを揉み、ある者は手のひらを伸ばし、ある者は指をパラパラと動かす。

一見意味が無いように思えるこのジャンケン前の準備運動は、日常に降って沸いたささやかな「戦闘」という非日常へ突入するための、覚悟を固める儀式なのである。

「じゃあ、いくよ。せ~の・・」

「ジャンケン・・」

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「アイコで・・」

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「アイコで・・」

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「アイコで・・」

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「アイコで・・」

「アイコで・・」

「アイコで・・」

・・・

「ちょっと待って!!」

7回目のアイコでさすがにいったん水入りとなった。

「なんで、こうも合ってしまったりバラバラだったりするんだろう・・?」

「顔だけでなくて、思考も似ているからじゃないか・・?」

そう。
いつもそうなのだが、我が家は家庭内でジャンケンをすると、とにかくアイコばかりでいつまでたっても決着がつかないのだ。

それがたとえ、2人の勝負であっても延々とアイコが続く。

しかし、一度ジャンケンと決めたからにはジャンケンで決着をつけなければならない。

ここに来ての
”私が取りに行く”的発言は、場を白けさせることを皆が知っているのだ。

「も一回行くよ!せ~の!」

「ジャンケン・・」

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「アイコで(笑)」
思わず笑いが漏れる一同。

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「アイコで!」
じれったくなる一同。

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「アァイコで!」
自分が負けてもいいから、早く決着がついて欲しい一同。
しかし、誰一人勝負を降りようとはしない。

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「アイコで!」

「アイコで!」

「アイコで!」

・・・・
 
 
 
一体、何度アイコを繰り返したのか。
ようやく母が負けたところで決着がついた。

3人の間には、勝負云々よりも、それが終わったことへの安堵感と満足感が満ちていた。

我々は、あらためて遺伝子の恐ろしさを思い知らされたのであった。

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マーク・モンタージュ・プロファイリング

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ある日のこと。

私と相方は、輪型揚げ菓子店として全国展開している

「ミスター・輪型揚げ菓子」

に立ち寄り、輪型揚げ菓子をもっしもっしと口に運び、お茶を飲んで談笑していた。
 
 
 
その時である。
ふと、紅茶と輪型揚げ菓子の置かれたトレイの中に敷かれている紙が目に入った。

その紙には、輪型揚げ菓子をモチーフにした獅子の四コマ漫画が描かれており、さりげない宣伝がちりばめられている。

その紙をまじまじと凝視する私。

「なんかあった?」

尋ねる相方。

「このマーク・・。」

指し示した先には、左の下隅にひっそりと配置された

「ミスター・輪型揚げ菓子」

のマークがキョトンと人差し指の先を眺めていた。

「どうして、帽子がナナメになっているんだろう・・。」

殊更に表情を曇らせ、考え込む私。

「ああ、ジュリーだよねえ。それじゃあ。(笑)」
相方は笑いながらそう返して、ジュースを口に運ぶ。

「そうそう、ジュリー。(笑)」

なおも、そのマークを見つめ続ける。
もうひとつ気がかりなことがあった。
目の下の、「W」が二重になったような部分である。

「これは、ヒゲだろうか?口だろうか?アゴだろうか?」

いかようにも取れる。

ただひとつ言えるのは、最下部の蝶ネクタイの太さから推察して、このマークのモデルになった人間は、そうとう屈強な男であるという事である。

私は、脳内画像処理ソフトを起動し、数種類のモンタージュを作成した。

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もっともしっくり行ったのは、

「ヒゲ、割れアゴパターン」

の「ミスター・輪型揚げ菓子」であった。
さっそく相方にペンを借り、紙ナプキンにプリントアウトする。

そして、相方に見せた。

「多分、こうじゃないだろうか。」

相方は横目にチラと見て、

「なんか、『お坊ちゃま君』みたいな絵だねえ。」

と、言った。

「・・・そう?」

的外れとも言える受け答えだったような気もするが、私の中では一応の結論を見たので、それはどうでもよかった。

一瞬、湧き出た疑問の答えをなすりつけたナプキンを無造作にトレイの上に放り投げ、残りの紅茶を飲み干す。
夜9時過ぎの店内には、まばらな客と、気だるさが居座っていた。

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シモヤケに見る指模様

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今、私は右足の指にシモヤケをわずらっている。

シモヤケというのは、指先が冷えて血行が悪くなったことで起こる、軽度の凍傷である。

今年の冬は、例年に比べても格段に寒く、雪も多い。
そんな中、断熱に乏しい長靴で歩き回っていると、いつの間にか出来てしまうのがシモヤケなのだ。
 
 
 
シモヤケというものは、かかってからしばらくしないと気づかないものである。
何気なく指を曲げると、指先に腫れぼったいような違和感と痛がゆさがあり、

「あ!」

と思って見ると案の定、足の指がシモヤケに侵されている。
 
 
 
シモヤケというものは、いつの間にか肉体の一部に居座っているものだ。

そして、一度気づくとだんだんとその存在が大きくなってゆくものである。

痛くてかゆくて、ちょっと気持ち良かったりもする。
わざわざ指を動かして、違和感の刺激でもってその存在を確認してしまう。
指で押して、シビレを味わいたくなる。

やがて、頭の中がシモヤケのことでいっぱいになり、わざわざ靴下を脱いでは、赤らめた指を点検し、納得してしまう。

忌々しいと思いながらも、放っておけない存在なのである。

 
 
 
今、私は右足の指にシモヤケをわずらっている。


それらを眺めていると、ひとつだけ腑に落ちないことがあった。

5本の指のうち、シモヤケをわずらったのは3本だけなのである。
手の指で言うところの、人差し指、中指、小指が顔を紅潮させている。

その3本は仕方がない。

親指は、シモヤケの被害から免れているのだが、それは納得がいく。
その体格と恰幅のよさから、そうそうシモヤケなどにはかからないであろう雰囲気がある。
指組の重鎮なのであるから、簡単に浮ついてシモヤケにかかってもらっては困るという思いもある。

分からないのが薬指である。
同じような体格の人差し指、中指、小指が患ったというのに、薬指だけがシモヤケを免れているのである。

親指は別格として、居並ぶ指のうち、薬指だけが白い。

もしかすると、私の右足薬指にはシモヤケに対する免疫細胞、抗体があるのかもしれない・・と考えたのだが、良く考えてみるとシモヤケは伝染病ではないので、それは無い。
 
 
 
となると、やはり足の指間における温度差だろうか。

持ち主である私が気づかぬ内に、足の指たちの間に派閥が出来ていたのかもしれない。

「親指に依らない指運営」

を推し進める人差し指革新連合と、飽くまでも既存の親指を中心とした指体制を守りたい親指保守

その対立が、シモヤケというアクシデントをもって、図らずも色分けされ、構図が浮き彫りになったのではないか。

そんな不穏な雰囲気が感じられ、不協和音が見て取れる。
足の指なのに、足並みが揃っていない気がする。

現在のところ、人差し指革新連合が過半数を占めているが、事態はいまだ予断を許さない。
中指が、保守転向の動きをみせているからである。

今後の中指の去就に注目が集まっている。

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無言の駆け引き

少し前のこと。

私は、書店で相方と待ち合わせをしていた。

店内に入り、書棚の間を順々に探していると、「編み物関連書」のコーナーで立ち読みする相方の姿を見つけた。

(あ、いたいた。)

歩み寄る私。
それに気づいて、読んでいた本を棚に戻す相方。

その時だった。
 
 
 
(ん?)

私は、自分の頭頂部に突然かゆみを感じた。

(む、かゆい。)

何も考えずに、右手を頭に持ってゆく私。

相方はそれを見て

(あ、手を振ろうとしている)

と感じたのだろう。
それに応ずるべく右手を上げた。

しかし、私の上げた右手は、自分の頭を掻くためのものだった。

(あ、イカン!)

と瞬間的に思ったものの、手が止められなかった。
結果的に相方の期待を裏切り、自らの頭頂部をポリポリと掻いてしまったのである。

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意外な行動に、顔の横まで上げていた手を止める相方。
表情に、

(しまった!ひっかかった!)

という色が浮かんでいる。

(ああ、ゴメン・・。)

不可抗力とはいえ、フェイントをかけ、しかもそれがまんまと成功してしまった事に、焦る私。
慌てて体勢を立て直し、手を振ったその時・・

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相方は、途中まであげていた手の用途を一瞬で変更し、髪をかき上げてみせたのであった。
それに対し、一人手を振る私。

まさに、私のうっかりと、相方の負けず嫌いが交錯した一瞬。
勝負は、フェイントにフェイントで返した相方の勝利であった。

上げた手に送った視線を握りつぶしながら、何故かたまらず悔しくなる私。

相方との無言の駆け引きは、今日もこうして続いている。

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荒地に咲く花

ガソリンスタンドに立ち寄った際。

思いがけず妙齢の女性店員に出会うと、とても得をした気分になってしまう。

何故ならば、ガソリンスタンドの女性店員(妙齢)は、グッジョブ的要素満載の存在だからである。
 
 
 
そもそもガソリンスタンドというものは、極めて不穏な空間である。

油と鉄とゴムが視界を阻み、危険物に囲まれているという緊張感が常にまとわりつき、脳に直接響くガソリンの臭気が無骨で無機質な雰囲気を突きつけてやまない。

考えることも、良からぬ方向に進みがちになる。
基本的に前進のまま通り抜ける施設なのに、気持ちは後ろ向きになってしまうのだ。
 
 
 
ある日のこと。

私は車のガソリン残量がわずかであることにいよいよ観念し、とぼとぼと行きつけのガソリンスタンドに入った。
それに気づいて、事務所から飛び出しつつ

「いらっしゃいませーーーー!!」

と叫び、駆け寄ってきたのは、妙齢の女性店員だったのである。
私はどんなにか救われた気持ちになった。

白と黒を基調としたグラデーションで構成されていた風景が、その女性店員の周りだけわずかな彩りを取り戻していた。

ガソリンスタンドの女性店員は、声が大きい。
女性の声というのは、大きいと艶を増す気がする。

車を止めて、運転席の窓を開けると、そこに駆け寄り先ほどよりも幾分小さな声で

「いらっしゃいませ!」

と言ってくれる。

先ほどの大きな「いらっしゃいませ」は公的なもので、今の「いらっしゃいませ」は、私だけに向けられているのだなあ・・と思うと、一歩踏み込んだ関係になったような気がして、別の意味で緊張が走り、色めき立った空気を感じてしまう。

そして、それはすぐに勘違いだと気づく。
 
 
 
油種、数量を発注すると、女性店員は一度先ほどの「個人用声量」でもって確認し、離れ際店内に響く声(公的声)でもって油種、数量を発表する。

「個人的声量」のところが、言外に

(じゃあ、あたし行くけど、すぐ戻ってくるからちょっと待っててね。)

という、「ナイショ話的雰囲気」が感じられ、そこでまた色めきだってしまう。

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そして、それはすぐに勘違いだと気づく。

ガソリンスタンドの女性店員の魅力のひとつは、この「声量大小使い分け」にあると言って良い。
 
 
 
ガソリンを注入している間、女性店員は実に甲斐甲斐しくクルマの世話を焼いてくれる。
男物と思しき、大き目のツナギを着てコロコロとよく走りながら、窓を拭いたり、灰皿を交換したり、ゴミを受け取ったり。

あまりに至れり尽くせりなので、こちらが恐縮してしまう。
冬場などは、幾分暖かい車内にいる自分が申し訳なくなり、居たたまれなくなる。

「車内をお拭きくださ~い!」

と、渡されたタオルが半分凍って硬くなっていたりすると、

「ああ・・!お疲れ様です・・・!」

と涙ぐみ、手を取り、さすってやりたい衝動に駆られてしまう。
実際にやったら、確実にドン引きされるのでやりませんが。
 
ガソリンスタンドの女性店員の魅力のひとつは、この「恐縮するほど甲斐甲斐しい」ところにあると言って良い。
 
 
 
そして、給油を終えて代金を払う。
女性店員は、サービスを終えた充実感と安堵感で相好を崩した。
寒さで赤くなった頬と鼻先に囲まれて、ニカッと白い歯が光っている。

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その顔がまた良い。

現金受け渡しの際、油にまみれ、黒く染まった指先に目が行き、少し胸が詰まる。
おつりを受け取るこちらの手の方が女性の手のように白い。

なんだか申し訳ないような気持ちになる。
しかし、そんなことはお構いナシに、元気良く前屈しながら

「ありがとうございましたーーー!!!」

と送り出してくれる姿に、私は感動すら覚えるのであった。
 
 
 
ガソリンスタンドの女性店員はグッジョブである。

メリハリの利いた艶があり、働き者で甲斐甲斐しく、勇ましい。
困難な場所に根を下ろし、懸命に咲く可憐な花のような風情がある。

たった一回の給油で、もう、他人ではなくなったような気さえしてくる。

未練だろうか。
少し振り返ると、

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早くも男性店員と談笑している。

尽くしてその気にさせといて、キッチリ突き放す。
そのビジネスライクな潔さも・・・また良い。

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