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血だらけランチ

私と相方の行きつけであるカフェレストランは、何を食べても大変美味しいお店である。

しかし、一つだけ困った事があるのだ。
それは、

パンが非常に固い

という事である。
相方とこのレストランでランチを楽しむ時には、必ずと言っていいほど

「美味しいね。でも、固いよね・・。」

という泣き言が入ってしまうのである。
 
 
 
冬の澄んだ空気を、首をかしげた太陽がさんさんと照らす昼下がり。
私と相方はランチを食べていた。

その日のランチメニューは、サラダとパン2切れ、ヒジキのサンドイッチ、それに野菜スープである。

まず、付け出しにフランスパンが運ばれてきた。
小さなガラスのお皿には、半分溶けたバターがのっている。

私はパンを一つ取り、バターをのせてかぶりつく。

その時である。

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乾燥していたのだろうか。
必要以上に口を開けたのが裏目に出たのだろうか。

クチビルの端がピリッという音とともに裂け、血が滲んできたのである。

「トシさん、血でてるよ。リップクリーム貸したろか?」
気を使う相方。

しかし、すでに切れてしまっているものはどうしようもない。
白いリップクリームを紅く染めるだけである。

「あー、いーよ、いーよ。」

とやんわり断り、咀嚼の続行を決断した。

この店のパンは非常に美味しい。
なんでも、発酵時間を調整などをせずに製造しているため、本来のパンの風味が楽しめるのだそうだ。

なるほど、そう聞くと余計に、噛めば噛むほどに味が出る。
噛めば噛むほどに味が出るのはいいのだが・・

やはり皮が固い・・!

中はふんわりモチモチなのだけれど、皮が固い上に鋭利なのだ。
口の中でザクザクと噛み砕いている間に、固い表皮は容赦なく私の口腔内を傷つけてゆく。
歯グキは削り取られ、内膜はすりむき、味わい深いパンと一緒にしょっぱい鉄の味が口の中いっぱいに広がる。

しかし、パンは美味い。
体は傷付いてゆく。
パンは美味い。

そのうちに、あろう事かパンを食べ、口の中が切れてゆく事に快感を覚えるようになってくる。

「ああ・・私はこんなにも傷つけられているのに、このパンから離れられない。それほどまでにこのパンを愛しているのね。」

という気分になってくる。
傷モノにされながらも、真摯に愛する(噛む)自分の姿に恍惚を感じてしまうのである。
野菜スープが傷口に染みても、愛に障害はつきものよね・・という気分になってしまうのである。

それどころか、傷口を優しく包むアイスクリームには、

「あなたは優しいけれど、物足りないの・・」

と言う気分になってしまう。

こうして、口腔内を血で満たしながら、白昼の背徳の宴はますます深まってゆくのであった・・。
 
 
 
余談ですが、口の横から滲んだ血を親指でぬぐい、ファイティングポーズなどとってみたのだが、相方にはあんましウケませんでした。

ホアチャ~~~!!!

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載ってたよ~。

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本日は1月29日。

「Yahoo! Internet Guide」の発売日である。

私は、今日と言う日を心ひそかに待ちわびていたのだ。

何故ならば、
今月の「Yahoo! Internet Guide 3月号」で、ウチのブログ「言戯」が紹介されるからである。

朝7時の起床から、私は落ち着かなかった。

「早くコンビニに行って、Yahoo! Internet Guideを購入せねば・・!」

という焦燥感に駆られていたのだ。
私の住むところから、最寄りのコンビニまではクルマで片道20分。
恐るべき田舎である。

はやる気持ちを朝食と一緒に飲み込んで、私はさっそくコンビニまで出かけるべくクルマのキーを探していた。

その時である。

「トシー。オレ下(街)に行くから、ついでに買ってきてけっから。」

と、兄が申し出てくれたのである。

「お、サンキュー。」

「なんつー本だっけ?」
兄が聞く。

「『Yahoo! Internet Guide』。」
流暢な(ウソ)英語で伝える私。

「おう。アホウな。分かった。」

(ちっ・・またか。)
私は心の中で舌打ちした。
いつもの確信的なボケである。
こう言った見え透いたボケにも、突っ込まなければならない。
何故ならば、兄はさみしがり屋だからだ。

ほうら、見なよ。
弟の突っ込みを欲しがるあの目を。

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「さあ、兄に突っ込みなさい。」

と言わんばかりの態度を。

突っ込んでやるものか。
お前なんか、放置だ。

放置プレイだ。
(つまり、無視だ。)
 
 
 
そう心に決め、「突っ込み待ち顔」の兄を尻目に、ちょうど開いていたパソコンからネットに接続した。

「Yahoo! Internet Guide」のホームページを開くためである。
 
 
表示された画面には、すでに3月号の表紙画像がアップされている。

「兄(あに)さん、これだよ。これ。青の表紙で、コイケエイコさんが載ってるヤツ。」

「おう、・・・・分かった。青のコイケな。」

という言葉を残して、立ち去る兄。
一瞬の沈黙は、ボケを探したが、とっさに思いつかなかったのだろう。
そっちの方が可笑しくて、「くっく」と笑う私。
  
 
 
約1時間ちょい後。
ようやく兄が戻ってきた。

2つ3つのビニール袋を一つ手に持ち、それを厨房の調理台の上に置く。

「おめーの言ってた本、コンビニ4軒探してやっとめっけた(見つけた)よ!隣町まで行ったわ!」

怒る兄。

そう。私の住むところはあまりにも田舎で、インターネット人口が他の町にくらべ極端に少ないのである。
コンビニは、「その地域で売れない本は置かない」のが普通であるから、当然私の町のコンビニに「Yahoo! Internet Guide」は置いていないのが実情なのだ。

ちなみに本屋もほとんどない。

飲み屋と酒屋と金貸しとパチンコ屋だけは多い。

政令指定都市の隣町だというのに、そういう場所もあるのだ。
 
 
 
兄に礼を言って、本を受け取り、さっそく内容を読む。
 
「いまこのホームページがおもしろい」

という特集ページの、

「必見ブログ」

のコーナー。

「う~む・・『やまけんの出張食い倒れ日記』さんと、『実録鬼嫁日記』さんは相変わらずスゴイなあ・・」

などと思いつつ、ページをめくると・・

あった!

「言戯」が、ちゃっかりと載っている。

いつも思うのだけれど、書籍で紹介される「言戯」は、なんだか私じゃない他の人が描いたもののような感じがする。

「誰か、あの場面を見ていたのか?」
と疑いたくなるような。

不思議な感覚。
 
 
 
ともあれ、またまた紹介していただき、誠にありがとうございました。
皆様も、是非「Yahoo! Internet Guide」を読んでみてください。

色々面白そうなページがありましたよ。

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臭いもの嗅ぎたさ

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「嗅ぐ」という漢字は、「口」に「臭い(におい)」と書く。

「臭い(におい)」は、「臭い(くさい)」とも読みますから、それってつまり、「臭い(くさい)」を口で味わうのがかぐという事になるのである。

ということは要するに、

「嗅ぐ」

という言葉は、

「クサイものを味わいたがる様」

そのものである気がする。
 
 
 
誰にでも、「大好きな臭さ(くささ)」があるはずだ。

もちろん、私にもある。

それは、
 
 
 

犬の鼻のニオイ

である。
 
 
私は、犬のニオイが好きだ。
あの、ケモノクサイニオイが、時折嗅ぎたくて嗅ぎたくてたまらなくなる時がある。

そんな時。
私は、我が家の愛犬「まる」をとっ捕まえ、頬の肉ををワシリとつかみ、オデコとオデコをくっつけて、鼻っ面に自分の鼻を密着させてニオイを楽しむことにしている。
 
 
ご存知だろうか。
犬は、大抵全体に体臭が濃いものだが、犬の鼻ツラというのは、意外にもそんなにニオイがしない。

それは多分、犬の行動の中で、鼻先の担う役割が大きいからだと思われる。
是非一度、最寄りの犬の鼻のニオイを嗅いでみて頂きたい。
(もし、それが原因で噛まれたり舐められたりしても、当方は責任を負いかねます。)
 
 
 
「くさい」には、「良いくさい」と「悪いくさい」があると思う。

「良いくさい」は、懐かしさがある。
「くさい」を捨てて久しい、人間生活の中で、ふと、ふるさとに帰ったかのような安心感がある。

「そうか、動物って、もともとはクサイんだ。」

という発見がある。
 
 
 
余談だけれど、同じ犬の鼻でも、食事の直後の鼻のニオイは、「悪いくさい」である。

私はあまり好きではない。

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相方の風邪

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相方が風邪を引いてしまった。

だんだん良くなってはきているが、まだセキが出ている状態である。
 
 
 
原因は当然、今回の私の暴走にある。
それはどうしようもない事実である。
 
 

相方は、確かにしっかり者である。
私などより、ずっと頼もしい。

しかし、決して強いわけではないのだ。
頼もしいから、つい忘れがちなのだけれど、強いわけではないのだ。

いつもその事は分かっていて、

「自分も強くならねば!」

と、相方の手を引っ張っていこうとするのだが、大体それは今回のような暴走になってしまって、結果、相方に余計に負担をかけてしまうのである。

あああ・・・情けない・・。
 
 
サチ、ごめんな~。
ホントに、これから気をつけるから、勘弁して。

あったかくして寝て、早く良くなってな。

相方:寿より。

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ラブレターケース

以前、ホームセンターで買い物をしていた時のこと。

文房具売り場の入り口に、

「ラブレターケース」

という大きな箱が陳列されているのを発見した。
 
 

その箱は、5つの引き出しのついたもので、ラブレターが数十枚どころか数百枚は入るであろう代物であった。

私は、

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と戦慄すら感じた。

何故なら、そんな箱が何の違和感も無く売られているという事は、世間では私の想像を遥かに凌駕するほど、幾多のラブレターが飛び交っているという事だからだ。
 
 
それはつまり、ラブレター氾濫時代の幕開けであり、
恋文の花吹雪であり、
愛の歌の大バーゲンということに他ならないからである。
 
なんということだろうか。

知らぬ間に、日本は恋の国と化していたのだ。
情熱の活火山が大噴火だったのだ。
恋慕のマグマがグーツグツだったのだ。
 
 
 
私は、このケースを満たすほどのラブレター所持量がない事に敗北の念すら感じながら、その場を離れたのであった。

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スゴイブログだなあ・・。

今回のこの騒動。

といっても、私が一人で波風を起こした事だったのですが、それはこのブログにも波及しました。

まあ、波及させたのは他ならない私なのですが・・。
 
 
 
・・・

イカンイカン。

へこまない、へこまない。

 
えー、さんざん騒いだ直後でアレなのですが、不謹慎にもですね。
あらためてブログってスゴイなと思ったのです。

いや、ブログというシステムもそうですが、ウチのブログってスゴイなと思ったのです。

別に自慢ではなくてですね。

まあ、気を悪くしないで聞いて下さいよ。
 
 
 
以前、「ブログは、ストリートミュージシャンであるという言葉をチラリと読んだことがあって、それはもともと大西 宏さんのブログ、『大西 宏のマーケティング・エッセンス』の中に書かれていたことらしいのですが、私もその意見には

「ああ、そのとおりだなあ・・。」

と納得、感心していました。
 
 
私も、ネットという大きな通りで、自分なりの表現(イラストと文章ですから、弾き語りみたいなものですね)で勝手に演奏していて、ひたすら歌っているうちに、ありがたいことに毎日足を止めて聴いてくれる人が増え始め、他のところで演奏していたミュージシャン(ブログを書く人ですね)がそばに来てセッションしてくれたり(トラックバック)と、だんだん賑やかになってきたのを実感していました。


そうしているうちに、今まで黙って聴いて、手拍子をくれたり、たまに声をかけてくれていた聴衆(読者)の皆様が、いつのまにか一緒に歌い始め、ついには自分なりの楽器(表現)を持ち寄り、合奏し始めてくれたのです。

そして、私が悩んでいる時には、親身になって助言や応援を下さったのです。


これは、なかなか実現することではありません。
まさに、「ありがたい事」です。

そして、スゴイ事です。

 
「結婚準備始めました」から始まった、今回の一連の騒動で、私の狂想曲とも言える楽曲にさまざまな手法で応援、アドバイス、体験談を寄せてくださった皆様。

本当に本当にありがとうございました。
お騒がせしてすみませんでした。
 
 
 
ここ数日、ひたすら激しい自己嫌悪におちいっていまして、その自己嫌悪すら描きたいという衝動も無い事は無いのですが、さすがにそれは不謹慎に過ぎると思いますので、やめておきます。


姉も言ったとおり、私は「描く人間」です。
上手いか下手かは置いておいて、描かずにはいられません。
マグロが泳いでいないと呼吸が出来ないように、私は描いていないと精神的健康が保てない人間なのです。
だから、これからも今までどおり描いていきます。


今回の事では、実に様々なことを学びました。
これから、それを忘れぬよう、生かしていきたいと思います。
 
 
 
まだまだ未熟な管理人ですが、頑張って少しでもマシな人間になりますので、これからもどうかよろしくお願い致します。

「言戯」管理人:寿

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ただひたすらごめんなさい。

焦って、焦って、何をそんなに焦っていたのか今になれば分かるのですが、またやってしまいました・・。

自分でも何に焦っているのか分からない状況で暴走しはじめ、周囲をみんな巻き込んでしまう悪癖は今まで何度も経験していて、そのたびに多大な迷惑をかけ、反省もするのですが、今回も結局はそれだったのです。
 
 
 
「どうしても、今のままの職場ではやっていけない」
という事がまずあって、それが数ヶ月前から

「このまま続けていていいのだろうか・・」

という迷いになり、話せば話すほどもつれて、出口を見失ってしまい、それが焦りとなり、はやく出口を見つけて、はやく方向性を打ち出して安心したいという気持ちもあったのでしょう。

「こうなったら出て行くしかない。」

という結論に達したのです。
 
 
 
しかし、そのもつれた原因というのが、ほんの些細な言葉の行き違いで、その事が分かったのが全てを宣言したあと。

本当は、もっと話は単純で、みんなが協力してくれて、祝福してくれている話だったのです。
 
それを、私の焦りが全てをシッチャカメッチャカにしてしまった事というだったのです。

この件で、私は周囲の信頼を相当失いました。
結果的に、意見がコロコロ変わってしまったのは事実なので、それは当然のことです。
それについては私が皆様からお叱りを受け、反省し、信頼の回復に努めればいいことなのですが、今回はそれだけの問題ではなかったのです。

もう、自分ひとりのことではない、
「私の意見は相方の意見でもあり、私の暴走は相方(婚約者)の暴走でもある。」

となることに思い至れなくて、さんざんに相方を振り回し、相方の信頼まで損なわせ、なにより、相方に多大な負担をかけてしまったのです。

結果として、一番大事にしたい人を、一番傷つけてしまった。
それが、一番痛かったのです。
 
相方と、そのご両親には、謝っても謝っても謝り足りません。
 
 
 
今回のこの件で、周囲に困惑と不審を撒き散らしながらも、現時点で一番良いと思われる方向性に落ち着きつつあります。

そこは、普通にやっていれば普通に行き着くところだったのですが・・。

とにかく反省し、がんばって信頼回復に努めます。

コメントやトラックバックで応援してくださった皆様、
心配してくださった皆様、
アドバイスを下さった皆様、

ありがとうございました。

本当にごめんなさい。
 
 
 
今回の失点は、そう簡単には取り戻せないので、じっくり取り組んでゆきます。
ブログも、何食わぬ顔で続けてゆきます。

「失業確定~」は、私の「アホアホ街道ばく進記念碑」として、残しておきます。

こんな、いいトシこいてアホアホ丸出しの管理するサイトですが、よろしければこれからも見てやって下さい。

よろしくお願い致します。
 
 
 
「言戯」管理人:寿

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軌道修正

ちょっとだけ。

お休みします。
 
 
自分のフォームを見失っていることに気付いたからです。

大いに反省し、修正します。

本当に、ごめんなさい。
 
 
 
「言戯」管理人:寿

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失業確定と、相方のご両親。

失業が確定した。
 
 
ずっと悩みに悩んでいた事だったのだけれど、私は、今勤めている実家の企業を辞め、家を出て、外で働いて相方(婚約者)と結婚して独立してやっていくという道を選択した。

自分がそうしたいと思ったからだ。
甘いというのは当たり前だし、無謀と言われればそのとおりである。

しかし、このまま現状に居座りつづけた所で、いけないという考えがどうしようもなくあり、もちろん、途方もなく大変な事は分かっているが、自分でそう決めた。
 
 
 
今日、その事を相方のご両親に話しにいった。
事情も、私の意思も全て話した。

これから失業するということも告げた。

相方の両親は、相方の意思を確認したあと、

「サチコがそう決めたのなら、それでいい。もちろん、甘くは無いが、大人二人いればどのようにだって食べてゆく事は出来る。がんばりなさい。」

と言ってくれた。
正直、この言葉には救われたし、頑張ろうと思った。
 
 

実家では、家族ほとんどに取り囲まれての

「お前には無理だ!やめろ!」

の大合唱である。
6年間も身内の中で働いてきた人間が、急に外に出るというのは確かに心配だろう。
それは本当に申し訳ないと思っている。

しかし、今回の事をくつがえすつもりはない。

 
今の状況で出てゆくというのはどうしても無理なので、仕事を探しながら働きますから、当面の住むところだけは貸していただくように頼み込んだ。

「絶対無理だとは思うが、やるならやってみればいい。(貯金が出来なかったのも知ってるので)仕事が決まるまで、メシだけは食わせてやる。」

という答えをいただいた。

 
 
 
私のワガママである。
それに相方を付き合わせることになる事も重々承知である。

それを分かった上で、
相方は、私の意思に賛成してくれている。
相方の両親も応援してくれている。

それだけでも、私は恵まれている。
とんでもないピンチだけれど、幸せだ。

あとは、それに見合った答えを出してゆくことだ。
 
 
 
「んで、ブログ書いてる場合でないべ。」

と言われるかも知れませんが、このブログと、ここで知り合った皆様との「縁」は、唯一と言っていい、私の持ち出せる財産ですので、出来るだけ更新を続けていきたいと思っております。

それは、相方にも言われました。

「あれだけ人が集まってくれるサイトと言うのはそうそう作れるものではないよ。どんなに大変でも、『言戯』は止めちゃダメ。」

と。

さすがにしばらく絵までは描けないと思いますが、そこはご了承ください。
 
 
 
求職活動には、先ほどからすでに入っております。
宮城県は、本州でも屈指の不景気県ですが、なんとしても探します。
 
 
 
がんばります。
 
 
 
「言戯」管理人:寿

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名前変更のお知らせ。

突然ですが。

ワタクシのハンドルネーム(というのかなあ?)「そんちょ」は、本日限りで使うのをやめようと思っております。

そもそも「そんちょ」と言う名前は、私の現在の勤め先である企業の「~村」のホームページを作成したのがキッカケで、管理人にも任命されたところから「村長」と名乗るようになり、「村長」ではなんだか中途半端に偉そうなので、「そんちょ」にしたわけだったのです。

しかし、今回の結婚を決意した事、それによって、どのような方向に進むにせよ「~村」とは今までより少し離れたところから関わることにもなる事は間違いなく、しかも、その「~村」にはちゃんとした「村長」がいるわけなのです。

つまり、「そんちょ」は二人も要らないだろう。

と思ったわけですね。
 
 

と、いうワケで。
これから、「言戯」管理人のハンドルネーム(作者名?)は、

「寿(とし)」

という事にしたいと思います。

ただ、これまで書籍に掲載された時など、作者名が「そんちょ」となっておりますので、今までどおり「そんちょ」と呼びたい方は「そんちょ」でも構いません。
 
 
返事はしませんが。(ウソ)

では、これからも「言戯」と、管理人「寿」をよろしくお願い致します。
 
 
 
「言戯」管理人:寿

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石油ストーブの楽しみ。

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ふと、部屋の中が寒いことに気付き、愛用の石油ストーブを見ると、いつのまにか消えている。
灯油の残量を示すメーターは赤い。

(ああ、灯油が切れたのか)

灯油缶を抜き出し、ポリタンクに入っている灯油を補給するわけです。
灯油缶を置いてあるところというのは、火の気の無いところですから当然寒いわけで、そんな空気の中、ポリタンクを持って灯油缶の残量計を凝視する時の静けさというものがとっても良いと思う。

これから、この液体に火が灯って部屋を温めるんだなと思うと、なんだかとても意義のある事をしているような、すぐ先の快適な未来に向かって準備している気分になるからだ。

そう思えば、この寒さも嬉しい。
 
 

ただ、灯油缶のフタとだけはイマイチ仲良くなれない。
何故ならば、かなりの確率でナナメに入ってしまい、溝が噛んで動かなくなってしまうからだ。

ああなってしまうと逆に回してもズラしてもビクともしないから、

(だ~!もう!)

と、ついカッカして、力ずくでこじ開けようとして急に外れて、中に入っていた灯油が飛び出てきて手についてしまう。
そうなると、ますますカッカするのだけれど、この怒りをぶつける場所も見当たらない。

見当たらないので、心の中で呪詛を繰り出すわけです。
(性質の悪い奴だ。
オレは、お前なんかより、最近の新しいストーブについている「汚れま栓」とか、ああいうのが良い。
買い換えてもいいんだけれど、まあ、お前の本体とは長い付き合いだから、今回は大目に見てやるが、お前だけは嫌いだ。)

呪詛というより、負け惜しみであるのだが。

まあそれは、私が特別灯油のフタベタなだけかも知れないが、とにかく、灯油缶のフタとだけはおそらく一生仲良く出来ないでしょう。

おそらく向こうも、私と仲良くしたいとは思っていないはずだ。
 
 
 
ストーブが、中の油を燃やし尽くして消えてしまうと、次に点火する時にはあの中の綿みたいな部分に十分油を染み込ませないといけない。

急いで点けると綿みたいなやつが燃えて、不完全燃焼になり、部屋中が臭くなる。

だから、灯油缶を突っ込んでしばらく待つわけなんですが、あの時間がまたいい。
石油ストーブが、

「ああ、待ってました。」

とばかりに

「ゴクン、ゴクン。」

と一気飲みを始めるからだ。
 
渇いていたモノに、潤いを与えるというのは嬉しい。
夏の盛りに、干からびかけた植物に水をあげるような、
ボロボロになってやせ細る迷いネコに、牛乳を与えているような気分に似ている。

「ゴクン、ゴクン。」

と、ノドを鳴らす石油ストーブの前で、その音を聞いている時間が良いと思う。

やがて、

「ゴクン・・・ゴ・・ックン・・・」

だんだんとノドの音がゆっくりになっていって、止まる。

思わず、

「なんだ、もういいのか?」

とひとりごちてしまう。

なんだか、

「いいことをした。」

という気分になってしまう。
つい今しがたまであった灯油缶のフタへの憤懣も、事は油だというのに、水に流そうという気になってしまうのだ。
 
 
 
石油ストーブには、冬の風雅が満ち満ちている気がする。

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相方の覚悟。

去年の事。
私は途方に暮れていた。

結婚してからの生活方法、収入の方法などで、実家でもあり勤め先である企業とモメていたのである。
ある程度予想はついていたし、向こうには向こうのやむにやまれぬ事情があることも分かっているのだが、ついには、

「これでダメなら、ウチを出てもらうしかない。」

という話にまで発展していた。

かといって向こうの言い分を全て飲んだら、確実にやっていけなくなる。
今まで、自分なりに積み上げてきたものがまったく意味を成さなくなってしまうことになりそうな展開に、私はこれからどうしたものかと頭を悩ませていた。
 
 
 
結婚する前に失業の危機である。

新しい職に就くといっても今まで積んできたキャリアは世間的には稀少に過ぎ、求人などあるはずもなく、自分で始めようにも無給だった身。
蓄えなどもあるはずも無い。
 
 
それで、どの面さげて相方(恋人)のご両親に

「娘さんをください。」

などと言えようか。

それよりなにより、名古屋から来てくれた相方に申しわけない。
本当にどうしたものだろうかと、悩みに悩んだのだった。
 
 
 
それから程なく。
私は意を決して、相方に今の状況を全て話した。

怒るのはもちろん、別れ話が出ても仕方がないだろうという覚悟の上である。

喫茶店の丸いテーブル。
コーヒーの湯気をあごに当てながら、相方は黙って聞いていた。
そして、少し考え込んだあと、いつもの淡々とした口調でこう言った。

「まあ、それがどうしても無理なら、食べていく方法はいくらでもあるよ。もちろん私は働くし、なにより・・

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目頭がカッと熱くなる私。

「へっへ、泣かすこと言うねえ。」

冗談に紛らわせて、こぼれるのを危うく防いだ。

「せやろー?泣いてもいいよ?」

不敵な笑みを浮かべながら相方は言葉を繋ぐ。

「まあ、ずっとビンボーかもしれないけどね。私、ビンボーには慣れてるから。」

「ああ、そうだったねえ。」
少し鼻声で応える。

「だよー?ホントに『食うに困る』っていうほどのビンボーも経験してるよ。この平成のご時世に、南京錠でカギをする小屋に住んだ事もあるし、パンの耳を四等分して一日の食料とした時代もあったんだから。」

「うん。」

「それに、私、トシさんと逢うまでは、本気で『一人で生きていこう、生きていける』って思ってたからね。その考えをトシさんに変えてもらったんだから、一緒に行きたいんだ。」

心の容器は、あったかいものや熱いものでとっくに溢れている。
私は、それが目からこぼれないように堪える作業で手一杯になってしまった。
 
 
 
相方の背中には、きっと強くて大きい翼が生えている。

私の小さな不安や葛藤を軽々と飛び越えて、手を取り、跳び上がって新しい世界を見せてくれる。
相方に、一生ついて行こうと心に決めたことは言うまでもない。
(ついていくのかよ。)
 
 
 
なお今現在、話し合いを重ね、家族の皆様の協力もあり、なんとか今の仕事でやっていけるようになりつつある事を報告しておきます。

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スタート地点にて。

突然ですが。

相方(恋人)と、結婚するための話し合いを本格的に始めた。

結婚というものは、非常にありがたいものだ。
何故なら、「自分」というものが残酷なほどよく見えるから。

「結婚する。」
という事に向かって歩き始めて、

如何に今まで自分が恵まれた境遇にいたか、
如何に今まで色々な人に助け、支えられてきたか、
如何に今まで自分が甘え、何も考えずに生きてきたか、

如何に自分が小さく、非力であるか。

という事を思い知らされた。
 
 
 
予想はしていましたが(諸々あって、今まで決断出来なかったのですが)、やはり我々の結婚には、幾多の難関が待ち受けている。

おそらく、「結婚」という人生の大きな変化の他にも、「仕事」という面でも変化しなければならない事態になる事でしょうし、「家族」という枠にも、大きな変化があるかも知れません。

まさに、地震と津波と台風と積雪と盆と正月が一緒に来たような混沌がすぐそこに見えています。
 
 
 
しかし、今、私はとても嬉しい。
自分たちの手で、舵を取れる幸せ。
一人ではなく、二人で人生の方向が決められるということの意味。

どの方向に進むにしろ、苦労と困難の連続でしょうが、

人に担いでもらってゆく楽園より、
自分の足で歩くイバラ含みの道の方が100倍素晴らしい。

と、思うようになった。
相方と知り合わなければ、一生そう思うことは無かっただろう。
 
 
 
いずれにしろ相方には、かなりの苦労をかけることになるけれど、それはごめんなさい。
でも、出逢ってくれてありがとう。

そして、これからもよろしくお願いします。

 
という事を、出発の言葉としたのであった。

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そこまで悔しがらずとも・・

私は、相方(恋人)と行動を共にしている時、よくくだらない事を口走っているらしい。

自分では割と真面目に話しているつもりなのだけれど、
 
「返し方がよく分からない。」

「わけがわからない。」

「くだらない。」

などの理由で、ほとんどスルーされるか、生返事されるか、困惑されるかしている。
 
 
 
しかし、たまにそのくだらないネタが相方の心の琴線を激しく掻き鳴らし、爆笑を禁じえない状況に追い込むことがあるのだ。

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そういう時、相方はうつむいて必死に笑いをこらえる。

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こらえてこらえて、それでも無理だと判断するや、急に逆ギレ。
 

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などとひとしきり謎の言いわけ、理由付けしたあと、

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と呟きながらメガネを外し、泣き出す始末。
 
 
 
何もそこまで悔しがらなくたって・・。
と、思わずにはいられない今日この頃である。

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気後れのグッジョブ。

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スーツ姿の女性は、不機嫌に見える。
 
 
昨日から降りだした雨が、今朝がたから雪へと姿を変え、アスファルトを真っ黒なシャーベットで埋め尽くす。

「夢メッセ」と呼ばれる海辺の大きなイベント施設では、その日、「住宅リフォーム展」と銘打たれた展示即売会が催されていた。

サッカーが余裕で出来そうなくらいの広さを誇る会場内。
建設業や内装業などを営む会社の人々が、それぞれ趣向と工夫を凝らしたブースをところ狭しと出展し、その間に織り込まれるように穿たれた通路を、各社のロゴ入りショルダーバッグにパンフレットを満載した建設関係者や、リフォームを考えているらしい家族連れ、bichikoさんファミリーなどがとうとうと流れ、所々で流れを塞き止めるように、客寄せの出し物に足を止めて出来た人だかり、業者間の名刺交換をする人々がいる。

そんな様子を、私は「体験陶芸教室ブース」の中から、客待ち顔でぼんやりと眺めていた。

隣のブースでは、水回りの業者さんのブースがあり、そこには黒いスーツにビシッと身を包んだ妙齢の営業社員さんがいて、通路の角に立って道行く人々に自社のパンフレットを手渡している。

人の流れの中から、時折弾き出てくる子供たちに陶芸を教える傍ら、その様子が何度も目に入った。
 
 
 
スーツの女性は、どことなく不機嫌な印象を受ける。

張った肩肘と、引き絞った腰のくびれ、内容はどうあれスラッと細く伸びるパンツを完結させる高いヒールの靴が、緊張と、頑固さをかもし出している。

スーツは確かに「戦闘服」であるから、当然といえば当然なのだけれど、普段、「スーツ姿の女性」というものにあまり免疫の無い私としては、非常に近づき難い印象を受けてしまうのである。
 
 
 
しかし、女性のスーツ姿というものは、なんであんなにもカッコイイのだろうか。

全体にスキが無く、もし、見つけられるスキというものがあったとしても、それは頭の良い誰かが計算し、わざわざ作ったスキである。

不可侵の領域を密封したような、
球体を直線で包んだようなシルエットが、独特の魅力を発揮させる。

女性の体に、男性のエッセンスを取り入れた、中性的な印象。
人間に、もしも完成というものがあるならば、それは女性の方が近い位置にいるのだろうな・・という気後れさえ感じてしまう。
 
 
 
スーツ姿の女性はグッジョブである。
近寄り難く、思わず警戒してしまうが、

「美しいもの、カッコイイものを観る。」

という楽しみ方が出来る。

「グッジョブは、遠くにありて想うもの」的な魅力である。

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新たな境地

陶芸の粘土を取りに、馴染みの陶芸機材屋さんに行った時のこと。

その陶芸機材屋さんは、山の地形をそのままに作られたような団地にあり、急な斜面に段々と家々をへばりつかせ、隙間に道路を敷き詰めたようなところにある。

タイヤが、凍結した日陰の雪をパリパリと踏み砕く音を響かせながら、車は後背部からゆっくり駐車場に収まった。

「やあ、おっかなかった・・。」

と、ひとりごちながら、部分的に凍結するアスファルトに注意深く足を置く。
夕方の薄暗い灰色の空からは、紙片のような雪がチラチラ舞い落ちている。

「こんにちはあ。」

と事務所から出てきたのは、この陶芸機材屋さんの社長の奥さんである。
庭いじりと陶芸とピアノが大好きで、いつも鼻歌を歌いながらジョウロで草花に水をやっている、とても穏やかで大らかなオバサンだ。

社長は今日、陶芸材料の配達に行って不在らしかった。
 
 
 
目的の材料を揃えてもらい、それらを車に積んで事務所で会計を済ませたあと、お茶を飲みながら世間話をしていた。

オバサンは、いつものようにゆったりした口調で話しかけて来る。

「こないだねえ、あそこの本屋さんまで楽譜を買いに行ったのよお。あの、ホラ、なんて言ったかしら。あ~・・思い出せない・・。」

「ああ、エート、あそこですね。あのー、・・・なんでしたっけ?」
という風に、これまたいつものように返す私。

いつもこんな風である。
話はしているのだが、それは遅々として進まない。
何故ならば、私とオバサンは、お互いに非常に忘れっぽいからなのである

二人して固有名詞でことごとく引っかかり、それを思い出しているうちにどんどん時間だけが過ぎていってしまう。

そして、話は決まって

「ド忘れ自慢」へと発展してゆくのだ。

オバサンは、記憶の探索を諦めて「ドわすれ話」に移った。

「こないだねえ。ついに自分の名前を忘れちゃって。」
と、苦笑交じりにオバサンが切り出した。

「えええ!?名前忘れたんですか!?」
さすがに驚きを隠せない私。

「そうなのよお。書類に名前を書く時にねえ。『アレ?私の名前、なんだったっけ?』って、とっさに思い出せなかったのよお。一緒にいた妹にも心配されちゃうし。うふふふふふふ。」

笑い事ではないような気がするが・・。

「いやあ、自分の名前忘れるってのはスゴイッスねえ。オレも相当忘れっぽいですけれど、さすがに名前は忘れた事ないです。」
不謹慎ながら、感心してしまった。

「そうなのよお。困っちゃったわ。それでしばらく考えてねえ。『ア、そうだ!私は●●●だ!』って思い出した時にはホッとしたわあ。うふふふふ。」
オバサンは苦笑交じりにお茶をすする。

そして、やや深刻な表情になって、視線をテーブルの灰皿に落としたまま、

「ホント、なんかの病気なんじゃないかと思って、我ながら心配になっちゃうわあ。」
と、ため息をついた。

私はすすっていたお茶を皿に戻し、必要以上に真顔で答えた。

「いやあ、でもアレじゃないスか?それって考えようによっちゃ・・・」

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「『新しい境地』!?」

思いがけない言葉に、目をまんまるくするオバサン。

「そうですよ。きっと、常人では及びもつかない『境地』に足を踏み入れたんですね。先を越されました。羨ましいです。」
苦々しい顔を作る。

オバサンは、今聞いた言葉が、頭ではなくお腹にストンと落ちたような挙動を見せ、顔を真っ赤にしてのけぞり、大口を開けて笑い転げた。

「あっははははははははははははははは!!!そうねえ!『新しい境地』ね!」

ソファをギシギシ言わせながら、額に血管を浮き立たせて笑う。
目には涙が滲んでいる。

私もつられて笑い転げながら、言葉をつなげる。
「あっはははは!そうそう。『記憶力が落ちたんじゃなくて、情報削除機能が向上した。』と思えばいいじゃないですか!」

これは、以前、ここにも書いた事だ。
きっと、そう思ったほうが楽しい。

「あっはははははは!!そうねえ。そう考えればいいんだ。あっははははは!!」
オバサンは息を整えながら涙を拭き、

「そうだそうだ。今度、妹に心配されたらそう言うわ。『私は忘れっぽくなったんじゃなくて、新境地に達したのよ』って。あっははは!」

「なんか、余計に心配されそうですけどね。」

ええ?
と、また頭ではなく、お腹にストンと落ちたのを確認してから、オバサンと私は二人して大笑いしたのであった。

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当たりクジのゆくえ

新年の清々とした空気が、船形連峰の稜線をくっきりと映し出した朝のこと。
知り合いのマッサージ師であるスギヤマさんが、新年の挨拶に訪れた。

その時、ウチにいた私と母は揃ってスギヤマさんを迎え入れ、囲炉裏を囲みながら、

「あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願い致します。」
の挨拶を交し合った。
 
 
 
熱いお茶の入った湯飲みを両手で包んだまま、二つ三つの世間話もそこそこに、スギヤマさんはニコニコしながら、懐から数枚の紙の束を差し出してきた。

よくよく見てみると、その紙の束は年末ジャンボ宝くじの抽選券で、それと一緒に新聞の当選番号発表欄の切り抜きが添えられていた。

「・・・宝くじですねえ。」

私は見たまんまのややマヌケな解説をした。
スギヤマさんはニヤニヤ笑っている。
母は、その様子を見てピンときたのか、驚きと期待の入り混じった顔で尋ねた。

「当たったの!?」

スギヤマさんは、ニヤリと笑って

「100万円。」

とだけ言ったのである。

わあああああ~!!!
おおおお~~~~!!!

感動と驚きと祝福で歓声が上がり、囲炉裏の周りには新雪の照り返しのようなまばゆい雰囲気が満ちた。

「すごいですね!オレ、実物の当たり札って見たことないんです。見せてもらっていいですか?」
と聞くと、

「どうぞどうぞ。」

と言って、スギヤマさんは快く手渡してくれた。

お礼を言いながら当たり札と新聞の切り抜きを受け取り、番号の確認に入る私。
母は我が事のように喜び、はしゃぎながら、スギヤマさんと話をしている。
 
 
どれどれ・・エート、100万円は、3等賞か。

当選番号は・・

組下一桁6組 122948

・・だな。

もう一方の手に持っている当たり札を見る。

36組・・・ああ、下一桁6組ね。

1・・2・・2・・ふんふん、合ってる合ってる。

9・・おお・・

4・・・うわあ・・・。

0!・・・・・うひゃあああ~~!!!

生涯初めて、高額当選の当たりクジを目の当たりにして感激する私。

「やりましたね!スギヤマさん!!」

と言おうとして、ふと違和感に気付いた。
 

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・・・んんんんんんんん!?
もう一度、よく番号を照らし合わせてみる。

3等賞100万円:下一桁6組 122948

これが当たり番号だ。

目の前の札には・・・

36組・・・これは良いんだよな?

122・・・合ってるよな。

94・・・0。

・・・えええ????

私は何度も何度も確認した。
したのだが、やはり

当選番号は

122948であり、目の前の札は

122940なのである。

私は2枚の紙切れを手に持ちながら途方に暮れてしまった。
このクジは、ハズれている。

 
しかし、スギヤマさんのあの喜びようは、間違いなく当たった者のそれであり、ということは、スギヤマさんはこの事実を知らないという事も十分に考えられるのである。

考えてみれば、スギヤマさんはあまり目が良くない。
このよく似た番号を見て喜び、早とちりしているという事も十分に考えられた。

私は、この残酷な事実を伝えなければならなくなった境遇を人知れず呪った。
如何に、伝えるべきか・・。
悩みに悩んだ。

そんな私の窮地を知る由もない母は、無邪気に

「スギヤマさん、こないだも1万円当たったでしょ!?もうそろそろ来ると思ったのよねえ。」

と、相変わらずはしゃいでいる。
内心、
(バカバカ!そういうこと言うな・・!)
と、理不尽に責める私。

スギヤマさんは嬉しそうに相槌を打っている。

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私は泣きたくなった。
どう言おうが、この状況に水をさし、スギヤマさんに相当の心的負担があることだけは間違いないからである。
明るい室内に、私の周りだけ青黒い苦悩の磁場が歪んでいる。

「我、関せず」といった風に白い湯気をポポポポと噴出している囲炉裏にかけられた鉄瓶が忌々しい。
 
 
 
そうしているうちに、いつまでも札を持っている私に気付いた母が、

「どれ、貸してみ。番号見てみっから!」

と言って、札を取り上げた。

(ああ、万事休す・・!)

私は瞑目し、拝むような手で鼻を隠した。
眉間には2本の縦ジワ。

「下一桁6組の~?」

「122・・・うふふ。」
堪えきれずに笑みをもらす母。

「・・・・・。」

当然、予想された沈黙。

母も気付いたらしい。
困惑の磁場が発生し、背景が歪んだのが見えた。

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母は何かを確かめるかのように、チラとこちらを見る。
私は目で応える。

一瞬の沈黙。
気まずさは空気より重い。
足元からそれが忍び寄ってくるのが感じられた。
 
 
 
「かくなる上は・・」
意を決して、しかしおずおずと、私は口を開いた。

「あのう・・・スギヤマさん・・・その宝くじ・・・」

「あははははははははははははははは!!!!」

突然、スギヤマさんが笑い始めた。
呆気にとられる私と母。

ひとしきり、可笑しそうに笑ったあとこう言った。

「ねえ~!惜しいでしょう?私、目が悪いものだから、最初『8』が『0』に見えちゃって、飛び上がって喜んで大騒ぎしたのよ~!」

「あっははははははははは!!!な~んだ!そうだったのお~!?」
笑いながら応える母。

「あんまり悔しいから、せめて皆さんに祝ってもらおうと思って、持ってきたの!」

途端に部屋の中は「惜しくも大魚を逸した者」と、「それを使ってかつがれた者」の笑い声で、和やかな雰囲気に戻ったのだった。

私は一緒に笑いながらも、

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と思った事は言うまでもない。

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スキンシップの男女格差

スキンシップというものには、確かな男女格差が存在する。
 
 
例えば一組のカップルが歩いている時。
女性が男性にジャレつくというのは、どちらかと言うと

「微笑ましい光景」

である気がする。
もちろん限度はあるが、その許容範囲は割合広い。
 
 
しかし、逆の場合はどうだろう?
男性が女性にジャレついているというのは、はっきり言って傍目には

「生々しい光景」

として映るに違いない。
許容範囲は非常に狭い、もしくは「無い」のが実情である。


男性は、公衆の面前で女性の体には触れてはいけない。
触れれば即座に

「なんだ、あの男、公衆の面前でイチャイチャしやがって。」

という世間の評価を頂く事となり、

「軟派」
「不埒」
「好色」
「淫蕩」
「漁色家」

などのレッテルを貼付されることになるのだ。

誠に理不尽ではあるが、世間の目とはそういうものだ。
 
 
 
何故、公衆の面前で男性は女性に触れるのがはばかられるのだろうか?

多分それは、「罪悪感」が発生するからだと思われる。
まるでいけない事をしているような後ろめたさがある。

「なんだか、ごめんなさい感」と、

それを目撃してしまった周囲の人間の、

「そりゃあイカンだろう」

という憤り。
それが即ち、スキンシップの男女格差に出ているという事なのだと思うのですね。
 
 
 
ある日の事。
相方に脇腹を突っつかれ、悶絶しながらそんな事を考えていた。

相方の趣味は私の脇腹を突っつくことであるということは何度もここに書いている。

逢った時には挨拶代わりに突き、運転中も信号待ち中に突き、話をしていても話題が転じる時に突き、並んで歩いている時には思い出したように突く。

それは私の弱点が脇腹であるということを知った上でのことであり、最近では頻度も増えた。
頻度が増え、試行回数が増えるにつれて、相方の

「突き手」

にも工夫と練磨が施され、今では数々の技が開発され、その内容は大変な充実を見せている。

その一部を紹介しよう。

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最近では「脇突きは極めた」のか、背骨に沿って指をすくい上げる新手まで開発しているようだ。
(実験台は当然私である。)


このように、私はいつも相方の一方的な「スキンシップ」の餌食となっている。
来る日も来る日も脇を突かれ、掴まれ、揉みしだかれ、背中をすくい上げられている。
 
しかし、反撃は許されない。
相方の脇や背中には、「世間の目」という不可視の、だが強固な障壁が張り巡らされているからだ。
 


では、人目の無いところではどうだろう?
二人きり、車に乗っている時の信号待ち。

相方は待ってましたとばかりに脇を突いてきた。

私はひとしきり悶絶したあと、
「今日こそは許すまじ」

とばかりに、初めて脇を突っつきに行く。
すると相方は、その気配を感じ取った瞬間、

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と早々に謝ってしまったのである。
 
 
 
女性の狡知は身を守るために神様が与えたものだという。
それは必要なことだとは思うのだが・・・。

・・・ズルイ。

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第三の掲載

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↑この雑誌の次号(3月号)掲載予定です。

今朝、いつものように紅茶をすすりながらメールチェックをしていると、ソフトバンクパブリッシングという会社からメールが送られてきていた。

題名は、

「【Yahoo! Internet Guide】 掲載許諾のお願い」

内容を確かめてみると、
どうやら、【Yahoo! Internet Guide】という雑誌で当ブログ「言戯」を紹介してくれるということらしいのである。

おそらく、公表しても差しつかえないであろうところを抜粋すると・・

~~~~~~~~~~

このたび、弊誌2005年3月号(1月29日発売)記事内におきまして、 貴殿サイト

「言戯」


を紹介させていただきたく思っております。概要は以下をご覧下さい。
サイトの紹介文と、サイト内の画面キャプチャも入れさせていただければと思っております。

掲載にあたりまして問題や注意事項等ございます場合は、急なお願いで恐縮でございますが、●月●●日(●)までに私あてにご連絡いただけないでしょうか。
また、ご不明な点がございます場合も同様に、ご連絡くださいませ。

どうぞ宜しくお願いいたします。

~~~~~~~~~~

との事だった。

別に内容において注意事項などは無いし、ご不明な点も見当たらないので、こう返しておいた。

~~~~~~~~~~

「言戯」管理人、「そんちょ」こと●●●●と申します。

この度は誌面にて紹介して頂けるとのこと、誠にありがとうございます。

当サイトを掲載するにあたっての注意事項というものは特にありませんが、強いて挙げるならば、お体に気を付けて健やかに編纂して頂きたいということくらいです。

どうぞよろしくお願い致します。

~~~~~~~~~~

いえ、別にふざけているわけではなくてですね・・。
本当にそう思ったのです。
 
 
 
しかし、メールから【Yahoo! Internet Guide】のホームページに飛んでみたところ、書店はもちろん、駅、コンビニなどでもよく見かける超絶メジャー誌ではないですか!

かつて、パソコンを始めたばかりの頃、インターネットとはなんだべや?
と、購入していた事もある本に、まさか自分のサイトが載る日が来ようとは・・。
オドロキです。
サプライズです。

あまりの事に、私はパソコンの前で「戦慄の舞い」を舞ってしまいましたよ。
(下図参照)
 

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とにかく、1月29日発売の【Yahoo! Internet Guide3月号】は「買い」ですよ、奥さん!
よろしくお願い致します~。

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怒りの矛先

プリンターのインクが切れたことに気付き、近所のホームセンターまで買出しに行った時のことである。

「ハッピーマンデー」と呼ばれる振替休日はどこもかしこも人が溢れていて、道路はそこかしこで渋滞し、店は買い物客でごった返していた。

私の目指したホームセンターも、当然のように大混雑。
店内はまっすぐ歩くのも難儀するほどの混みようで、店内放送と人々のざわめき、子供の奇声と有線放送が煩雑さに拍車をかけていた。
 
 
 
人の波をかき分けながら、ようやくお目当ての「OA用品コーナー」にたどり着く。
そこで私は、ある異変に気付いたのである。

以前は、陳列棚にインクそのものが置いてあったのに、今はその場所にそのインクの銘柄を示す写真と、番号札が貼り付けられたボール紙がぶら下がっている。

そのボール紙を手に取り、よくよく読んでみると、

「この札をカウンターまでお持ちください。店員が品物とお取替えいたします。」

と書かれていた。

なるほど、小さくて、割に高価なこの品物は、万引きの恰好の標的となったのだろう。
店側の苦肉の策が読み取れた。

「どうしたものか・・」

少し迷ったが、ここからまた大渋滞に耐え忍んで家電屋さんまで行くのはホネである。
そのボール紙を持って、レジへ向かった。

レジはその全てが稼動しているにも関わらず、当たり前のように長蛇の列が出来ている。
俯瞰すればイソギンチャクのように見えなくもないだろう。

私はそのイソギンチャクの触手の先端へくっついた。
 
 
 
数分後、私の順番が回ってきて、先ほど取った札をレジ係のオバチャン店員に差し出した。
オバチャン店員は

「あ!これは!」

という顔をしたかと思うと、

「少々お待ちください!」

とだけ言い残し、レジを離れサービスカウンターの奥へ走り去っていった。
私はてっきりその場で渡してもらえるものと踏んでいたので、意外な展開に少々戸惑った。
大体にして、店員さんの言った「少々」がどれほどの「少々」なのかも判然としない。
それもまた気がかりであった。

すぐ後ろに並んだオバチャンには、それとなく

「すみません・・」

という雰囲気を見せ、オバチャンは

「しょうがないわねえ・・」

と言った感じに財布の中を確認している。
その後ろに、次々と買い物客が降り積もってくるのが見えた。

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5分後。
目の前のレジには誰も戻って来ず、私は視線を空中にさまよわせていた。
相変わらず店内はたくさんの人がそれぞれに必要なものを手に持ち、行き交っている。
当然、私の後ろにもたくさんの会計待ちの人々が長蛇を成している。


その最先端で、手ブラで佇む私というのは、よほど奇異なるものに見えるのだろう。
ひたすら視線が痛い。

すぐ後ろのオバチャンは、事情を知っているのだが、イラつきを隠せない様子で貧乏ゆすりをしている。

果たして、このオバチャンが貧乏なのかどうかは分からないが、身なり、佇まい、身のこなしを見る限り、少なくともセレブでは無いだろう。

私に出来るのは店員さんに言いつけられたとおり、「少々お待ちする」事だけなのだ。

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10分後。
いまだもって私はレジの前で拱手、瞑目し、レジの主の留守を守っていた。

大混雑の店内。
長蛇の列の先端で、一人流れを塞き止めるというのは、なんとも風雅なものである。

憎悪の視線、
軽薄な舌打ち、
深刻なため息。

それらが私に向けられているのがよく感じられる。

見ず知らずの人間の悪感情をこれだけ一身に集める事というのは、日常なかなかありえない事態である。
ある意味新鮮な境遇と言える。

最初は

「かたじけない・・。」

と思っていた私も、ここまで来れば考えも変わる。

大体にして、後続の人たちにはよく考えてみて頂きたい。
あなた方は私に対して怒っているようだが、それは筋違いである。
私は店内にあった品物を、店側の指示に従って持ってきて、正当に金銭を支払うべくここにいるのであって、レジの店員さんが商品を取りにいって10分間以上戻ってこないのは私の関知するところではない。

飽くまでも、「店側の都合」に私が巻き込まれている格好なのである。

しかしながら、私がそのことを切々と説いたところで、その言葉は彼らの心まで届かないだろう。
すぐ後ろで、私の背中に殺気のこもった三白眼を向けているオバチャンを見れば容易に想像がつく。
 
 
 
かつて樹木の伐採が問題化した際、日本の割り箸がやり玉に上がったように、人々はえてして

「分かり易いところ」

に怒りの矛先を向けたがるものなのだ。

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その時である。
永きにわたって不在となっていた店員さんが、ようやく戻ってきた。
ここで初めて、あの時の「少々」は約12分45秒だったのだという事が分かった。
私にとっては永遠にも思える12分45秒。
どう考えても、「少々」ではない気がする。

私を先頭とした緊張の長蛇は、ほんの少し弛緩しながらも、相変わらず私に怒りを向けている。

ともあれ、ようやく目的のモノが手に入り、この息詰まる雰囲気から脱出できるのだ。
私はそそくさとお金を出した。

すると店員さんは、深々と頭を下げつつこう言い放ったのである。

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頭を下げたまま理由と謝罪を申し述べる店員さんを、私はしばし呆然と、差し出したお金を空中で静止させたまま眺めていた。

そして一言。

「あ、そうスか。分かりました。」

とだけ言い残して、さっさと店を出た。
このオバチャン店員に怒ってみても、それは後続の人たちが私に向けた怒りと同種のものであり、何ら意味無く、ただ「理不尽の連鎖」が繋がるだけの話なのである。
 
 
 
店の外は降りしきる雪で白く煙り、行き交う車のヘッドライトの光がはっきりとカタチとなって現れている。
全身をしっとり濡らした汗は、いよいよ本物の「冷や汗」となって寒い。

私は今しがた脱出してきた店舗をかえりみて、ライトアップされて浮かび上がる「カイ●ズホーム」の忌々しいミドリのカンバンに、石の一つも投げてやろうかという衝動に駆られたが、それを白く染まったため息と一緒に吐き出して立ち去った。

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描きますよ。

昨日の記事を描いている時のこと。

記事の中に、以前、相方(恋人)が話していた「お焼きのアンコが入っていなかった事件」を挿入しようと思ったのだが、そのお菓子がなんだったのかを忘れてしまった事に気付いた。

大判焼きだったか、今川焼きだったか判然としない。
大体にして、大判焼きと今川焼きは同じモノではないのか?
だとしたら何故、名前が違うのか・・?
 
 
その辺の事は適当に描いてもいいのだが、そうすると必ずコメント欄に冷静沈着極まりない文体で

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という突っ込み系注釈を入れられる事は必定。
それは良くないと思い、さっそく電話取材を申し込んだのである。

厨房から電話の子機を持ってきて、慣れた手つきでダイヤルする。

(ピピププピパピピプパピプパプピ)
0033-090-●●●●-●●●●

よどみないダイヤリングに我ながら惚れ惚れする。

プルルルルルル・・プルルルルルル・・

電話の呼び出し音というのは期待から始まり、コール回数を重ねるごとに、

「ああ、出られないのかも・・。」

という小さな落胆へと姿を変えてゆくものである。
期待が落胆へ姿を変え始める4回目、接続音とともにコール音は途切れた。
期待から昇華した安堵が満ちる。

「はいはい。」

「あ、サチ?今、電話いいかな?」

「いいよ~。どうしたの?」

「あのさ~。この前話してた、どっかの神社の屋台で買ったらアンコが入ってなかったお菓子ってなんだったっけ?」

「大判焼き!忘れもしない大●八幡宮の屋台で買った大判焼きだよ!」
即答し、ていねいに場所まで教えてくれる相方。
取材の相手としては最高である。

「あ、そうだ!大判焼きだ!んで、大●八幡宮ね。(笑)そうかそうか。分かった。ありがとね。」

「え?あ、うん。でもなんで急にそんなこと聞く・・」

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さすがに相方。
察しがよろしい。

描かせていただきました。

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タイヤキの境界線

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先日、買い物に出かけた先で、突発的に脳内に甘味欲求物質が分泌され、甘くてスウィ~トなものが摂取したくてたまらなくなった。

場所は大型スーパーの店内。
レジにて会計を終え、大き目のビニール袋2つを抱えて出口を目指している時の事だった。

「とりあえず、甘いもの。」

と、周りを見渡す。
甘いもののためだけに、もう一度レジから伸びるあの長蛇の列に並ぶ気にはとてもなれない。
よってレジカウンターより向こうの甘味は全て却下された。

図らずも選択肢は狭まり、結論が一気に近づいたのを感じる。
あとは、パン屋さんのチョコドーナツか、意表をついて現地点から19歩(推定)の位置にあるケーキ屋さんでチョコ系のケーキを購うか・・・。

悩みながらも、足は勝手にすぐ横にあったタイヤキ屋さんへと向かっていた。
昔は大好きだったのに、最近はめっきり食べなくなったタイヤキ。
その時、私は初めて私の脳以外の肉体全てが、甘味ではなくタイヤキを求めていた事に気付いたのである。
 
 
 
タイヤキを二つ買う。
考えてみれば、タイヤキの正しい数え方はなんなのだろう?

2個だろうか?
2匹だろうか?
2尾だろうか?

タイヤキはその存在自体がお菓子と魚類の境界線上にあるがゆえに扱いがムツカシイ。

国際問題でも家族間の問題でもそうなのだが、境界線上にある事柄と言うのはいつだって苦悩と論争と紛争と当惑との対象になる。

お菓子族からしてみれば、

「素材は今川焼きだけど、尾びれも背びれも付いてっから、魚だべ?」
という事になるだろうし、逆に魚業界からしてみれば、

「魚っつったら水ン中泳がねばなんねけど、オメー、泳げねどごろか、フヨフヨんなっぺ?」
という事になるはずである。

一般的な世間からの印象や評価からすると「お菓子類」という分類が正しいような気もするが、タイヤキはその気になれば「三枚おろし」も出来るため(皮、アンコ、皮)、魚類と言えなくもないような気がする。

おいそれと安易に結論を出して良いような問題ではない。
非常にデリケートな問題である。

よって、「タイヤキの分類及び数え方」問題はとりあえず棚上げ。
「国際タイヤキ協会(I・T・C)」の答申を待つ事にして、当ブログ「言戯」では、暫定的にタイヤキの分類は、「魚類お菓子属お焼き科不泳目」、単位は「~タイヤキ」とする。
 
 
 
などという事をぼんやり考えながら、駐車場にあるマイカーの運転席でいよいよ2タイヤキのタイヤキとタイ峙したわけである。

タイ望のタイヤキだけに、タイ変なほど期タイに胸が膨らみ、忍タイしがタイ状況にかタイ決意をもってタイ処することを決め、無タイがたたってタイヤもキしんだ。
 
 
 
しかしアレですね。
食べてから言うのもなんですが、タイヤキのシッポにまでアンコを詰め込むというのは、なんとも風情が無い。

私はタイヤキは「頭からかぶりつく派」なのだけれど、昔のタイヤキはシッポまでアンコが入っていなかった。
頭からかぶりついてアンコで甘ったるくなった口腔内を、生地だけのシッポの部分の芳ばしさが絡めとり、噛むごとに甘味がフェードアウトしてゆく・・という、

「美しきタイヤキ完結劇」

が展開されたものだった。
 
 
ところが今はどうだろう。
一時期、「シッポまでアンコが詰め込まれているタイヤキ」がもてはやされたせいか、どのタイヤキにも「これでもか!」と言うほどアンコが詰め込まれ、最初から最後まで口の中に甘味が居座り、とてもじゃないがお茶ナシでは食べられないシロモノになってしまった。

シッポの先から、●ンコみたいに飛び出たアンコ(そういや似てるな)を眺めながら、何故、最近めっきりタイヤキを食べなくなったのか、その理由を思い出していた。

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余談ではあるが、相方(恋人)は昔、とある神社の屋台で買った大判焼きにまったくアンコが入っていなかったという事件に遭遇した事があったらしい。
(これが世に言う「プレーン大判焼き事件」である。)

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セーター想いの「丈」

昼間に降った雨が夜の冷風にさらされて路面をキラキラ輝かせる県道を、私は相方(恋人)のウチを目指し車を走らせた。

相方のウチの近くに車を停めて少し待っていると、滑る路面に足を持っていかれぬよう注意深く歩いて来る彼女の姿が見えた。

ドアを開けて入ってきた相方は、ハンドルに突っ伏している私を見て

「泣かないで。」

と、謎の一言をかけ、続いて紙袋を差し出したのである。
 
「ハイコレ。遅くなったけどクリスマスプレゼント~。前から言ってたセーターだよ。」

私は

「お~!?お~!?」

と、驚嘆と喜悦の入り混じった奇声を発しながら、袋から毛糸と愛情のふんわり編みこまれたセーターを取り出した。

相方は照れながら

「いやあ、初めて作ったからさー。ちょっと重いかも知れないよー。あと採寸もしなかったから、ちょっと丈とかが長いかも・・」

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ベージュに近い色合いのセーターに染み付いた相方の匂いを嗅覚で堪能し、しっかりと編みこまれた毛糸を、触覚のもっとも敏感な手のひらと頬とクチビルで感じる。

今、指先と顔面にぬくもりを与えてくれているこの「想いのカタマリ」と、同化したい、同化する方法は無いものだろうかと考えあぐね、ついに

「そうだ、着ればいいんだ!」

という結論に達した。
その間約5分。

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すぐさま着ていたセーター(10年程前に姉に編んでもらったセーター。いまだ現役。)を脱いで、相方の「処女作」にソデを通す。
 
 
 
やはり相方の言うとおり、やや丈が長い。
しかし、それは「大きい」というより、「ゆったり」という範疇のものであり、なによりしっかり丁寧に編みこまれた仕事と、編み目を補う愛情のオーラが見事な保温能力を発揮し、温かかった。

きっと今、サーモグラフィーで私を見たら、白い影がハート型に浮き出ることだろう。
 
  

人にとっても大変な事をしてもらった時というのは困るものである。
何故ならば、

「この感動と感謝を、如何に正確に余すところなく相手に伝えるか。」

ということに悩むからだ。
 
出来る事ならば、言葉を尽くしてありったけの感謝を伝えたい。
伝えたいのだけれど、結局それらは

「ありがとう。」

の言葉に凝縮されてしまう。

「伝わるだろうか・・」
と不安と焦燥を感じながら、

「ありがとう、ありがとう。」

と繰り返したのであった。

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コロンブスのセロハンテープ

相方(恋人)から借りた本に衝撃を受けた。

本の題名は「東海林さだお~タクアンの丸かじり~」。
内容はとっても面白くて、さだお先生はスゴイなあ・・と関心しきりではあるのだが、そこに衝撃を受けたわけではなくってですね。

本の「見返し」と言うのか、「チリ」と呼ばれるところなのか、よく分からないのですが、要するに、カバー・・これを「カバー」というのか「ブックジャケット」というのかはよく分からないのですが・・の折り返し。
これを「ブックジャケットのそで」というのか、表紙裏というのかよく分からないのですが・・。


要するに、カバーの折り返しのところを見て衝撃を受けたのである。
なぜならば、カバーと本の境目にセロハンテープが貼り付けてあったからだ。
 

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私にはかねてから、読書をする際に必ず思い煩い、苦悩させられ、煩悶を強いられてきた事があった。

「カバーの取り扱い」である。

夢中で読んでいるうちに、98%の不運と、2%の不注意から、必ずカバーが剥離したり、カバーと書籍の関係にズレが生じて上辺または下辺がヨレヨレになったり、酷い時には行方知れずになり、捜索隊を結成して発見した時には変わり果てた姿になっていたり・・という数々の悲劇が生まれた。

自分の本ならまだしも、借りた本までそうなってしまうため、身内にも「あんたには本貸さない。」という三行半(?)を突きつけられ、そうしているうちに私の背中には「読書不適合者」、または「準禁治本者」という名の烙印が深々と刻まれていったのだ。
 
 
決してワザとやっているわけではない。
本とカバーの関係がしっくりいっていない事から発生したイザコザに、善意の第三者たる私が偶然巻き込まれた格好なのであり、むしろ私は被害者と言っても良いくらいなのだ。

何故、本にカバーなど付けるのだろう?
いっそカバーなどこの世から消えてしまえばいいのに・・。
と夜毎嘆き、枕を涙で濡らしたものである。

しかし、カバーのソデをセロハンテープで留めてしまえばどうだろう?
カバーは外れる事はおろかズレる事も皆無である。
この相方の画期的な書籍カスタマイズは、長年の懸案であった「カバー問題」に終止符を打ち、私の長年の「カバーコンプレックス」を崩壊させ、瓦解させ、氷解させ、倒壊させてくれたのだ。

まさに、「コロンブスの卵」である。
私は感涙を禁じえなかった。
 
 

しかも、このセロハンテープはやけに風情がある。
 
文庫本の見返しに貼られたセロハンテープ。
その黄ばみ具合に歴史を感じ、つい想像を掻き立てられる。

私と逢う以前に、彼女は見知らぬ土地の見知らぬ書店でこの本を購入し、読む前にとりあえずセロハンテープでカバーをペソッと留める「何気ない儀式」を執り行っていたのだろう。
 
 
文庫本の見返しに貼られたセロハンテープ。
その黄ばみ具合に縁というものを感じ、つい見入ってしまう。
 
その時、「何気ない儀式」には立ち会えなかったけれど、
今、このセロハンテープに出逢えて良かった。

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・・まあ、自分ではやらないと思うけれど。
(面倒クサイし。)

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間違いモンタージュ

昨日の事。

私と相方(恋人)は、とあるドーナツ屋さんでお茶を飲みながら談笑していた。
しばらくすると、店の入り口からドヤドヤと男ばかりの4人組が入店してきて、ショーウインドウの中のドーナツを物色し始めたのである。

ファミリー、カップル、または女性同士が主な客層であるこの店に、「男四人」という組み合わせは珍しい。
思わず興味を惹かれ、チラチラと観察した。

その四人のグループは、年の頃なら我々と同じくらい。
お互いに「独自の方向性」をハッキリ示したい人ばかりなのだろう。
皆、各自のファッションセンスを如何なく発揮して、ステキコミュニティーを形成している。

中でも特に、一人、否が応にも目を惹かれる猛者がいた。
剃毛し、頭皮を露出させたいわゆるスキンヘッドに、口ヒゲという個性大爆発の顔周り。
しかも、「威嚇」と取られても致し方ないそのパーツ構成の中央部には、整った顔立ちと、優しげな目が鎮座しているのである。

どう見ても、
どう見ても、

モンタージュがいくつかズレたようにしか見えない。

微笑ましい違和感を全身にたたえたナイスガイであった。
同行するほかの3人も、確かにとんがった格好をしていたという印象はあるのだが、やはりこの「間違いモンタージュ」の前では霞んでしまっていた。

3人がやや大きめの声でドーナツを注文する様子を、後ろから微笑を浮かべつつ眺めているそれだけで、独特の存在感が揮発しているのである。

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お茶を飲み干し店を出て、私はたまらず相方に話し掛けた。

「サチ、さっきのスキンヘッドの人・・」

「見た!あれはスゴイね。」

「ねえ。スキンヘッドにドロボウヒゲ・・」

「優しげな目元。」

「そうそう。(笑)」

「きっと、自分の中の何かを変えたかったんだろうな。」

「うん。でも、絶対ネコとか見たら抱っこしそうだよね。自分の子供が出来たら溺愛するね。アレは。」

「そうそう。ニコニコしながらね。」
 
 

突っ張るためのスキンヘッドも口ヒゲも、結果として他人の目には

「でも、中身はいい人なんだろうナ。」

と映ってしまう。
あのお兄さんにいつの日か、「威厳」が備わる事を願って止まない。

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ゴールデンライセンス

運転免許センターには、不安と緊張が満ち満ちている。
 
 
昨日。
運転免許の更新をするために、ウチから片道45分の運転免許センターまで足を運んだ。

年明けの空はうっすらと雪雲がかかり、ハラハラと舞い落ちる雪と、隣の車線のトラックが容赦なく跳ね上げる泥水をワイパーで受け流しながら車を走らせる。

18歳に免許を取得して、もう3度目の更新である。
日頃の安全運転っぷりが正しく評価され、今回は「優良運転者」という形での免許更新とあいなった。
 
 
 
運転免許センターには、これから免許を取得しますといった風情の若者から、もう何度目の更新かも定かではないような白髪混じりのおじいさんまで、まさに老若男女が互いに一定の距離を取りながら、皆一様に息域を潜めて油断無く周囲の様子を窺っている。

ヒマと弛緩の象徴である「携帯電話」を誰一人いじっていないのが不安と緊張の証であると言って良い。

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3年前に比べて、驚くほど受け付けその他の係員の応対が丁寧になった。
以前は、受け付けで更新の申し込みをしたら「ほらよ」と言わんばかりに書類を投げてよこされたこともあったので、普通に応対されるだけでも、

「ああ、良くなったなあ・・」

と感じ入ってしまう。
初期値が低いというのは得なモノである。

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講習は30分。
「何かを知ってもらおう、伝えよう。」
という気概はまったく見られず
「とりあえず免許が出来るまでの時間つぶし。」
という係員の、いかにも適当で抑揚無い解説から来る眠気と、異様に暑い暖房に耐えているうちにつつがなく新しい免許証が交付された。

ちなみに、12年間無事故無違反(おそらく、原付期間も含まれている)だったので、「プラチナ免許」かな?
と思っていたら、普通にゴールドだった。
「プラチナ免許」は、「条件等」の下にところに、「優良」ではなく「最高」と書かれる。

ウソだけど。

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さよなら「Un jour」

とっても親しくお付き合いさせて頂いていた、じゅじゅさんのブログ「Un jour」が終わる事になってしまった。

あれは忘れもしない7月23日。
「他人事でも」という記事に対して、じゅじゅさんが
「私のダーリンは馬糞くさい」
という衝撃のコメントを寄せてくださったところから交際がスタートしました。

思えば、「言戯」と「Un jour」はコメントのやり取りはもちろん、トラックバックから発展したイラストコラボなどで、まさに「蜜月」といっても過言ではないほどの深い仲だったような気がします。
(違うか)

じゅじゅさんとダーリンさんの記事が読めなくなるのは非常に残念ですが、ブログを読むのは続けるそうなので、そのうちウチのブログにもひょっこり顔を出してくれるでしょう。

では、「言戯」と「Un jour」、最後のイラストコラボ!

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じゅじゅさん、お疲れ様でした!
ダーリンさんとオシヤワセに!

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ヒマのるつぼ

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正月の書店には、ヒマと退屈が渦巻いている。
逆に言うと、正月のヒマさ加減を吸収してくれる貴重な施設とも言える。
 
 
 
私は本屋にいた。
久しぶりに訪れた「ヒマと退屈」を満喫するためである。
それも、どうせなら一人で噛み締めるのではなく、同好の士(ヒマ人)の集まる所に出向き、勝手に分かち合い退屈について切磋琢磨し、磨き上げていこうと思ったのだ。
(磨き上げる事に意味は無い)
 
店内は、年明け独特の清々とした空気が心地よく、腰から下くらいに行き場の見当たらないヒマ人の醸す澱みがまるで地層のように色合いを分けて、それらを有線放送から漏れ出す「春の海」がひっくるめて正月の世界に染め上げている。

一番多い取り合わせが、子供連れである。
子供のお年玉の遣いどころを求める行動に、周囲のヒマな大人が付き合っているというパターンと思われる。
子供にとって、正月というものは忙しい。
お年玉を如何に有効に、そして無駄に遣うかということに専心する。

正月がヒマだという事は、大人になったという証でもあるのだろう。
 
 
チラホラではあるが、カップルの姿も見える。
初詣の帰りだろうか。
仲睦まじく手をつないでいる。
初詣が終わって、そのまま帰るのはもったいないから本屋をウロついているのだろうか。
二人して行くところは無いのだけれど、ヒマじゃないのだね。
手を繋ぐことそれ自体が、お互いの居場所なのだ。
仲良きことは美しきかな・・。

少し、あったかい気持ちになる。
 
 
 
ふと目を転じると、知的ないでたちの美人が足を組んで本を試し読んでいる。

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「正月くらい一人でゆっくりしたいわ・・。」という人なのだろうか。
待ち合わせまでの時間つぶしなのだろうか。
赤いフチのメガネに、ちんまりした鼻。
厚ぼったいクチビルが少し空いているのは、スキの演出だろうか、単なる鼻炎だろうか。

ともあれ、美人は見ているだけで楽しい。
 
 
 
適当に本を買い駐車場に戻ると、さっきの知的美人もすぐ後から歩いてきた。
彼女の車は、私の車の横に停めてあったのだ。
綺麗な人と、まったくの他人より、ほんの少しだけ強い縁があったことに嬉しくなる。
知的美人は車に乗り込むと、うつむきながら一心不乱に携帯をいじり、ゆっくりと走り去っていった。
誰かに会いに行くのだろうか。
 
 
 
正月は何故か、人恋しいものである。

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本格的モテ期到来!

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昨年、幼女にモテるという現象を経験したワタクシだが、年が明けてからこっち(といってもまだ数日だが)本格的なモテ期が到来したことが確認された。

今度は、幼女でも老女でもなく、まさしく妙齢の女性ばかりである。
しかも、付き合ってくれたら小遣いまでくれるというメールが毎日殺到しているのだ。

こんな美味しい話があっていいのだろうか。
いや、これも私の日頃の行いが報われたに違いない。

まさか、私の人生でこんなにモテる時期が来るとは一体誰が予想しただろう。
生きていて良かった。

・・・

こんなモテ期はいらねえ・・!!!

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たろーさんは間違えている。

まずは、たろー氏の運営する「たろぐ」1月1日分のコメントからご覧いただきたい。

~~~~~~~~~~

そんなことはないですよ…、ってかそんちょさん、

今年で30ですか。

大台ですねぇw
誕生日に感想を聞かせてください。

byたろーさん

~~~~~~~~~~

・・・

たろーさん。
誠に申し訳ないのですが、わたくし・・

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感想は来年の1月23日に描かせて頂きます。
(ブログがまだあればですが・・)

まあ、それはいいとして、「たろぐ」のトラックバックはほとんどが当ブログからのものですね。
軽くネットストーカーです。

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あけましておめでとうございます!

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平成17年が始まりました!

今年は酉年。
コケコッコーですね。
ニワトリというと、言わずもがなの「朝の鳥」。
清清しい始まりの朝。
始まりの年。

 
 
皆様に、素晴らしい始まりが訪れますように。

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願い致します。

 
 
 
「言戯」管理人:そんちょ

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