恐怖ラーメン
ある日の事。
私はラーメン屋の中で、ひとり苦悶していた。
小腹が空いたために入ったその店は、環状線の路傍にたたずむこじんまりとしたところで、昼下がりにも関わらず店内はトラックドライバーや、営業途中のサラリーマンが、新聞を広げたり雑誌を眺めたりしながら黙々と麺を手繰っている。
私は目の前のドンブリに沈んでいる麺を箸でこねていた。
少し持ち上げ、躊躇し戻す。
先ほどから、大体半分くらいまで食べた手ごたえはあるのだが、どうもおかしな事に、食べても食べてもドンブリの底から次々に麺が浮き上がってくるのだ。
ラーメンそのものは、決して不味いわけではない。
スープは薄口で個性無く、麺は細目でやや腰が無く、チャーシューはやけにブタ臭くていただけなく、シナチクだけが何故かキッチリと味付けがなされており、脇役が一番良い仕事をしているというチグハグさ加減の楽しいラーメンであった。
総合的に感想を申し述べるならば、「並みよりちょい下」くらいのシロモノなのだが、何しろ量が多い。
それも、麺だけが特化して多いのだ。
「ちょっと、味には自信が無いんで~。麺、オマケしといたから!」
という、「善人の善意による結果的な危害」がそこにある気がしてならなかった。
私はとにかく一定のリズムで食べつづけていた。
一回の箸にすくわれる麺の量は確実に減っていったが、とにかく継続する事に価値を見出し、ラーメンの洞穴を掘り進んでいった。
ラーメンとは、「縦」の食べ物である。
埋め込まれた具材を、浮かぶに任せて食するものである。
大抵は、その浮上するものがだんだんと少なくなってゆく事に心を傷めながら、その傷を満腹感で補うのがラーメンではないのか。
食べても食べても底から麺だけが次々に浮き上がってくるこのドンブリは、実は厨房と直結していて、店主が上がった玉を次々と投入しているのではないかという疑惑まで持たせるには十分であった。
流れる額の脂汗は、おそらく今食べているラーメンのそれだろう。
舐めればきっとスープの味がするに違いない。
・
・
・
朦朧とする意識の中、なかば機械的に箸をドンブリと口の間で往復させているうちに、
「この辺でカンベンしてやっか。」
と言わんばかりの様子でようやくドンブリの底が姿を見せた。
私は、なるべく下を見ぬように慎重に店を後にした。
そして、「○○○軒」と書かれた看板を見上げながら、出来る事ならラーメン屋さんのカンバンには、
「○○○軒(味ややアレ、でも量多め)」
と書いて欲しいものだと願わずにはいられなかった事は言うまでも無い。
それにしても、玉の大きさというのはどの店でも大体決まっているはずなのに、どうしてあんなに多かったのだろうか・・?
いまだに不思議で仕方が無い。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
僕は、自分の好きなラーメン屋以外、恐怖体験をするのが嫌で入れません(笑)
食べ物の話題が出たので、ご報告。
『チョコレートセンス』をウチの相棒(彼女ではない)に読ませたら、泣き崩れていました(本当)
僕のところに遊びに来る時は「なんか買っていく物あるか?」と、いつも気を遣ってくれるいいヤツなのです。
「うぉう、何でチョコレートセンスないんだ…俺は(泣)」
ついでに『買い出しセンス』も無いので、本当にしょぼくれていました(笑)本人は相当ショックだったようです。
投稿: めめんともりりん | 2004/11/19 06:06
天は二物を与えず。
相棒さんは、「人の良さ」の代償に「チョコレートセンス(その他)」を失ったのかも知れません。
しかし、買出しに率先してゆくその姿勢が、センスを超越して人格の素晴らしさを形成するのです。
間違いない・・!
投稿: そんちょ | 2004/11/19 12:43