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視線の想像

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今年の2月に、同居していた爺さんが亡くなった。
10年近く寝たきりで、今のウチに引っ越してきてからも約5年間ほとんど寝たきりだったのです。

爺さんが死んで、爺さんが使っていた部屋は事務室になり、爺さんの寝ていた介護用ベッドの置いてあったところには、マッサージチェアが置いてある。

風呂上りに、たまにそのマッサージチェアに寝そべって、背骨周りのコリをゴリゴリほぐすのだけど、ゴリゴリほぐしている間というのは他に何をするわけにもいかないから、ただ天井を凝視しているわけなのです。

すると、ふとあることに気付いた。
この風景は、恐らく死んだ爺さんが5年間に渡って、きっと一番多く見た風景だったのだろう。

寝たきりになってしまった爺さんと、マッサージチェアにもまれている私。
まったく違っているように見えて、「歳をとって、そこにいる」という点において、そこに至る動機も実はよく似ている。
そして、「事情により固定された視線」をも共有しているのだ。

状況、条件そのものだけを見れば、同じである。
爺さんは、足腰が立たなくなって、この天井を見て何を思っていたのだろう?
寝たきりになった事はないから、本当の意味で気持ちを共有することは出来ないし、結局爺さんの思っていた事は想像出来なかったけれど、同じ状況、視線を体験する事で自然とそういう考えが生まれてきた。

爺さんと私の人生は、歩み方はまるで違うけれど、大筋では一緒なのかも知れない。
もしあの爺さんがいなければ、私はここに存在しないのだから。
そして、いずれ私が歳をとり、もしも子孫が出来たとして、また違うところでふとした事から「私の見ていた視点」を共有する者が現れて、今のこの私の気持ちを想像する事があるのだろうか・・と考えていた。

マッサージチェアに揺すられながら、人間の「縦の繋がり」を考えた風呂上り。

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コメント

そういうことに気ずくことが凄いことだと思いました。
いつも笑いがあふれるイラストも、今日はなぜだか哀愁に見えるのが不思議。

投稿: mariko mam | 2004/11/16 20:25

たとえ自分が動けなくても、自分の家族が歩く影を見て、パタパタと生活を送っている音が聞こえる…そんな事に満足するような年寄りになれたらいいなと思います。

投稿: nako | 2004/11/16 20:26

>mariko mam さん
我ながら、何を言いたいのかよく分からないとっ散らかった文章になってしまったのですが、汲み取って頂いてありがとうございました。

マッサージチェアに哀愁が見え隠れしますか。

>nakoさん
私も、家族が歩く影や足音や話し声をネタにして、ひょっひょっひょ・・とblogを更新する年寄りになりたいと思っております。

ヤなジジイだな!(笑)

投稿: そんちょ | 2004/11/19 12:24

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