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手ぬぐいとの熱き抱擁。

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何故、人は温泉に浸かると頭の上に手ぬぐいを乗せてしまうのだろうか。

という疑問が、脳漿の中、沸々といい湯加減にたぎり、その理由について思考を進める事にした。
 
 
 
温泉や公衆浴場などの、不特定多数の他人と共有して使われるスペースでは、手ぬぐいは唯一所持する事を許された(最近ではロッカーのカギなどもあるが、ここでは割愛する。)衣服であり、道具であり、相棒である。
つまり、「素っ裸」という、そこはかとなく頼りなく、不安極まりない状況下における命綱であり、精神的支柱なのである。

人は、手ぬぐい一本を携え、温泉の荒波の中待ち受ける万難辛苦と戦う事になるのだ。

温泉時における手ぬぐいというものは、実に多様な使用法を求められる。
浴室に入る時には、それとなく局部を隠す「衣服」となり、
湯船に入る前に、体を洗う時にはセッケンを伴い、即席の「垢すり」となる。
そうやって、手ぬぐいはひたすら尽くしてくれるのである。
そしてこちらも、セッケンまみれになった手ぬぐいを洗ってやったり、お湯でヒタヒタになった手ぬぐいを絞ってやったり、甲斐甲斐しく世話をする事も要求される。
そうやって、お互いを助け合い、補い合い、尽くし尽くされるうちに、広大な風呂場において、知らず、手ぬぐいと自分との間に、何者にも崩し難い信頼関係が生まれているのである。

つまり、温泉は、手ぬぐいとの蜜月から始まると言って良い。


しかし、その信頼関係を試されることがある。
湯船に入る時である。
基本的に、温泉や公衆浴場には、
「手ぬぐいをお湯につけてはならぬ。」
という暗黙のルールがある。
(明記してある所もある)

全身で温泉に浸かろうと思うとき、手ぬぐいの所在が無くなるのだ。
今まで唯一無二、必要不可欠の絶対的存在であった手ぬぐいが、急激に「足手まとい」の感を帯びてくる。
健気で聡明なな手ぬぐいはその事に気付き、
「私の事はいいから、貴方は浸かって!」
と訴えかけてくる(気がする)。

しかし、今まで築き上げた信頼関係は、人に「頭の上に乗せる」と言う行動を取らせしめるのだ。
「大丈夫。離さねえかんな。」
というメッセージなのだ。
手ぬぐいは頭上から涙をしたたらせながら、
「・・!・・あんたも・・バカな男ね・・。」
と呟くのだった。

と言う事からつまり、「頭に手ぬぐいをのせる」という行為は、手ぬぐいと人との熱き抱擁であり、「これからもずっと、手を携えて行こう。」という覚悟の表れなのである。

温泉入浴中、人は大抵手ぬぐいと添い遂げる。
「手ぬぐいと性格の不一致から別離した」
という話はあまり聞いた事がないので、人と手ぬぐいの関係は、我々が思う以上に強固なのかも知れない。

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コメント

最近手ぬぐいを見ません。

○○工務店・○○商店とか名入り手ぬぐいは、子どもの頃、家にいっぱいあったものです。祭手ぬぐい・必勝手ぬぐいも最近、全くと言っていいほど見ません。

ふかし芋に、お赤飯に、何気なく存在感をアピールしていた手ぬぐい達はどこへ消えたのでしょうか。

なので、熱き抱擁をする相手は,残念ながら、タオルです(T-T)

投稿: めめんともりりん。 | 2004/11/09 21:44

全く関係ない話ですが、
さっきアクセスカウンター166555を踏んだ。
今日の運勢は☆☆☆?っていうか、もう夕方。

少しばかり幸せな瞬間だった~。

投稿: めめんともりりん。 | 2004/11/10 16:23

手ぬぐいは、見かけませんね~。
私も頭に巻いている「気迫」手ぬぐいくらいなものです。

なんだかさみしいので、タオルも「手ぬぐい」と称しております。
ダメッスか!

投稿: そんちょ | 2004/11/11 08:10

「手をぬぐう」意味では、タオルも手ぬぐいも同類たちでしょうけど、やっぱり、本家本元の「手ぬぐい」は便利だし、好きなんですよね(^^)

タオルには果たせない役割が、そこにある!

投稿: めめんともりりん。 | 2004/11/11 10:52

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