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またノミネートされちった!

朝食を終えて、三角ティーパックをカップに落とし、熱いお湯をコポコポと注ぎながらメールチェックをしていると、何通かのメールに混じってこのような件名のものが入ってきていた。

「はじめよう! みんなのブログ Vol.2」”ブログ大賞”でご紹介させていただきました」

「・・・はあ、そうですか・・って、ええ!??」

一人で軽いノリツッコミをかましながら、急いでメールを開いてみる。
私のパソコンは、6年ほど前に買って、拡張も何もしていない超高性能マシンである。
メールを開いてから見られるまでにたっぷり1分かかるという、思慮深いが、やや要領の悪い憎めない奴なのだ。

ダブルクリックし、のんびりと紅茶をすすりながら本を読んでいると
「よっこらしょ・・ハイ、いいよ。」
とばかりに文面が表れた。

~~~~~~~~~~
このたび、みんなのブログ編集部が選ぶ、おもしろいブログを表彰する“輝く! 日本ブログ大賞2004”に、あなたのブログがノミネートされましたのでお知らせします。

”輝く! 日本ブログ大賞2004”審査結果は、2005年春発売の「はじめよう! みんなのブログ Vol.3」にて発表する予定です。日本ブログ大賞は今回ノミネートされたサイトのほか、自薦・他薦問わず広く読者から推薦されたサイトも含めて、厳正なる審査を行います。審査結果をどうぞお楽しみに!!

~掲載誌情報~

●タイトル
●発売日 11月30日(火)
●仕様 A4変型判 128p CD-ROM1枚付き
●定価 1,280円(税込)
●発行 発行:インプレス/発売:インプレスコミュニケーション
●雑誌コード:61775-15 ISBN4-8443-2046-7
●企画主旨 ブログの楽しさ、おもしろさをさらに広める!

~~~~~~~~~~

自薦した覚えはまったく無いので、どなたかが推薦してくださったのだろうか・・。
っていうか、今日発売でねーか!
エライこっちゃ。

「見本誌を送ってくれる」
というのだけれど、もちろんそれはいただくとして、今日はちょうど仕事も休みの日だし、書店に買いに行こう・・そして、ついでに温泉に浸かって来よう・・帰りにどこかでご飯を食べよう・・などと思いを巡らした。

大賞がどうのこうのはいいとして(そりゃ、もらえたら嬉しいけれど)、メールくださった編集部の方が、「言戯」を読んでくださっているという事が非常に嬉しかったです。

右サイドバー下の「オススメブックス」に、「はじめよう! みんなのブログ Vol.2」を追加しておきます。
よろしければ、そちらのリンク、各種ショッピングサイト、お近くの書店などで探してお買い求め下さい。
よろしくお願い致しま~す。

「はじめよう! みんなのブログ」公式blogへトラックバックさせていただき、リンクも貼らせて頂きます。
ノミネート、誠にありがとうございました。

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術中八苦(じゅっちゅうはっく)

我が家で、両親が親しい仲間を集めて開いた食事会に相方(彼女)と共に参加した。

集まったメンバーは、いつものごくごく身内で、姉夫婦、土建屋の部長夫妻、精肉店の社長、造園会社の社長夫妻、バレエの先生夫妻、そのお弟子さんと、実にバラエティに富んだ取り合わせであった。

オッチャンたちはオッチャンたちで盛り上がっていたので、私と相方は姉夫婦と、バレエのお弟子さん(女性:19歳以後Mさんとする)のいるテーブルに座った。

談笑しながら食事をしていると、Mさんが話しかけて来たのである。

「トシさん!トシさんと彼女さんって、スゴク仲良いですよね!見てて羨ましいです~。なんか、仲良くできる秘訣とかあるんですか?」

モシモシ噛んでいたおでんを急いで飲み込み、卵がノドにつっかえたのをジュースで流した。

「ん~?そう?そんなに仲良く見える?秘訣かあ。秘訣ってなんだろうね?サチ。」
すっかり気を良くし、ニコニコしながらチラリと相方を見ると・・

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アッサリと切り捨てられた。

「・・・」

相方の顔を凝視したまま固まる私。

「ウソだって。ウソ。」

ニコリと笑う相方。
Mさんは笑って、

「お二人は、週何回くらい逢ってるんですか?」
と重ねて聞いてきた。

「まあ、大体2~3日に一回くらいだよ。」

私はなんとか立ち直り、答えた。
「ねえ?」
と、再び相方の方を向く。
すると相方は

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「え!?そうなの!?」
蒼ざめる私。

「冗談だよ、冗談。」

ニコリと笑う相方。

「・・・」

眉間に不満を漂わせながらも、なんとか踏み止まった。
話は、我々の出逢いの話になった。

「俺らはね、中学3年の時の同級生だったんだよ。」
私がそう話すと、Mさんは「運命的ですね~!」と感動してくれた。

「な!」
今度こそなにか、いい話の一つも頼むよ・・という哀願(目だけに)にも似た視線を相方に向ける。
相方は、その視線をしっかりと受け止め、それを踏まえた上で

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と言い放ちやがった。
私もさすがにムカリ心を押さえきれず、

「まあ、所詮キミの愛情はそんなモンなんだよな。」
と言ってしまったのである。

すると、相方はすかさずMさんに向かって
「ほらねー。この話すると、すぐにこういう事言うんだよ。コイツは。ヒドイやろー?」
「トシさん、ヒドイです!」
重ねるMさん。
そこへ待ってましたとばかりに姉も参戦し、
「トシはね、そういうヤツよ。こないだもさー・・」

三門の口腔砲台から次々に繰り出される罵詈雑言の嵐。
もともと、その前のやり取りがキッカケで、私の心は深く傷ついていたというのに、少しの反撃を試みたがために(その反撃方法がマズかったのだが)集中砲火を浴びる結果を招いてしまったのである。

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私は半泣きになりながら、その猛攻に耐えつづけていた。
それを見かねた相方が、

「分かった分かった。あたしが悪かったよ。ほれ、泣くな。」
と、手を差し伸べてくれたのだった。

まさに、マッチポンプ的手法である。
モラルハザードと呼んでもおかしくないほどの、悪質な手口である。

しかし私は、なにか釈然としないものを感じながらも、まんまと術中にはまり、つい、いつものクセで相方の二の腕にすがりついていた。

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「女3人寄れば姦しい」というより、
「女3人寄れば恐ろしい」と思い知らされた事は言うまでもない。

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行商開始。

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え~、当blog「言戯」が「ベスト20」にノミネートされ、紹介される予定の、宝島社発行の書籍「このブログがすごい!2005」が、アマゾンブックスにて予約開始されました。

紹介されている(であろう)以上、少しでも売上に貢献できればと思い、広告を載せておきました。
いや、紹介料を稼ごうとか、そんなことちょっとしか思ってませんよ。
やだなあ。
ははは。

それは冗談として、「他のblogは分かったけど、あの『言戯』だけは、なんでノミネートされたのか分からんなあ・・」などと言われやしないかと、今から楽しみで仕方がありません。

とにかく、読めば分かる!
お買い上げ、よろしくお願い致しま~す!
 
 
「言戯」管理人:そんちょ

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ショムリエ誕生

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ある朝のこと。

私は、朝に食べる納豆を作っていた。
中くらいの鉢に入れた納豆を、よくかき混ぜて十分に糸を出し、ネギを刻んでは投入、卵を割っては投入していた。

そして、醤油を入れて仕上げようとしたその時。

「ん?」

醤油注しの中の醤油がすっかり無くなっている事に気付いた。
これは丁度いいと、流しに向かい、中を十分に洗ってすすぎ、新たに醤油を満たすべく大きなボトルの醤油を取り出す。
それを左手に、醤油注しを右手に持ち、移し変える作業に取り掛かったのである。

ボトルからチョロチョロ流れ出る醤油を見ながら、ぼんやりと考えていた。
この格好は、まさにワインの「デキャンタージュ」そのものではないか。

私は記憶の中から、「デキャンタージュ」は、空気に触れさせれば触れさせるほど上手であり、デキャンター(受けのビン)の口と、ワインボトルの口が離れているほど良いらしい。
という、付け焼刃かつあまりに生半可な知識を取り出した。

当然のように、少しずつ離れてゆく醤油のボトルと、醤油注し。

20センチほどの高さから流れ出る醤油は、見事ボトルと注しビンの間に醤油の糸を繋げたのである。
その様は、「真紅の絹糸」とまでは行かないが、「漆黒のタコ糸」という表現までは許されるであろうというものであった。

果たして、「デキャンタージュ」というものが醤油に良い効果をもたらすのかどうかは不明であるが、その日の納豆はなんとなく一味違ったような気がした。
(多分、気のせい)


最近では、「お酢のソムリエ」で、「スムリエ」という職業があるらしい。
それならば、「醤油のソムリエ」で、「ショムリエ」があってもいいはずであり、だとすると、「醤油のデキャンタージュ」に成功した私は、現時点で「世界初のショムリエ」に一番近い人間と言っても過言ではないということになるのかも知れない。

ふとしたキッカケから、図らずも「ショムリエ」誕生への偉大な一歩を踏み出してしまったこの私。
しかし、二歩目を踏み出す予定は今のところ無い。

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昆虫採集の恐怖

じゅじゅさんのblogの記事、「羽は嫌いなんじゃーーっ」を読んでいて、私の記憶の渦の中に埋もれていた忌まわしい「あの時」が蘇ってきたのだった。

小学生の頃、夏休みの宿題の中には「自由研究」というものがあった。
研究と言っても、天気の分析だったり、カブトムシの飼育研究だったり、朝顔の観察だったり、まあ、とにかく稚拙でも、研究でなくても「とりあえずある程度の時間を割いていればOK」と言った感じのものであった。


10数年まえの8月。
頭上から大きな太陽が照らし付け、アスファルトの向こうに陽炎が立つ道をチビそんちょは一人歩いていた。
当時よくつるんでいた友人のウチへ遊びに行くためである。
友人は自宅にいて、突然遊びににもかかわらず、こころよく自室へ招き入れてくれた。

部屋に入ると、見慣れない管やピン、箱などが雑然と床に散らばっていて、足の踏み場に困るほどだった。
それらをよく見る事もなく、私はドカリとあぐらをかいて座り、友人が途中にしていた作業を見た。
手には、カブトムシがつかまれ、6本の足をワニワニ動かしている。

「あ、カブトムシじゃん。スゲー。買ったの?」

とチビそんちょが聞く。
友人は、カブトムシの腹や甲殻を眺め回しながら、何かを探しているようだった。

「うん。昨日ね。夏休みの研究、昆虫採集にしようと思って。」

部屋の中は蒸し蒸しとしていて、いつもより少し違う匂いがした。

「昆虫採集かあ・・。」
(買ってきても、「採集」になるのかなあ・・。)
などと内心突っ込みながらも、初めて見る「コンチュウサイシュウ」というものに興味を抱いた。

友人は、注射器を取り出し、慣れた手つきで緑色の液体を筒に入れた。
それを目にした私の心に、一抹どころか百抹くらいの不安がよぎる。

「・・・それ、どーすんの・・?」
分かってはいるのだが、見当はついているのだが、念のため、すがるような気持ちで尋ねた。

「え?注射して、固めるんだよ。」

と言い、友人はおもむろに注射器をカブトムシの体へ。
私は思わず目をそらした。

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もともと注射はニガテというのもあるのだが、「薬殺」という陰湿な方法が、余計に生理的な嫌悪感を催させるには十分だった。

しかし、その時である。
逸らした目の先に、転がっているものがあった。
さっきまでてっきりゴミか何かだと思い込んでいた「それ」は、よく見ると、さっきまで「生物」だった「物」であった。
まるでメデューサの瞳を見たのかのように、突然、生命活動を中絶させられた「それ」が、一箇所に集められ、山を築いていたのである。

私は、骨の芯から恐怖の悪寒が湧き上がるのを感じ、

「ひゃああああ~~・・!」

という叫び声と共に友人宅を飛び出したのだった。

その日は、一日あの映像が頭から離れず、足はカクカクと震え、手もまったく使えなくなってしまい、それから数日間、夜には決まって自分があの緑色の液体を注入され、動けなくなって、手足をピンで止められ展示される夢まで見続けたのである。
 

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それ以来、大人になった今でもその時の恐怖から、私は「注射器」、「虫」、「夏休みの宿題」に無条件の恐怖を感じるようになってしまい、注射からは逃げ、虫は寄せ付けず、宿題はサボリ続けている。

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20万アクセス大感謝!

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当blog「言戯」が、この度めでたく20万アクセスを突破しました。

10万アクセスの時は、例の「二兎を追うものの結末」のドサクサで突破してしまったので、じゃあ、とばかりに20万アクセスを祝おうと思うに至ったわけです。
桁が変わるときでなく、20万というのがキリがいいようでそうでないような気もしますが・・。
 
 
 
以前にも書きましたが、当blogにはアクセス解析を設置しております。
これを見ていると、自分のサイトの特色が実にハッキリ見えて、とても面白いです。

今回は、20万アクセス記念という事で、
「アクセス解析から見る、『言戯』の特色」
について書いてゆきたいと思います。

特色その1:検索からはほとんど来ない。

いわゆる「旬のネタ」、「えっちいネタ」、「買い物日記ネタ」などはほとんど使わないので、検索から来る方はあまりいません。
ブックマーク、固定リンク、リンクblogなどから毎日来てくださる、いわゆる「常連さん」が多いということですね。
そのせいか、さりげなく付けたアフィリエイト(広告)も、売上はおろか、アクセスすらほとんどありません。(笑)
付ける前から分かってはいましたが、当blogは「情報系」ではなく、「読み物系」なので、当然といえば当然なのですね。

あ、ちなみに、数少ない検索の中で、常に上位にある検索ワードは「愛撫」と「ローライズ」です。
・・微妙にエロ。
 
 
 
特色その2:アクセス集中時間帯があまり無い。

会社のお昼休みなどで来てくださる方がやや多いのか、お昼の12時は少しだけ多いのですが、あとは大体平均的にアクセスが推移していきます。
これはおそらく、「これ!」という確たるテーマが無いblogなので、見る方も職業や生活スタイルがバラバラ・・ということなのでは?
と推測しております。
大体、一応陶芸家なのに陶芸に関する記事がほとんどありません。
これでいいのだろうか・・?
 
 
 
特色その3:土日、祝日はアクセスが減る。

これは仕方の無いことですが、やはり平日に比べると土日、祝祭日はカクッと落ちます。
平日が一日およそ2,500~3,500アクセスくらいで、土日は2,000アクセスくらいです。
 
 
 
特色その4:一日2回以上アクセスする人が割と多い。
 
もっとも多いのが「一日1アクセス」の方。
割合的に、「一日2回アクセス」の方もやや多いようです。

こちらも一日2~3個記事を書いてますので、「あ!またUPしてる!そんちょはヒマ人だなあ・・」と言いつつ読んでくださっている人が多いということなのでしょうか・・。
実際は、寸暇を見つけては絵を描き、文章を書き、してます。
これって、立派なblog中毒ですね。
ははは。

 
 
「言戯」を開始して、大体8ヶ月目。
ほぼ毎日更新し続け、記事数は370件です。
平均してみると、一日あたり1.5回くらい更新している計算になります。
コメント数は、私の返事も含めて1,270コメントほど。
 
これまでに、一番反響の大きかった記事は、やはり「二兎を追う者の結末」。
一日あたりの最高アクセス数は、20,216で、
1時間あたりの最高アクセス数は1,476でした。

これが、現時点での「言戯」の特色です。
非常にありがたいことに、「二兎を追う者騒ぎ」から常連さんになってくださった方も多く、また少しずつお得意様が増えています。

これからも、無理せずにぼちぼち、とりあえず「ほぼ毎日更新」の姿勢で書いてゆきますので、どうかこれからもよろしくお願い致します。
 
 
 
「言戯」管理人:そんちょ

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相方の流行

※注意!※
※今回の記事には、ノロケ的表現が含まれております。

普段、相方(彼女)は、私の弱点である脇腹を突く事で楽しんでいる。
しかし最近になって、新たな楽しみを見つけたらしい。

それはクルマを運転中の信号待ちなどで停車した際。

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耳の穴に小指を突っ込んでくるのだ。
しかも、表情をまったく変えずに繰り出してくるため、非常にビックリする。

耳の穴に自分以外の人間の肉体が入るというのは、奇妙な違和感があり、相方の指に耳垢が付着するのではないかと気が気でなく、とても恥かしいのである。

手を取り、
「やめろよう・・!」
というと、

「いいじゃんか。ホントは好きなくせに。」

と、まったく取り合う気配すら見せない。

これをされるようになってからというもの、お風呂や部屋で人知れず、念入りに耳掃除するようになったのは言うまでも無い。

(ご期待に添うべく、思いっきしノロケましたよ!はせさん!どうスか?)

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ノミネートされちった!

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先ほど、何気なくメールチェックをしていた所、何通かのメールに混じって「誌面掲載許可のお願い」という件名が入ってきていた。

「んが?なんだべ?」

と、開いてみると・・。

~~~~~~~~~~
現在、『このブログがすごい!(仮)』(2004年12月20日発売予定) という書籍を制作しております。 内容は、ネット上のブログコンテンツをランキングして紹介する本です。

宝島社にて毎年年末に
『このミステリーがすごい!』という書籍を発行させていただいており、
そのブログ版という位置付けで今年が最初の発行となります。

こちら側の大変勝手な都合ではありますが、
この本におきまして、
貴ブログサイト「言戯」
をベスト20サイトにノミネートさせていただきました。

つきましては、
誌面にてこのブログを紹介したいと考えております。

~~~~~~~~~~

「・・・・・・・・・・・・・・。」

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宝島社って言ったら、世間にまるで疎い私でも知っている超有名出版社ではないですか!!?
マジですか!!!???

しかも、本が出た際には一冊送って下さるとのこと。
まるで夢のような話に、顔は蒼白になり、指は震え、足は倦怠感を伴い、胃腸は悲鳴を上げ、その場に昏倒してしまいそうになるようなことはなく、

「わーい!やったー。」

と、パソコンの前で小躍りして喜んでしまいました。

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え~。
宣伝です。
当blogが掲載される予定の(ほんの隅っこかも知んないけど)、

『このブログがすごい!(仮)』(2004年12月20日発売予定)

を、皆様、是非是非お買い求め下さい!
私も買います!
(送ってもらうのに)

よろしくお願い致しま~す!

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ハウルの動く城を見た!

昼間に吹いた強風が、ほの温かい気温をさらっていったかのような夜。
私と相方(彼女)は、映画館の前に立っていた。
「ハウルの動く城」を観るためである。

私は、三度目にして、ようやく得た鑑賞の機会。
まるで、諸葛亮に対し「三顧の礼」を尽くした劉備玄徳のような心持ちで入場した。

しかし、いつも思うのだが、私のよく利用する「109シネマズ」のポップコーンはどうしてこうも美味しいのだろうか。
塩とバターが、たまらない風味をかもし出している。
店員のネーチャンがとっても無愛想なのと、少々コーラが水っぽい事など、気にならないくらいである。
 
  
さて、「ハウルの動く城」。
まあ、ツッコミとか、レビューとかいうと、なんだか偉そうな文章になってしまうので、一言で個人的な感想を申し述べるならば、

「面白かったんだけれども、釈然としない部分が多い作品」

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という印象を受けた。
とにかく、
見ている間、「なんで?」が一つ生まれ、それについて考えているうちに、次の「なんで?」が生まれ、終幕まで「なんで?」「なんで?」が積み重なり、「おわり」の字が出た時に、山積みになった「なんで?」が、「ま、いいか。」というシコリになった。
という感じ。

多分、それぞれに
「だから、こうしなければならなかったんだ。」
という動機があったのでしょうが、それらをいちいち説明していると全体のリズムが悪くなるので、その辺は映像の楽しさでカバーして、映像娯楽作品に仕上げてみました。

という感じではないかと・・。

思うのですが。
 
 
鑑賞後の、
「とても面白かった。」
という相方と、
「イマイチ釈然としない」
という私との温度差を埋めるべく開催された検討会は楽しかったです。
(どういう感想だよ・・)

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クリスマスがニガテな理由

昨日は11月の24日という事で、クリスマスイブの丁度ひと月前だった。
そのせいか、ラジオからは「クリスマスソング特集」が流れ、街を歩けば、お店は赤と緑と白を基調としたクリスマス色に彩られている。

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毎年毎年感じる事なのだけれど、この「クリスマス」というものはどうにも居心地が悪い気がしてならない。
「クリスマスが楽しみ~」
と思った事よりも、
「早く、この妙ちくりんな雰囲気の二日間が終わってはくれないだろうか・・」
という祈りにも似たような感情を抱いた事の方がはるかに多い。

何故、クリスマスががこうも居心地が悪いのだろうか。
その理由を考えてみた。

まず、根拠に乏しい。
「自分はクリスチャンじゃない」
という、ありふれた理由でもあるのだが、クリスマスというイベントに、民族の血から形成される「背骨」が見当たらないのだ。
無脊椎動物のような危うさと、不安定さ。
アブクのような浮つき加減に辟易してしまう。

そして、温度差。
クリスマスを楽しむ人たちと、普通の生活を営む人たちの間に生ずる温度差みたいなものが感じられてしまう事である。
世間はとりあえず「さあ、クリスマスだ!」と華やぐのだが、それに乗っかる人と乗っからない人で両極端に分かれてしまう。

乗っからない人は、世間と、それに乗っかる人たちから隔絶されたような気分になり、疎外感を味わう事になる。
クリスマスの喧騒は、その温度差から生じる蜃気楼のようなものなのではないだろうか・・?
という思いさえ込み上げてくる。

そして、行動の心理的制限。
若い独身男性にとって、これは大きい。
「一人でいる」ことが、たまらなく後ろめたい気持ちになる。
普段、何気なく立ち寄る所に立ち寄りづらくなる。
一挙手一投足に、「クリスマスなのに」という枕言葉が付く。

「クリスマスなのに、一人でコンビニで買い物」とか、
「クリスマスなのに、バッティングセンターで打ち込み」とか、
「クリスマスなのに、部屋でblog書き」とか。

女性と二人でも「クリスマスなのに」はついて回る。
なんだか、
「オシャレなレストランで食事して、オシャレなバーでお酒飲んで、オシャレなホテルでしっぽり・・」
・・しねえといけねえのかよ!
という脅迫観念に囚われてしまう。

まあ、今時そういうことする人は少ないのかも知れませんが・・。
そういう、
「~しないといけない」
という雰囲気が、たまらなく居心地悪いのである。

自分は、ただ逢いたくて逢っているのに、
「クリスマスデートかあ?」
という目で見られるのも癪に障る。
だからといって、意地になって逢わないのもまた悔しい。

何しろ、
「ほっといてくれ!」
と叫びたくなってしまうのである。

ああ・・早くクリスマスなんて終わってくれないだろうか・・。
今から気が重い。

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つまり、保護者。

昨日は、相方(彼女)と再び映画館へと足を運んだ。
色々な買い物の道すがら、様子を見に行こうという事になったのである。

目的はもちろん「ハウルの動く城」
館内は、こないだの乱痴気騒ぎがウソのように空いていて、どうやら「ハウル」が観られそうな気配であった。
私は「観られる!」という喜びに打ち震え、相方に、
「観られそうだよ!観る?」
と聞いた。

すると、
「う~ん・・なんか、『何かのついでに観る』っていうのは、もったいない気がする。」
と言うではないか。

そう言われてみると、何となく私もそんな気がしてきて、私の内部にある「観る気メーター」は一気に下落し、エンプティを指した。

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「観る気メーター」とともに、「やる気メーター」まで下限に至る私。

その様子を見かねた相方が、

「ああ、分かった分かった!じゃあ、観よう!ね!」
と、手を引く。

しかし、いったん「観ない」という気分になると、今度は意地でも観たくない私。
「いやだ。絶対観ねえ。」
と、必死に抵抗した。
いつしか、立場がすっかり逆転する二人。

傍目から見れば、完全に「母とワガママな子供」である。

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結局、「じゃあ、明日観よう。」という事になり、窓口で前売りのチケットを頼む事にした。
窓口のお姉さんが、インターホン越しに「いらっしゃいませ。」と切り出す。

私は注文するべく、マイクに向かって話し掛ける。

「エート・・あの。『ハウル』のですね。先売りチケットを・・が欲しいのですが。」
肝心な時に、適当な言葉が見当たらない私。

「先売り・・ですか?ええと、今回の上映分は・・」
戸惑うお姉さん。
「ああ、いや、その、今日じゃなくて、予約の・・」
焦る私。

その時である。
横からその様子を見ていた相方が、

「ああ、違うんです。明日、『ハウルの動く城』が観たいのですが、午後8時10分からの大人2枚、ペアシートで席は空いてますでしょうか?」

立て板に水を流すように、要点をしっかりと押さえ注文する。

「あ、あ、そう、それ!」

横で、コクコクと頷く私。
窓口のお姉さんは、さらに、
「ペアシートご利用ですね。ポイントカードはありますか?」
と畳み掛けてきた。

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こうして、(主に相方のおかげで)我々はチケット奪取に成功したのであった。
 
 
 
私は、今日観られなかった事と、先ほど演じた窓口での失態で、すっかりと意気消沈していた。
「ホラ、落ち込むな。な?」
慰める相方と、重い足取りで喫茶店に入る。
そこで、以前から興味のあった「コミューターマグ」を購入し、さっそくそれにホットミルクを注いでもらった。

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その「コミューターマグ」はかなりの優れもので、暖かいものは冷めず、冷たいものはぬるまない。
しかも、キッチリとフタが出来るため、かねてからの懸案であった「車内でのストレートティー」が楽しめてしまうシロモノだったのである。

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その高機能にすっかり感激し、小躍りせんばかりにはしゃぐ私。
さっきまで私を暗澹せしめていた影は、もうそこにはなかった。

「ああ、スゴイ喜んでるよ・・。良かったねえ。」
と笑う相方。

傍目には完全に
「子供のご機嫌取りに成功した母親」
の画である。

きっと、近い将来。
「ホントにこの子はもう・・」
とボヤかれる時が来るような気がして仕方が無い。
(多分、すでに内心そう思われている。)

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あ!ミミさん!

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酔っ払って、すぐに走ったりしたから、自分のサイトに帰る前にブッ倒れてしまったんだな・・。

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上機嫌の理由

相方(彼女)に用事があって、電話をかけた。
すると電話の向こうから・・

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という、いつになく上機嫌の相方が出たのである。

「なに?今日は機嫌がいいねえ。なんかあった?」
なんだか私も嬉しくなって、その理由を聞いてみた。

「うんー。別になんも無かったんだけど、ヘタに電話に出ると、『機嫌が悪い』ってblogに

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「・・・。」

怖いよう・・。
ブルブル・・。
(んで、またこういう事を書く。)

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男闘呼祭り

紅葉が、だんだんと色の隙間を大きく見せ始めるこの季節。
東北のマイカー利用者にとって、避けては通れぬ行事がある。

タイヤ交換である。
 
 
 
近頃は、タイヤ交換をショップやスタンドにお任せするドライバーも多いようだが、それは非常にもったいない気がする。
何故ならば、タイヤ交換という作業は、普段、なかなか表に出す機会のない「男らしさ」を発露させるチャンスだからだ。

タイヤ交換というものは、いちいちダイナミックな作業である。
まず、汚れても構わない服装、腕をまくり上げ、軍手を装着する。
気合いを表現するために、バンダナ、手ぬぐいなども頭に巻く。
作業をする服装からしてダイナミックであり、気分は高揚を通り越して荒ぶり、脳内からは「男闘呼物質(おとこぶっしつ)」が激しく分泌される。

この物質は、全身へと影響を及ぼし、男性の全体の陰影を濃くさせる。
普段、「優しさ」だとか、「包容力がある」などがもてはやされる「おとこ」が、「みなぎる力」と、「闘争本能」を薄皮一枚で包んだ、「男闘呼(おとこ)」へと変貌を遂げるのである。

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クルマを平坦な場所に止め、保管しておいた冬用タイヤを傍らに積み上げる。
なにしろ男闘呼モード中なので、転がしたりしてはいけない。
小脇に2本抱えて運び、張り詰めた気合いを十分にアッピールする。

ジャッキアップは、男闘呼っぷりがもっとも効果的に発揮される所である。
上腕二等筋を盛り上げてグルグル回すと、何百kgもある車体がグイグイ持ち上がるのだ。
その力強さたるやカブトムシの比ではない。
「意中のあの娘に見せてやりたい。」
と思う瞬間である。

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L字レンチで、ボルトを外す。
ボルトにレンチをはめ込み、ガシガシ蹴って弛める。
自身がサッカー選手でもない限り、日常において「何かを足蹴にする」という状況は少ない。
あっても、どことなくいじけた雰囲気が付きまとうため、人前では実行しにくいのが実情なのだ。
その「密かな憧れ」であり、「日常の禁忌」である「足蹴」を、堂々と披露できるのが「ボルト外し」なのである。
「暴力」ではない、「ワイルドさ」としての足蹴。
男闘呼の闘争本能に火が灯るひとときだ。

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タイヤを外す。
あるべきはすのモノを外された車体は、ジャッキアップされ、無防備な腹部を晒している状況も手伝って、非常に不安定極まりない体を見せる。
その横で、黙々と冬用のタイヤを運ぶ男闘呼。
「今、替えてやっから、少しの辛抱だ。」
というセリフの似合う、アカヒゲ先生チックなダンディズムが発揮される。
度の強い酒の飛沫で消毒がしたくなる。
まさに「頼れる男闘呼」の匂いがする。

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タイヤの穴を合わせ、ボルトをはめてゆく。
この時、自然に昔のヤンキーのような「●ンコ座り」になる。
少しスネたような、「ワル」の匂いがする。
「危険な男闘呼感」がかもし出される。

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このように、タイヤ交換というものは、「力強さ」、「ワイルドさ」、「頼もしさ」、「危険な香り」という、さまざまな男闘呼っぷりが如何なく発揮されるものであり、それを四度も繰り返す事で、まさに男闘呼の万華鏡。
精液の匂いが漂うような雄(オス)の自分を激しく見せつける事が出来るのだ。

タイヤ交換は、男闘呼の、男闘呼による、男闘呼のための男闘呼祭りと
呼んで良いのである。
 
 
 
しかし、タイヤ交換をしているところを見て惚れられた事は一度も無い。

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ハウルの動く城は、速かった。

昨日は、11月22日。
「イイ(11)夫婦(22)の日」で、映画館は入場料が終日、夫婦、カップルならば一人1,000円だったのである。

その事を夕方頃聞きつけた私は、喜び勇んで相方に電話をかけた。

プルルルルル・・ブッ
「・・はい。」
何故か不機嫌そうな相方。
「あ、あのさ・・今、電話いい?」
さきほどまでの高揚が一気に冷める私。
「いいけど。」
怖い。
不機嫌な時の相方ほど怖いものは無い。
思わず、電話を置いて立ち去ってしまいたくなる衝動に耐えつつ、話を続ける。

「今日さー。『いい夫婦の日』だかで、映画が安いんだって。行ってみない?」
おずおずと聞く。

「いいけど、

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「・・うん。まあ、無理だとは思うんだけどね。」
もう、帰りたい(どこへ?)。
「無理。」
「だね・・。まあ、んで、また電話するわ・・。」
そそくさと電話を切ろうとする私。
「まあ、そう言うな。時間があるなら、お茶でも飲みに行こうじゃないか。」
「・・んで、一応映画館の方に回ってもいい?」
お母さんに必死に食い下がる子供のように懇願する私。
「ああ、はいはい。分かった分かった。ハウルが観たいキミの情熱がよく分かった。」
 
 
 
というわけで、我々は近所の映画館に足を運んだ。
狙いは「レイトショー」である。
21時半から始まる回ならば、いかに人気映画で、いかにいい夫婦の日とは言え、ペアシートの一つくらいは開いているだろう・・という算段が私の中にあった。
宮崎駿監督のアニメ映画を劇場で観るのが初めての私は、
「多少混んでいても観てやる!」
といういつもなら絶対に抱かないような気迫が全身にみなぎっていた。

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今回分のレイトショーは余裕で売り切れており、チケットの先行販売に並ぶ人々(カップル含有率80%)が長蛇の列を形成していた。

落胆する私。
「まあ、そうだろうね。気を落とすな。」
といつものように沈着冷静に慰めつつ、
「あ、ホラ。インターネットでのチケット先行販売やってるってよ。後で覗いてみ。」
などと、今後の方策を検討してくれた。

帰宅してから、私はさっそくその映画館のサイトにアクセスを試みた。

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ハウルの動く城は、私の予想より遥かに移動速度が速かった・・。

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お好み焼きは語る。

鉄板の上には2枚のお好み焼きが並んで焼かれている。

一枚は真円に近い、あまりに美しい円盤形をたたえるお好み焼き。

もう一枚はみすぼらしく、破れ、朽ち果て、一目ではとてもお好み焼きとは呼べないような奇怪な物体であった。

事件は、一度目の「ひっくり返し」時に起こった。
具をかき混ぜ、鉄板に乗せる時に、あまりにも大きく広げてしまった私は、ひっくり返しきれなかった。
生地は空中でくの字に折れ、鉄板にたたきつけられたそれは脆くも凄惨に分解し、眼前に、累々たる屍山を築いたのであった。

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お好み焼きというのは、失敗の許されない食べ物だったのだ。
一度失敗すると取り返しは到底つかず、焼き上がり、食べるその瞬間まで鉄板上に
「不器用でトロイ動物」
という事実を刻み込まれる事になるのである。

しかも、お好み焼きは一度失敗すると、どこまでも状況は悪化する。
ひっくり返すたびにボロボロになってゆく。
鮮やかな手際の相方と、最初でしくじった私のお好み焼き格差はまさに広がるばかりであった。
食べる前に、私は憔悴しきっていた。

そこで相方が言った。

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そう。
その通りなのだ。

お好み焼きというのは、食べる段になるとどちらにしても切り分けてしまう。
ここに至ると、途中の失敗はほぼ帳消しになってしまうのだ。
見てくれこそ悪いものの、私のお好み焼きも、ソースやカツオブシやアオノリなどをかけると、たちまち立派なお好み焼きになってしまったのである。

たとえ、途中で失敗してしまって、それが取り返しのつかないことでも、最後には文字通り丸く治めてしまう、非常に懐の深いところもお好み焼きの良いところだ。

「人生は、諦めなければやり直せる。」

という事を、語らずに味をもって教えてくれる食べ物と言ってよい。

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凛々しいお姿

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相方(彼女)は、とても冬の似合う女性である。

髪をピッタリと整え、コートに身を包み、ブーツをカツカツと響かせながら伏し目がちに歩く姿は「凛々しい」という言葉がもっともよく当てはまる。

よーするに、「カッコイイ」のである。
「カッコイイ」とは縁の遠い私としては、非常に羨ましい限りだ。

しかしながら、見れば見るほど
「某国の工作員」
を連想してしまうのは気のせいだろうか・・。

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もらいたくない。

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たまに繁華街などを歩くと、刺激がたくさんあって心が浮き立つものである。
街には人が集まり、人が集まれば工夫が集まる。
工夫を見て回るのは楽しく、勉強になるものだ。

しかし、必ずと言っていいほど私の気持ちを暗転せしめるものが行く手を阻む。

「ティッシュ配り」である。

進行方向に、ティッシュ配りのお兄ちゃんが待ち構えているのを確認すると、思わず来た道を帰りたくなる。
なにしろ、ティッシュ配りというものは断るのに一苦労するからだ。
その追求はスーパーの試食の比ではなく、ちょっとやそっと間合いを取ったところで、ズズイと詰められ
「よろしくお願いしマ~ス」
と下方向からティッシュをねじ込まれそうになる。

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そこには、「効果的にティッシュを受け取らせる手法」とかの心理的なアレがどうのとかいう工夫が見えるのだが、配る方も仕事とは言え、受け取る方は「ねじ込まれる感」が否めず、「ねじ込まれる」というのは実に不快なものであるがゆえに、受け取りをなんとか拒否しようという心理が働くのである。

これは自然なことではなかろうか?
 
 
大体にして、「タダで見ず知らずの人からモノをもらう」という行為が、なんともキモチワルイ。
「タダより高いものは無し」という格言(?)が頭をよぎる。
何気なく受け取ってみたら、実は末端価格にして1億円相当の覚せい剤で、ハリコミのデカにワッパをかけられ、バイニンとかホシ呼ばわりされた挙句にオツトメを頂き、ムショにぶたれるということも無いとは言い切れないのだ。

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それに、ティッシュを渡される時に発するあの
「よろしくお願いしマ~ス。」
は、一体何をよろしくお願いされているのかが極めて不透明である。
「ティッシュをよろしく受け取って欲しい」のか、「ティッシュに同封されている企業をよろしく」なのかがイマイチ判然としない。
主語が抜け落ちている。

相手が「よろしく」と出したものを受け取れば、それは「YES」の意思と取られてもおかしくはないのだ。
もし、選挙期間中などに「よろしくお願いしま~す。」と手渡されたティッシュに、「●田●男」と書かれていて、ティッシュに混じって千円札などが仕込まれていたら、それは立派に収賄であり、ハリコミのデカにワッ(中略)言い切れないのだ。
 
 
だから、「ティッシュあげるの構え」を取る人間からは、努めて何も受け取らぬようにしているのである。

しかし、例外もある。
それは、ティッシュを配っているのが妙齢の女性(さあ、来ましたよ)だった場合だ。
ティッシュ配りのお姉さんは、何故か美人が多い。
しかも、蛍光色のサイズの大きめなジャンパーに、ミニスカートといういでたちが多く、ジャンパーのやや肩の張った男性的なシルエットから、突如として下方向に伸びるミニスカートのふくよかさ加減に、思わず目を惹かれてしまうのだ。
つまり、ティッシュ配りのお姉さんは、極めてグッジョブという事になる。

そのお姉さんが、ティッシュを差し出しながら
「お願いしま~す。」
と言うのだから、男性諸氏にはタマランのではないか。
「何をよろしくすればいいンスか!?」
と聞きたくはなりませんか。
ドギマギするでしょう。
ええ、分かってますよ、TOKさん。

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そんな事情も相まって、ティッシュ配りのお姉さんというのは「色気の壁」であり、その壁を突破するのにさらなる気力が必要になるのである。

ティッシュはもらいたくないが、ティッシュ配りのお姉さんはじっくり鑑賞していたいと思わずにはいられない。
そんな葛藤もまた、困る。

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「解禁」は甘い響き

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つい昨日。
2004年度の「ボジョレ・ヌーボー」が解禁された。

なんでも、ボジョレ・ヌーボーというのは、毎年11月の第三木曜日が全世界的に解禁日となっているそうで、なんでそんな事をわざわざ決めるのだろうかとつらつら調べたところ、どうやら原産国のフランスで「その年もよいブドウに恵まれた事を感謝して、いち早くワインにして飲もう祭」が開催され、それからなんでかそれに添った法律が出来たとの事だった。

・・まあ、極めて解説チックな文章で恐縮なのですが。
私も、つらつらと調べただけなんで、別にソムリエを目指しているとか、血液がワインで出来ているとか言うことはないのであらかじめご了承ください。
 
 
毎年、このボジョレ・ヌーボーは、大々的に宣伝され、ネコも杓子もヌーボーになる。
ヌーボーは上手い。
「美味い」ではなく、「上手い」のだ。

まず、「解禁」という響きが上手い。
「解禁」という言葉は、「限定」のそれと同じく、日本人の心の琴線を激しく掻き鳴らす。
全然知らない人が、知らない理由で、知らないうちに決められた「禁」だというのに、「解かれた」という話を聞いてしまうと、全然関係無いのに、なんとなく
「あ、んで、飲まなきゃ。」
という心理が湧き上がってしまう。
それどころか、
「飲まないと、損な気がする。なんでかは知んねーけど。」
という気分になってしまうのではないか。

「なんでかは知んねーけど、お得な感じ。」
が、ボジョレ・ヌーボーの価値を大幅に押し上げている気がしてならない。
 
 
そして、「優越感の隠し味」も、その価値を大幅に押し上げているのではないか。
全世界的に「11月の第三木曜日」と決められているため(なんでかは知んねーけど)、時差の関係で日本が本場のフランスよりも8時間くらい先に解禁日が来るのだ。

つまり、
「本場のフランス人よりも、オラたちの方が早えーべ。こりゃ飲まなきゃなんね。飲んで、フランス人さ一泡吹かしてやんべ!」
という、
「わずか8時間の優越感」
が、ボジョレ・ヌーボーの価値を決定付ける大きな要因の一つとなっている気がする。

ボジョレ・ヌーボーは上手い。
消費者の購買心理を上手く突いている。
だから、毎年今年のヌーボーはどうだとか、みんなで集まってボジョレーすっぺとか、そういう騒ぎが起きるに違いないのだ。
  
 
ボジョレ・ヌーボーが「美味い」のかどうかは、酒の飲めない私には永遠に分からない事であるが、新酒のお祝いという行事は実に微笑ましいことであるし、宇宙から俯瞰して、11月の第三木曜日に限り、移動する日付変更線が紅いワインに染まっているなんて、なんとも素敵なことではないか。

私も、せめて紅茶で新酒の解禁を共に祝いたいと思う。
かんぱーい。

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楽天からの誘い

今の今まで待っていたのだけど、「東北楽天ゴールデンイーグルス」からの交渉電話は無かった。

突然のオファーに備えて、用意はしておいたのだが・・。

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恐怖ラーメン

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ある日の事。
私はラーメン屋の中で、ひとり苦悶していた。
小腹が空いたために入ったその店は、環状線の路傍にたたずむこじんまりとしたところで、昼下がりにも関わらず店内はトラックドライバーや、営業途中のサラリーマンが、新聞を広げたり雑誌を眺めたりしながら黙々と麺を手繰っている。

私は目の前のドンブリに沈んでいる麺を箸でこねていた。
少し持ち上げ、躊躇し戻す。
先ほどから、大体半分くらいまで食べた手ごたえはあるのだが、どうもおかしな事に、食べても食べてもドンブリの底から次々に麺が浮き上がってくるのだ。

ラーメンそのものは、決して不味いわけではない。
スープは薄口で個性無く、麺は細目でやや腰が無く、チャーシューはやけにブタ臭くていただけなく、シナチクだけが何故かキッチリと味付けがなされており、脇役が一番良い仕事をしているというチグハグさ加減の楽しいラーメンであった。
総合的に感想を申し述べるならば、「並みよりちょい下」くらいのシロモノなのだが、何しろ量が多い。
それも、麺だけが特化して多いのだ。

「ちょっと、味には自信が無いんで~。麺、オマケしといたから!」

という、「善人の善意による結果的な危害」がそこにある気がしてならなかった。
 
 
私はとにかく一定のリズムで食べつづけていた。
一回の箸にすくわれる麺の量は確実に減っていったが、とにかく継続する事に価値を見出し、ラーメンの洞穴を掘り進んでいった。
ラーメンとは、「縦」の食べ物である。
埋め込まれた具材を、浮かぶに任せて食するものである。
大抵は、その浮上するものがだんだんと少なくなってゆく事に心を傷めながら、その傷を満腹感で補うのがラーメンではないのか。

食べても食べても底から麺だけが次々に浮き上がってくるこのドンブリは、実は厨房と直結していて、店主が上がった玉を次々と投入しているのではないかという疑惑まで持たせるには十分であった。

流れる額の脂汗は、おそらく今食べているラーメンのそれだろう。
舐めればきっとスープの味がするに違いない。
 ・
 ・ 
 ・ 
朦朧とする意識の中、なかば機械的に箸をドンブリと口の間で往復させているうちに、
「この辺でカンベンしてやっか。」
と言わんばかりの様子でようやくドンブリの底が姿を見せた。

私は、なるべく下を見ぬように慎重に店を後にした。

そして、「○○○軒」と書かれた看板を見上げながら、出来る事ならラーメン屋さんのカンバンには、
「○○○軒(味ややアレ、でも量多め)」
と書いて欲しいものだと願わずにはいられなかった事は言うまでも無い。

それにしても、玉の大きさというのはどの店でも大体決まっているはずなのに、どうしてあんなに多かったのだろうか・・?
いまだに不思議で仕方が無い。

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少し残った女の部分

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街の喧騒がその色合いを変え始める夜7時。
私と相方(彼女)は喫茶店でお茶を飲んでいた。

小さなテーブルに向かい合い、他愛も無い話を交わしているうちに、ふとクリスマスの話題がテーブルにのぼった。

「そういや、もうすぐクリスマスだよ。はえーなー。」
私はストレートティーをソーサーに戻しながら、クリスマスに思いを馳せていた。

「そうだねえ~・・クリスマス。もう来月かあ。」
相方は少し猫背になりながら、ブラックコーヒーを一口飲む。

「クリスマスといえば、プレゼントだなあ。プレゼントは、『広辞苑』でどうだべ?」
と聞いた。
何気なくの、極めて思いつきである。

相方は、思わず吹き出しそうになったコーヒーをソーサーに戻した。
「カチャリ」という磁器の当たる音が少し高めに響く。

「あはは!いやあ~。『広辞苑』ねえ・・。」
「あれ?欲しがってなかったっけ?『広辞苑』。」
「うん。もちろん欲しいけどね。なんつーか、私の『女の部分』がね。『それはどうなんだ?』とね。」
「『女の部分』が。」
「そう。少しだけ残された『女の部分』が。」

ああ、そうか。
確かに、クリスマスプレゼントで『広辞苑』というのは、あまりに色気が無いような気がする。
単純に「欲しいものをあげればいい」というわけではないのだ。
私は少し反省すると同時に、「色気」という私にもっとも縁遠いものを求められ、拱手瞑目、少しだけ途方に暮れていた。

その様子を見ていた相方が、こう言った。

「まあ、アレだよ。『広辞苑』よりも、『擬態語辞典』の方がいいな。」

おそらく、途方に暮れる私を見た相方が気を使ったのだろうが、『広辞苑』よりも、『擬態語辞典』の方がやや色気があるという事は、ある意味間違いは無い。
なにしろ、『擬態語辞典』の方には「いちゃいちゃ」という擬態語の意味が丁寧にイラスト付きで記述されているからだ。
 
 
・・無論、冗談であるが、 
とにかく、相方の喜ぶものが贈りたくて仕方が無い今日この頃である。

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店長の陰謀

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昨日、仕事が休みだった私は、ぶらりと街中を歩き回っていた。

ブラブラと歩いているうちに、のどが渇き、体も冷えてきたため、お茶を飲む事を決め、ちょうど近くにあった喫茶店に立ち寄る事にしたのである。

落ち着いた雰囲気の店内は買い物途中のオバチャンの休憩場所と化しており、2割の有線放送に混じって、取り澄ましてのナイショ話が3割、大声での世間話5割。
匂いは、コーヒー6割、化粧品が4割であった。

その店は喫茶の他にランチもやっているらしく、ウェイターのオッチャンが午後2時を過ぎてまばらになった店内を歩き回っていた。

私は、珍しくコーヒーを注文し、席についた。
砂糖とミルクをダバダバいれ、「砂糖とミルク入りコーヒー」というより、「コーヒー入り砂糖とミルク」をちびちびと楽しんでいた。

その時である。

私の目は、店内を歩く従業員に釘付けとなった。
ウェイターのオッチャン達に混じって働く、一人の小柄な女性を見つけたのである。

大き目のシャツに身を包み、ソデはまくらずにいるため自然と指先だけがチョコンと顔を覗かせ、胸元にはネクタイ。
真っ黒いズボンを、これまた男物と思しき大きなエプロンで包み込んでいる。

小さ目の顔が、大きな衣服とのギャップをさらに広げ、短めの栗毛を引き絞って後ろで止めた髪形が絶妙な清潔感をかもし出していた。

「ウーム・・カッコワイイ(カッコイイ+カワイイの意。今作った。)」

私はすっかり感心し、左手ではちゃっかりスケッチしつつそのカッコワイイ(語感最悪)女性をしげしげと観察していた。

店内を見る限り、ウェイトレスはいない。
もしかすると、ウェイトレスの制服が無くて、仕方が無いのでサイズの合わないウェイターの格好をしているのだろうか・・。
いや、もしかするとウェイトレスの制服もあるのだが、敢えてこういうギャップを演出し、それで客寄せに使っているのかもしれない。

ということは、どこかで店長が私の様子を見て、
「ほッほ・・見てる見てる。どうだ、ワシの作戦は当たっただろう。見ろ、あのメガネの目を。釘付けじゃわい・・ワシの掌の中とも知らず・・愚かなことよのう・・ほっほっほ。」
とほくそ笑んでいるのかも知れないと思うに至り、慌てて視線を外したのだった。

昼下がりの店内。
ウェイトレスをチラチラ見ながら何かをメモするメガネは、傍目に見て十分に挙動不審である。
 
 
 
ウェイターの格好をして働く女性は、非常にグッジョブである。
一見、宝塚チックな取り合わせであるが、「働く男装の麗人」と呼んで良く、そこから立ち上る清涼感を伴った清潔感は、感動すら覚えずにいられなくなる。

コーヒーを飲み終え、店を出て振り返り、キビキビ働くその娘を見て
「たまには街に出るのも悪くは無い。」
と思った事は言うまでもない。

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携帯電話仁王立ち!

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人は、何気ない日常生活の中の習慣から、恐るべき身体能力を無意識に発揮する事がある。
今日、私はそんな「日常の中の妙技」を目の当たりにした。

街場に用事のあった私は、世界一料金の高い仙台の地下鉄に乗った。
車内は非常に空いていて、皆、本を読んだり、音楽を聴いたり、瞑目したりして、それぞれの目的地までの時間をやり過ごしている。

ふと視線を向けた先に、一人の若い女性が立っていた。
通路の真ん中で仁王立ちになりながら右手に携帯電話を持ち、クチクチと何かの作業をしている。
左手は、ジャンパーのポケットに突っ込んだままである。

私は、
「このまま電車が動いたら、危ないのではないだろうか・・」
という心配をしてしまい、その女性の動向を観察する事にした。

プルルルルルル・・
発車のブザーが鳴る。
(ああ、ホラ、何かにつかまらないと!)
女性は仁王立ちのままだ。

「パシュウウウ・・!ミーー!」
と扉が閉まった。
仁王立ちは相変わらず携帯の構えを崩さない。

ゴクン!
という軽い衝撃とともに電車は動き始めた。

私の体にも横方向に慣性が働き、手すりにつかまってなんとかそれを凌ぐ。

仁王立ちは、慌てて何かにつかまるか、もしかすると転んでしまうのではないか・・。
私は心配と、やや悪趣味な期待をない交ぜにしながら仁王立ちを見た。

しかし、その二つは見事に裏切られた。
仁王は、何にもつかまる事無く、相変わらず右手で携帯を操り、左手はポケットに突っ込んだまま、絶妙な体重移動だけでやり過ごしていたのである。

(・・出来る!)

仁王はそれからも私の期待を嘲笑うかのように、突然来るブレーキも、緩やかなカーブでの縦の慣性にも柔軟に対応し、ひたすら携帯電話に没頭し、まるでよろける気配も見せなかった。

かえって、それをただ観察していた私の方が、慣れない地下鉄によろけ、酔い、のた打ち回っていた。

私は敗北を認めざるを得なかった。


おそらく、仁王は何千回と地下鉄に乗り、ほぼ毎回、携帯電話をいじり倒してきたのだろう。
無意識下の修行の中、車内で転んだ事や、細かい字を目で追っていて酔った事もあったのではないか。
そういった血の滲むような修練ののちに、携帯電話を弄くりながら地下鉄の繰り出す「G」に、柔軟かつ的確に対応するという術を体得したに違いないのだ。

私は、そういった鍛錬の結晶を目の当たりにし、感動を禁じえなかった。

惜しむらくは、その技はあまりに地味で、傍からの見た目がよろしくなく、おまけに車内での携帯マナーに著しく反しているということだろう。

ともあれ、仁王、恐るべし・・と思った事は言うまでもない。

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視線の想像

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今年の2月に、同居していた爺さんが亡くなった。
10年近く寝たきりで、今のウチに引っ越してきてからも約5年間ほとんど寝たきりだったのです。

爺さんが死んで、爺さんが使っていた部屋は事務室になり、爺さんの寝ていた介護用ベッドの置いてあったところには、マッサージチェアが置いてある。

風呂上りに、たまにそのマッサージチェアに寝そべって、背骨周りのコリをゴリゴリほぐすのだけど、ゴリゴリほぐしている間というのは他に何をするわけにもいかないから、ただ天井を凝視しているわけなのです。

すると、ふとあることに気付いた。
この風景は、恐らく死んだ爺さんが5年間に渡って、きっと一番多く見た風景だったのだろう。

寝たきりになってしまった爺さんと、マッサージチェアにもまれている私。
まったく違っているように見えて、「歳をとって、そこにいる」という点において、そこに至る動機も実はよく似ている。
そして、「事情により固定された視線」をも共有しているのだ。

状況、条件そのものだけを見れば、同じである。
爺さんは、足腰が立たなくなって、この天井を見て何を思っていたのだろう?
寝たきりになった事はないから、本当の意味で気持ちを共有することは出来ないし、結局爺さんの思っていた事は想像出来なかったけれど、同じ状況、視線を体験する事で自然とそういう考えが生まれてきた。

爺さんと私の人生は、歩み方はまるで違うけれど、大筋では一緒なのかも知れない。
もしあの爺さんがいなければ、私はここに存在しないのだから。
そして、いずれ私が歳をとり、もしも子孫が出来たとして、また違うところでふとした事から「私の見ていた視点」を共有する者が現れて、今のこの私の気持ちを想像する事があるのだろうか・・と考えていた。

マッサージチェアに揺すられながら、人間の「縦の繋がり」を考えた風呂上り。

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華麗なる逆転

季節はまさに秋から冬へ。
一日ごとに気温を激しく上下させながら着々と雪の季節へと進んでいる。

季節の変わり目は、もともと体調に異変を起こしやすい時期で、特にこの時期はよほど注意を払わないとあっという間に体調を崩してしまうものだ。

相方(彼女)は今年の5月に宮城県に帰ってきたばかりで、愛知と宮城の種類の違う寒さに体が順応できずにいる。
これまでも、常に鼻をグズグズさせていて、

「仙台の秋は寒い・・!寒いのよ・・!」

と、やる方の無い憤まんを私の脇に手刀を打ち込むことでいなしてきた。
 

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ある日の夕方。
相方とお茶でも飲もうかと、携帯に電話をかけた。

プルルルル・・ブツッ
「・・あい。」
いつもより、輪をかけて鼻声の相方が出た。
私は、(ああ、これはイカン・・)と思いつつ
「風邪ひいたか。」
と、確認する。

「うー・・(うん)。引いたでー(ねー)・・。ズビー!」
「おっきいな、今回のは。」
「うー・・(うん)。おっきいでー(ねー)。」
「今日、お茶飲みに行くべかと思ったんだけど、止めといた方がいいね。」
「えー・・?らいじょうぶ(大丈夫)よー。風邪って言っても、鼻がズルズルなんと、ゲヘ!セキがちょっと出るくらいらしー(だしー)。とりあえず、熱は無いから。エフエフ!!行けるー。」

その他は風邪の要素が全て揃っているのに、ただ一点『熱が無い』ということだけで『行動できる』という判断を下す相方に、「妙なところでポジティブ。」と思いつつ、

「・・いや、無理だから。それは。」
と言った。

「ほんなころだいってー(そんなことないって)。はあ~・・(口呼吸)」
食い下がる半死半生の相方。

「無理無理。」
すげない私。

「ああ、そうやって、あたしを見捨てるので~(ね~)?ヒドイ・・!ズビー!」
「なんでそうなる・・。」

その時、携帯から聞こえる相方の背景がどうも騒がしい事に気付いた。

「・・サチさ~、今、どこにいんの?」
「え~?一番町(仙台駅前の大きなアーケード通り)の『キャスロン』(喫茶店)・・。」
「なんで、具合悪いのにそんな所にいるかな!」
「あ~、いや、ちょっと用事があったし、ケフッ!あのホラ、『キャスロン』のジンジャーエールって、風邪に効くかな~と思って・・けへけへ!」

私の心配は一瞬にして怒りへとその姿を変え、

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いつもはヘニョヘニョでも、たまには怒るんだぞ!と言わんばかりに相方を叱りつけた。
勢いとは言え、図らずも珍しく、勝利を手にした事を密かに喜ぶ私。

「な、何さ!怒らなくてもいいじゃないか!分かったよ!帰って寝てやるよ!・・あ、ところでさ」
「なに!」
「トシさんって、服のサイズL?」
「そだよ。なんで?」
「いや、セーター編んだろと思って。」
「・・・つД`)」

結局のところ、私は到底相方に勝てないのであった。

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誉めたい欲!

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部屋で何気なく鉄アレイをいじくっていたら、突然「誉めたい欲」の衝動に駆られてしまった。
「誉めたい欲」というのは、「熱唱欲」「かぶりつき欲」「名ゼリフ欲」などと同じ種類の欲望で、
「とにかく何かを誉めたい!誉めそやしたい!」という衝動が突如として心の中に吹き荒れるのだ。

いつもだったら、この欲望の捌け口は自分であり、容赦なく自分を誉めそやすところなのだが、いつもいつも自分ばかり誉めていたのではあまりに芸が無いので(別にギャラリーがいるわけでもないのだが)、今日は身近にあったティッシュ(身近にあったのはたまたまで、別段深い意味はない。)を誉めてみようと思ったのだった。
 
 
 
ティッシュはエライ。
チョコンと出ている髪のオシリ(頭かもしんない)をつまんで、「シュッ」と出せば、すぐに次の一枚がピョコッと出てくる。
その確率は、ほぼ100%である。
今まで、ティッシュの継続確率が90%を割ったよ・・。
という人はあまりいないであろう事からも、その偉業の度合いがうかがい知れる。

ティッシュを取れば、次が出てくるという事は、世間では「当たり前の事」となっている。
しかし、その「当たり前の期待」に、常に応えつづけるということの大変さは意外に認知されていない気がしてならない。

かのイチロー選手を思い出して欲しい。
メジャーリーグで活躍するイチロー選手は、毎年大変な数のヒットを打つ。
そんな彼でも、打率にすると4割弱だ。
10回打って、4回ヒットを打っても、どちらかというと評価は「スゲー!」ではなく、「さすがだね。」なのだ。
つまり、彼も「打って当然」の期待に応えつづけているという事になる。

それと同じ事を、ティッシュは毎日、己の中の紙が尽きるその日まで黙々とこなしているのだ。
これを偉業と呼ばずしてなんと言おう。

これからは、ティッシュを取る時に「お疲れさん、ありがとうね。」
と言おうと心に決め、一度試してすぐ止めた。

ティッシュはエライ。

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源さんが~!

※今回の記事は、「新撰組!」をご覧になっていない方には分かりづらい内容となっております。
あらかじめご了承ください。
管理人:そんちょ

二日連続でテレビの話で恐縮なのですが、「新撰組!」。
源さんが死んでしまった・・。

刀で銃弾を弾くシーンで鳥肌。

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「おおおおお!!?」
・・すみません。
ベタな演出にまんまとハマってます。
しかし、あそこで「マトリックス」チックな映像を持ってくるか・・。
私的にハマりました。

そして、
局長にお別れするところでダー!(涙音)
「死んだ人間が泣いてどうする」
「あ、そうですね。」
で、舌をペロッと出したところでダー!(涙音)

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・・すみません。
昨日に続いて、今日もテレビの前でメソメソやってました。

追記:
「善福寺手帳 」さん経由「ねこづらどき」さんに、源さんこと井上源三郎の詳細が書かれております。
とても詳しく調べて書かれているので、大変勉強になります。
是非ご一読を。

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号泣Dr.コトー診療所

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まったく、どんだけ泣かせれば気が済むのでしょうか。
「Dr.コトー診療所」。

泉谷しげるさんと小林薫さんのオッサンコンビ(失礼)にボロボロ。
小林薫さんと朝加マユミさんの夫婦愛にボロボロ。
子供らの友情にボロボロ。

ティッシュの山が築かれ、危うくハナミズと涙で脱水症状を起こすところでした。

なんだか、あのドラマを観ていると、
「生きるって、素晴らしいことなんだなあ~・・。」
と恥かしげもなく思ってしまいます。

グシグシ・・。

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雄雄しいマユゲ

先日、ラジオショッピングで「マユゲの育毛剤」の紹介をしていた。
「マユゲを濃くして、クッキリとした顔に!」
というフレコミである。

ということは、上手い事塗布すれば、憧れの「雄雄しいマユゲ」になれるやも知れぬ。

塗るべきか、塗らざるべきか・・それが問題だ。

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公衆電話生活

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一年と三ヶ月の携帯電話生活を経て、「自宅が圏外」という理由からその存在に疑問を抱き、そこに持ってきてのお茶目な事故がキッカケとなって携帯電話生活に見切りをつけ、再び公衆電話生活に舞い戻った。

それで分かった事なのだが、公衆電話は、やはり素晴らしいものである。
 
 
 
なにしろ公衆電話は、まず探さなければならない。
近頃ではいよいよ設置台数も減り、コンビニなどでも新しい所になると公衆電話が無い!というところまである。

しかし逆に言うと、見つけてさえしまえば「使用中」という事はまずなく、ある意味

「主にオレのために置かれている電話」

と考えられなくもないのである。

考えてもみてください。
あらゆる所に、「主にオレ専用電話」があるんですよ。
たまに先に使っている人もいますが、そういう人を見ると、
「ああ、あなたもですか。まったく、住みにくい世の中ですね。」
というアイコンタクトが取れてしまいます。
「不便を共有する者の連帯感」
みたいなものがバシバシ感じられます。
思わず、抱き合って互いの健闘を称えあい、ユニフォーム交換の一つもしたくなります。
それがもし妙齢の女性だったら、
「どうスか、その辺の喫茶店で、公衆電話の素晴らしさについて語り合いませんか。」
という出会いのキッカケになってしまうかもしれませんよ。
ユニフォーム交換だって夢じゃありません。
(夢かも知れません)

「人の行く、裏に道あり花の山(ウロ覚え)」
ですよ。
 
 
 
それに、公衆電話からテレフォンカードを使って携帯電話に繋ぐと、恐ろしい勢いで度数が減ってゆきますね。
まさに激減です。
数秒に10円ですからね。
携帯電話の相手と話していると、会話が数秒に一度フツフツと切れ、度数がどんどん減ってゆき、「ものすごい高価なコミュニケーションをしている感」がヒシヒシと身に染みます。
どんなに近くにいる相手でも、長距離電話のような感じが味わえて、なんとも風情があります。

このように、公衆電話生活というものは、なんとも素晴らしい事が盛りだくさんなのです。
(主に情緒に訴えるものばかりという気がしないでもないが)

まあ~、いったん公衆電話生活を味わってしまったら、今さら携帯電話なんか持てませんよ!

あははははははははははははははははははははははははは!

・・はあ~・・。

65%「まだポケベルってあるのかな?」
へのトラックバックです。

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緊張と油断の融合

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ネコの毛づくろいほどのどかな風景はないものだ。

毛づくろいの最中に周囲で何か異変があった時、猫は頭だけ緊張する。
体は油断したままだ。
その姿は、緊張と油断が絶妙に融合していて面白い。

対象を自分の危機レベルで計り、「安全」と判断すると「ま、いっか。」という感じで何事も無かったかのように毛づくろいを続行する姿がまた、妙に愛らしくて良い。

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相方改造計画

相方(彼女)と喫茶店にて話をしていたときの事。

「私、可愛い女になりたかったわ・・。」

と、相方が切り出した。

「可愛い女?なんで?」
口に運びかけていたスチームミルクをテーブルに戻し、私は聞き返した。

「親にも言われてるんだけどさー。私の可愛さって、3歳時がピークだったんだって。今でも3歳の時の私の写真がウチに貼ってあるんだよ。」
「っつーことは、3歳からは下降の一途ってこと?」
「っつーことになるよねえ。」

なるほど。
相方は可愛い女になりたいのか。
そういう願望があるとは知らなかった。

しかし、そこで私は思わず想像してしまったのである。
相方が、一般的に言われる「可愛い女」に、なったときの事を。

まず、逢った時。
もしも相方がいつものように、うつむきながら早足に突進してくるのではなく、満面の笑みで手を振りながら駆け寄ってきたとしたら・・

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もしも笑う時に、「ニヤッ」という不敵な笑みではなく、素敵に「ニコッ」と笑ったら・・

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確かに可愛いかも知れないが、それは相方ではないような気がする。
私は、「可愛い相方」を色々想像したが、どれも相方のようでいて相方ではなかった。
黙々と考えつづける私を見かねた相方が言った。

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ああ、良かった。
やはり、相方はこうでなければ。

相方は、自分で思うよりずっと可愛い女性である。
ただちょっと分かりづらいだけなのだ。
でも、それでいい。
キミの可愛さは、私だけが分かっていれば良いのだから。

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靴下か下着か・・。

先日の事。
ラジオを聴いていたところ、パーソナリティーのお姉さんが

彼、または彼女と初デートという時、あなたは靴下と下着どちらに気をつけますか?
という質問を投げかけていた。

「そりゃアナタ、両方気をつけるべよ、普通。」

とは思ったのだが、それではミもフタもないので、「強いて挙げるならば」で考えてみた。

私の場合は下着だ。
優先順位としては、確かに下着の方が上位である。
「恋愛」を前提とした異性と、初めて連れ立って出かけようというのである。
否が応にも気合いが入る。
その気合いを漏らさぬためにも、気取られぬようにするためにも、下着はパツッとキメて秘めた闘志を自分に対して現したいものである。
別に、下着を見せる状況を考えてとか、むしろ見せたいとか、なんとしてもそこまで持ち込みたいという情熱はそんなにないのですが。
(全然無いわけではないのだが。)

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靴下は、穴が開いていたり、色が違ったりというのはよくあることで、一般に「だらしない」とか、「みっともない」とかいう評価を頂くものだが、私は個人的に穴の開いた靴下を履いている人に対しては好感を持ってしまう。
何故かというと、「もうダメだ」と分かっていても、スッパリと諦め切れず、ついズルズルと付き合ってしまうところに、たまらない人間味を感じてしまうからなのです。

逆に、穴が開いたからってポイポイ靴下を捨ててしまう人は、とても冷たい人のように思えてしまいます。

そんななので、自分の靴下に穴が開いていても、あまり気にしなかったりする。
まあ、単なるズボラの言い訳と言われればそれまでなのですがね。
 
 
 
余談ではあるが、相方(彼女)と初めてデートした時。
私は靴下と、下着をバッチリ決め、不精ヒゲも剃り落とし、実に清清しい格好で待ち合わせ場所へ赴いたものであった。

ネグセが付きっぱなしだったのが非常に惜しいところではあったが。

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クシャミは反則

nakoさんのコメントで、

ものすごく遠慮して、小さく小さくまとめようとするくしゃみ(「クチュッ」とか「キュッ」という音がする)をする人もいますよね。あれも気になります。

というものがあった。

それで思い出したのだが、私はクシャミに対してグッジョブな感情を持っている。
「フェチ」と言って良い。
なにしろ、初恋の女の子(小3時)を意識しだしたキッカケがクシャミだったのだから、そのフェチっぷりは筋金入りである。

クシャミは反則である。
それも、遠慮して小さくすればするほど、威力が増す。
うら若き女性が、突発的にもよおした生理現象に耐え切れず、それでもなるべく目立たぬように「くちっ」などとする仕草は問答無用で可愛い。

身をすぼめて、はばかる姿は健気さを感じさせられてしまうのである。

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しかも、クシャミは二枚腰である。
「クシュッ」としたあとに、照れたような、バツの悪そうな表情に、上目遣いで涙目になる。
これがさらにグッジョブである。
脳天が、やや溶解する。

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「しおらしさ」を自然に演出してしまうクシャミは、まさに偶然と、生理反応の生んだグッジョブと呼んでいい。

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ほのかに光る感動

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もうちょっとすれば、それが当たり前になって何の価値も無くなる事とは知りつつも、それだからこそ感じたい、期間限定の感動というものが世の中にはあると思う。

それは、儚くもほのかに光る、ホタルのそれに良く似ている気がしてならない。

私は今日、「時代の奔流にほの光る感動」を目の当たりにした。
 
 
 
ついに見ました。
新五千円札。

新札発行から、10日目にしてようやく樋口一葉さんのご尊顔を拝しました。
千円札と一万円札というのは、割かし良く流通するので見るのにそれほど苦労はしなかったのだが、五千円札というのは日常において、意外にもらわないものである。
千円程度の買い物をして、一万円を出しても、何故かは分からないがわざわざ千円札9枚ないし8枚で釣り銭をもらう事が多いような気がする。

それほど、五千円札というものは、2千円札についでマイナーな存在なのである。

私は、五千円札が見たかった。
五千円札が見たいがために、両替をしに銀行まで赴いた事もあった。
あったのだが、順番待ちが20人もいたため、しばらく悩んだ後に諦めた。

郵便局でも両替を試みた。
しかし、窓口のお姉さんに
「両替って、出来ますか?」
とおずおずと聞いたところ、少し微笑まれて
「・・両替ですか?」
と聞き返された時に、直感的に
(この人、新札が見たいのね。しかも、五千円札目当てなのね。)
と気取られたのがヒシヒシと感じられた事に深く恥じ入り、傷付き、しかも追い討ちのように
「通帳に積む事になりますが、よろしいですか?」
とまで言われ、なんだかとても面倒で、もし、通帳に積んでまで頼んで旧五千円だったとしたら、いよいよ
「すみませんが、新しい札は無いのですか?」
と聞かなければならず、それだけはカンベン願いたいという思いがこみ上げてきて、

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と逃げ出すように郵便局を後にしたのが記憶に新しいところなのだった。
 
 
 
そういった紆余曲折があり、ついに本日、新五千円札との邂逅を果たしたのである。
身内が自慢気に取り出したそれは、折り目一つ無い紙面に、いつかテレビで見たものと同じように樋口一葉の肖像画が描かれていた。

「おおお~~・・!」

光に当てて透かしてみたり、キラキラ光る部分を触ってみたり、徐々に輝きを失ってゆく感動を惜しむかのように欲しいままタメツスガメツする私。

感動の余韻までじんわりと味わい、ただの紙幣になったところで返却した。

新しいお札は、見る角度によって字が浮き出たりする仕掛けがある。
ややマイナーな新五千円札には、是非とも見る「角度によって、一葉が笑う」という一工夫が欲しかった気がしてならない。

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病原体に貴賎なし

どうも、今日は朝から少しの頭痛と、ノドが痛い。
季節の変わり目、風邪を引きかけているのかもしれない。

風邪は、言わずと知れた伝染病である。
他人からもらうのはある程度しかたがないとして、どうせもらうなら妙齢の女性から頂きたいものだと、何となく思ってしまう。

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「なにスや!オレさ伝染したらいいべや!(仙台弁)」
と、無駄に寛大な心持ちになってしまう。

しかし、
「伝染されてもいいな~。」
と思う風邪菌というのは、何故か発病しないものである。
その証拠に、相方から風邪をもらった事はあまりない。
長時間一緒にいても、どんなに近くにいようと、まずもらわないものである。
(これってノロケですか?)

反対に、
「絶対コイツからはもらいたくねえ!」
と思う人には、かなりの確率でもらってしまう。
特に、風邪引きオッサンの菌は強力で、息を止めても、逃げ出しても、マスクをしても、チャッカリ侵入し、キッチリ着床し、ガッツリ発病する。

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考えてみれば、これはおかしいことだ。
「もらいたくない!」
と思えば、肉体は自然に免疫力を強化するはずなのだ。
それなのに、その上げた免疫力すらもグイグイ突破し、もらってしまうのだ。

ということは、それだけオッサンの持つ病原菌は「あつかましい」という事になるのかもしれない。

ちなみに、今、私の中に住むであろう病原菌は、多分、昨日書店で居合わせたオッサンのものだ。

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手ぬぐいとの熱き抱擁。

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何故、人は温泉に浸かると頭の上に手ぬぐいを乗せてしまうのだろうか。

という疑問が、脳漿の中、沸々といい湯加減にたぎり、その理由について思考を進める事にした。
 
 
 
温泉や公衆浴場などの、不特定多数の他人と共有して使われるスペースでは、手ぬぐいは唯一所持する事を許された(最近ではロッカーのカギなどもあるが、ここでは割愛する。)衣服であり、道具であり、相棒である。
つまり、「素っ裸」という、そこはかとなく頼りなく、不安極まりない状況下における命綱であり、精神的支柱なのである。

人は、手ぬぐい一本を携え、温泉の荒波の中待ち受ける万難辛苦と戦う事になるのだ。

温泉時における手ぬぐいというものは、実に多様な使用法を求められる。
浴室に入る時には、それとなく局部を隠す「衣服」となり、
湯船に入る前に、体を洗う時にはセッケンを伴い、即席の「垢すり」となる。
そうやって、手ぬぐいはひたすら尽くしてくれるのである。
そしてこちらも、セッケンまみれになった手ぬぐいを洗ってやったり、お湯でヒタヒタになった手ぬぐいを絞ってやったり、甲斐甲斐しく世話をする事も要求される。
そうやって、お互いを助け合い、補い合い、尽くし尽くされるうちに、広大な風呂場において、知らず、手ぬぐいと自分との間に、何者にも崩し難い信頼関係が生まれているのである。

つまり、温泉は、手ぬぐいとの蜜月から始まると言って良い。


しかし、その信頼関係を試されることがある。
湯船に入る時である。
基本的に、温泉や公衆浴場には、
「手ぬぐいをお湯につけてはならぬ。」
という暗黙のルールがある。
(明記してある所もある)

全身で温泉に浸かろうと思うとき、手ぬぐいの所在が無くなるのだ。
今まで唯一無二、必要不可欠の絶対的存在であった手ぬぐいが、急激に「足手まとい」の感を帯びてくる。
健気で聡明なな手ぬぐいはその事に気付き、
「私の事はいいから、貴方は浸かって!」
と訴えかけてくる(気がする)。

しかし、今まで築き上げた信頼関係は、人に「頭の上に乗せる」と言う行動を取らせしめるのだ。
「大丈夫。離さねえかんな。」
というメッセージなのだ。
手ぬぐいは頭上から涙をしたたらせながら、
「・・!・・あんたも・・バカな男ね・・。」
と呟くのだった。

と言う事からつまり、「頭に手ぬぐいをのせる」という行為は、手ぬぐいと人との熱き抱擁であり、「これからもずっと、手を携えて行こう。」という覚悟の表れなのである。

温泉入浴中、人は大抵手ぬぐいと添い遂げる。
「手ぬぐいと性格の不一致から別離した」
という話はあまり聞いた事がないので、人と手ぬぐいの関係は、我々が思う以上に強固なのかも知れない。

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チョコレート・センス

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チョコレート・センスというものがあるのをご存知だろうか?

スーパーなどに数多と居並ぶチョコレートの中で、パッケージを見た瞬間に「これは美味い」「これは美味くない」と見分ける、言わば「嗅覚」のような感覚の事である。

日常において、チョコレート・センスの優劣が問われる機会と言うのはあまり無い。
その上、チョコレート・センスの優劣が、何かに対して影響を及ぼすかと言うと、決してそんな事も無いのだが、しかし、チョコレート・センスの欠落している人間というものは、確かに存在する。

チョコレート・センスの優劣は、言うまでも無い事だが、チョコレートを買う時に発露する。
もともとチョコレート好きの人は、当然それを選ぶ目も肥えているため、「自分のレギュラーチョコレート」を数種類持っているものだし、また、新製品を買うときも、何となく自分好みで美味しそうなものが分かるため、外す事が無い。
これが、チョコレート・センスを持つ者である。

では、チョコレート・センス欠落者はどうなのか。
チョコレート・センスが無い者は、日常においてチョコレートを食べない人に多い。
当然、自分で買う事も無いから、品物に対する知識も無い。
もともと食べないのだから、全然困らないし、チョコレート・センスなどハナから必要としていないのだ。

がしかし。
チョコレート・センスに欠ける人間は、知らない。
「自分が不味いチョコレートを選んでしまう嗅覚」を持っていることを。

チョコレート・センスの無い人間に、チョコレートを買ってきてくれるように頼むと、必ずと言っていいほど不味いチョコレートを買ってくる。
約9割の確率で買ってくる。
例えば、スーパーにあるチョコレートのうち、8割が美味くて、2割が不味いという場合でも(その店の店主サンは、チョコレートセンスの持ち主なのだ)、わざわざその2割の方のチョコレートを買って来てしまうのである。

何故なのだろうか?

それは恐らく、チョコレート・センスに欠ける人というのは、チョコレートを見下しているからだと思われる。
「チョコレートなんぞ、女子供の食うもんだ。」
と思っているフシがある。
その思いが、不味いチョコレートを知らずに選んでしまう原因である気がしてならない。

チョコレート好きから言わせると、
「お前は茶色くて甘ければ、それがヨウカンでもチョコレートだと思うんじゃないのか?」
と、思わず悪態を付きたくなるほど、見解の相違があるのだ。
 
 
 
私は、何を隠そうチョコレート好きである。
そして、なかなかのチョコレート・センスの持ち主であるという自負もある。
なので、誰かが外出する時に、ついでにチョコレートを頼む時、万一相手がチョコレート・センスの無い人でも大丈夫なように、こう言葉を添える。

「悪いんだけど、チョコレート買ってきて。この時期だと(『冬季限定』とかもあるからね。)、●●●●か、○○○○。もし無かったら、大きい袋で、一つずつ梱包されてて、あ、ビターはダメね。ミルキーな感じで。口融けが良くて、ピーナッツが入ってなくて、あ、でもアーモンドならいいよ。そんでね・・」

このあたりで
「自分で買って来い。」
と言われてしまう。
チョコレート・センスの無い人は、気が短くていけない。

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人には言えない愉しみ。

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人間誰しも、「人には言えない愉しみ」というものがあるはずだ。

あるでしょう?
無いとは言わせませんよ!
あるんです。
一見、公明正大で、清廉潔白で、才色兼備で、聖人君子なアナタにも、必ずあるのです。

もちろん、私にもある。
コーメーセーダイで、セーレンケッパクで、サイショクケンビで、セージンクンシじゃない私など、まさに「人には言えない愉しみ」の宝庫である。
デパートならぬ総合商社である。

まあ、自慢にはなりませんがね。
 
 
 
・・人間というものは、実に不思議な生き物である。
「やっちゃいけない、やらない方が良い」
と、分かりきっている事なのに、ついやってしまう。
やってしまってから傷付き、後悔し、反省する。
反省しながらも、また同じ事に出くわすと、ついついやってしまう。
とても、地球上でもかなり上位の脳みそを持つ動物とは到底思えないような行動を見せてしまうのである。
 
 
 
ある日の事。

私は、何気なく左の頬を撫で、そこに奇妙な違和感を感じた。
やや柔らかい頬の肉の一部分が、隆起し、指先に引っかかるほど硬くなっているのである。
「あ!まさか!」
私は、まるで産婦人科にでも行くかのような心持ちで、部屋に飛び込み、手鏡を取り出した。
「・・出来てる。」
そこには、私の体内の余分な脂分を吸収して作られた、紅く染まった皮膚の隆起に、白濁色に輝く頂点。
「吹き出物」
が、その姿を現していたのである。

そうかそうか。
そういえば、この頃ちょっとチョコレートを食べ過ぎてたっけ。
出来た原因までハッキリと思い出し、愛しさがいや増す。
思わず、
「でかした!」
と声を掛けてやりたくなるような衝動にさえ駆られてしまうのだった。

しみじみと、その新しい吹き出物を眺める。
昨日までは確か無かったはずの吹き出物。
と言う事は、昨晩、寝ている間に急激に作られたものだろうか。
急造にしては、色、ツヤ、大きさ、脂分のたまり具合ともに申し分ない傑作である。
指の先端で、壊さぬよう、破らぬようにサラサラと撫でてみる。
ピンと張り詰めた先端の薄皮は、内容の充実を雄弁に物語っている。
まさに、干渉した瞬間に出てしまうような危うさに、身震いすら覚えてしまう。

しばらく、鑑賞した後に、私はいよいよ「出産」の準備に取り掛かる。
ティッシュを一枚用意し、左の人差し指と中指で吹き出物を挟み込む。
軽く挟んでみると、先端の白濁はいよいよ照りを増し、誕生の瞬間を待ちわびているかのように見える。

しかしこの時。
私はいつも一瞬躊躇する。

私の中の天使がささやきかける。
待て待て。
そもそも、吹き出物とは、潰さないで引っ込むのを待つのが上策ではないのか。
潰す事で、痕が残るかも知れないし、そこから雑菌が侵入して化膿するということも十分に考えられるのだ。
そうだ。
潰さない方が良い事だらけだ。

しかし、反対で悪魔が冷静に諭す。
おいおい。
その吹き出物は、放っておくと消えてしまうのだぞ。
「吹き出物」というのは、天からの「引き出物」だぞ?
せっかく授かったものを、みすみす見逃してしまっていいのか?

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意味不明かつ支離滅裂な悪魔の説得に、何故か建設的な意見を見た私は、出産を決意した。
(大抵悪魔が勝つんだけどね。)

いきんでいきんで!

プチュッ。

ぎゃ~~~~~~~~~!!!!!

ホホに焼き箸を押し付けられたかのような激痛があったが、幸いにも安産であった。
さほどいきむ事も無く、玉のような白濁の脂のカタマリを産み落としたのだった。

自分のホホを傷めて生んだ脂のカタマリは、実に可愛いものである。
出産後のホホから流れる血をティッシュで押さえながら、私は指先にくっついた脂のカタマリをコネたり、伸ばしたりしながら母になった喜びを噛み締めていた。

そう。
鼻くそや、目くそ、耳くそなどよりも、吹き出物から出た脂のカタマリは、自分の体を傷めて生み出す分、同じ老廃物と言えども、次元の違う愛おしさがあるのだ。

吹き出物を潰すというのは、恐らくはしたなく、恥かしい事である。
誰かに潰してもらったりはあまり出来ない。
そしてまた潰して欲しくない。
「潰さない方がいい」と分かっていても潰してしまう、孤独な背徳の宴であり、尊い誕生の儀式でもあるのだから。
 
 
 
ただし、あれほど愛おしかった脂も、数分後に飽きて捨てられるのは、鼻くそ、目くそ、耳くそと同様である。

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「女性圏」で遭難す。

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日常の中で、「女性圏」というものが存在する。
男性が入れない事はないのだが、なんとなく入りづらく、入れば入ったで所在が見つけられず、疎外感を禁じ得ず、背徳的な行為に及んでいるような感覚に陥り、「なんか、許されない雰囲気」のする空間である。

日頃男性は、この「女性圏」に対して為す術なく、無関心を装いながら遠巻きに眺めるしか出来ずにいるのだ。
 
 
 
つい先日の事。
私は、ふとした事から「女性圏」に立ち入る機会に恵まれた。
それは、相方(彼女)とユニ●ロへ行った時のことだった。

店内はそれなりに人もいて、有線放送に買い物客のざわめきが溶け、少し暑めの空調に乗って、新品の洋服独特の匂いが漂っていた。

相方は、今年の冬に着るフリース類を見ながら、その他の品物もチェックするべく女性服売り場の中へと入ってゆく。
私は少し迷ったが、フラフラと相方の後をついていった。
そう。
相方のそばで「いかにも彼女の買い物に付き合ってます風」を装う事で、「女性圏」への通行手形と、滞在ビザを得たのである。

淡々と品物をチェックする相方と離れぬように注意しつつ、ニコニコしながらついて回る私。
未知の洞窟を踏破してゆくような興奮がそこにはあった。

たまに女性客の視線を感じた事もあったが、
「彼女の買い物に付き合ってます」
というお墨付きが、その視線をやわらげてくれた(気がする)。

私は、相方の影に隠れるように、「女性圏散策」を楽しんでいた。
その時だった。

ふと転じた視線の先に、「インナー(下着)コーナー」を見つけてしまったのだ。
女性の下着コーナーといえば、数ある「女性圏」の中でも、特に侵入の許されない「女性圏のなかの女性圏」。
たまに、デパートなどで何かの拍子に誤って迷い込んでしまうと、目のやり場に困り果て、ついにはうつむいたまま無条件降伏を強いられるという、言わば、「究極の女性圏」であった。

まるで、未知の洞窟をさまよい歩くうちに、深奥に行き着き、思わぬ宝玉を見つけ出したかのような感動がそこにあった。
私は、「女性圏探索」の一つの終着点を見たような感慨を受け、拱手しつつマネキンに着せられたショーツとブラのセットを眺めながら、やや涙目になり、
「そうかそうか、オレもとうとうここまで辿り着いたのだな・・。」
と、万感を噛み締めていた。

しかしその時、全身に刺さる視線を感じた。
しみじみとインナーコーナーを眺める私に、周囲の女性から凍てつくほどの冷たい視線が送られていたのである。

私は動じなかった。
はっはっは。
いや、ですから~。
私は彼女の買い物に、「仕方なく」付き合っているだけでして、ね?
それで、何気なく見ているだけなんですってば。
ほら、隣にいるでしょ?
ウチの相方・・

・・って、

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ついさっきまで、そこにいたはずの相方の姿はそこにはなく、感慨を噛み締めている間に私は一人取り残され、女性客の中でニヤニヤしながら下着のマネキンを眺める変態ちゃんになっていたのである。

今まで、「相方」の庇護のもと、「女性圏」の中で危うくも保障されていた私の安全地帯は消えうせ、「女性圏」の中枢部分で孤立し、疎外感と嫌悪感と羞恥心と困惑と不快の渦の真っ只中に立ち尽くしていたのだった。

(きゃ~~~~~~!!)
心の中で絹を裂くような悲鳴を上げ、私は小走りにその場を立ち去った。
赤面しながら小走りに「女性圏」の真っ只中を頼りなく、所在無くさまよい、やっとの事でフリースコーナーにいた相方を見つけ、すがりついたのだった。

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「女性圏」の冒険は、常に危険と隣り合わせだという事を思い知ったのは言うまでも無い。

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チラシに元気が無い

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近頃、家電屋さんのチラシに元気が感じられない。

という事に気付き、果たして家電屋さんに何があったものかと気になって夜も8時間ほどしか寝られない状況に陥っている。

少し前まで、家電屋さんのチラシと言えば原色バリバリ、品物ボコボコ、値段バンバン、煽り文句ズラズラで、かなり品性に欠けながらも新聞の折込チラシ群の中で際立っており、異彩を放っていた。
まったく買う気は無くとも、見ているだけでその勢いが感じられ、「頑張っとるな感」がミシミシと感じられたものだった。
「とにかく見ろ!そしてなんでもいいから買え!」
というあからさまなメッセージがそこにあった。

しかし、ここ数ヶ月の家電チラシを見るとどうだろう。
まったく一時期の元気が感じられない。
色彩こそ目に付きやすいものを使っているが、以前のようにやたらケバケバしい使い方ではないのだ。
目眩を覚えるほどのドギツイ色彩が好きだった私は残念でしかたがない。

レイアウトも、一気に大人しくなってしまった。
以前は、大小組み合わせ、所狭しと並べられていた品物が、今は横一線に整然と並べられ、所々に目玉商品と思しきものが、やや大きめに鎮座している。
前は、あまりに勢いを重視するあまりどこからどこまでがテレビで、どこからがヒゲソリなのかがイマイチ判然としなかった頃が懐かしい。

なんだか、
「若い頃はそりゃあ無理もしたけどよ。いつまでもガキじゃいられねえんだ・・。」
と言う、急に老け込んでしまったような印象さえ受けてしまうのだ。

そして、何と言っても価格である。
ちょっと前まで、殺伐という表現までしっくり来るほどの安価が店ごとにこれでもかと突き出されていたというのに、最近では
「他店より高い場合は、チラシを店員にご提示ください」
と書いてあったりする。
なんだか、
「まあ、あっちが安くするならこっちも安くすることにヤブサカでもないですけど~?」
と言う感じがしないでもない。
もしかしたら、価格など一切書かずに
「他店より高い場合は、チラシを店員にご提示ください」
一言だけでいいのではないだろうか・・?
というミもフタもないような意見さえ垣間見えてしまうのだ。

一体、家電屋さんのチラシに何が起こったのかは知らないが、あの頃の華やか極まりないチラシに、もう一度戻ってくれたら・・と願わずにはいられない。

・・まあ、別に戻ったからといってどうと言う事もないのだが。

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ヒゲと山賊

じゅじゅさんのダーリンさんは、ヒゲを伸ばすと山賊になるそうだ。
ちなみに、私は生来ヒゲが薄く、がんばって伸ばしても「カビが生えている」と言われる始末。

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というわけで、ダーリンさんの子分にして頂こう。
よーし、がんばって略奪の限りを尽くすぞう!

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ひいいい!!
すみませんでしたあああ!!
やっぱし真面目に働きます~!

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うろ覚え決戦

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そんな可愛い娘のいる喫茶店で、相方(彼女)と私はお茶を飲んでいた。

ショッピングモールの中にあるその店は、隣の洋服屋さんの有線放送と、カートを押して歩く人々のざわめきが不思議な居心地の良さを演出している。

二人がけ用の四角いテーブル。
私はホットミルクのカップを両手で包み、相方はホットのキャラメルラテを「甘い・・!」と言いつつ口に運んでいた。

話の流れはとめどなく、どういうわけか「アルプスの少女ハイジ」に至った。

「ハイジって言えばさー。こないだ『トリビア』で、ハイジのその後の話を描いた映画があるってやってたんだよ。」
と私が切り出す。

「ああ、見た見た。確か、ペーターが若い時のジャン・クロード・バンダムだったヤツやろー。」
という相方の返答に、私は違和感を覚えた。
ペーターは、ジャン・クロード・バンダムではなかったはずだ。
すぐさま脳内の「うろ覚え中枢」から必死に記憶をたぐり寄せ、おぼろげなモンタージュからもっとも近い人名を割り出した。
「え?違うよ。ペーターはトム・クルーズだったよ、確か。」
「えー?違うって。バンダムだよ。それか、スティーブン・セガール。」
相方も、どうやらうろ覚え中枢から記憶を繰り出しているらしい。
「いやいやいや、どっちも違うよ。そんなにゴツくなかったって。」
「いや、バンダムかセガールだよ。『ごんぶと』とか、『沈黙のナントカ』の人だよ。エエ体しとったもん。ムキーって。」
・・体かい。
「ちがうちがう。絶対ちがう。トム・クルーズだって。ほれ、『メジャーリーグ』でピッチャーの役やった人。」
「ん?『メジャーリーグ』って、トム・クルーズ出てたっけ?」

さんざんに問答したのだが、双方とも、決定打に欠ける。
相手の言ってる事は間違っている事は分かっているのだが、自分の答えにもあまり自信がない。
そのうちに、二人とも黙り込んでしまった。
どちらかが折れたり、「まあ、いいか。」という事になればいいのだが、表面上はそうなっても奥深い部分では両方とも納得しないのだ。
そのこともお互いよく知っている。

そのうちに、相方が口を開いた。
「確かさー、『トリビアの本』って、出てたよねえ。アレに載ってるんじゃない?」
おお、その手があったか。
我々はさっそく同じモール内にある書店へと足を向けた。

こういう探し物、検索能力は、相方は異様に高い。
あっという間に本を見つけ、パララララと探してゆく。
私はその能力にかなり欠けるので、大人しく隣で覗き込んでいた。

「あっ!」

相方が声をあげた。

「あった?トムだろ?やっぱ。」

「・・・チャーリー・シーン。」

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本屋で堂々と立ち読みしながら大騒ぎする大迷惑なバカップル。
真実は、見事に二人のうろ覚えの間をすり抜けていった。

「チャーリー・シーンな。そういや、チャーリー・シーンだよ!『メジャーリーグ』に出てた人。っつーことは、オレの方が正解に近かったな。」
「いやいや、顔の輪郭はバンダムとかセガールに近い。私の方が正解に近いね。」

お互いに優位を引っ張り合いながらも、結局は「引き分け」という事にあいなった。
我々は、胸のつかえが一気に解消し、実に爽やかな気持ちで書店を後にした。
(本当に迷惑な客ですみませんでした。)

「うろ覚え」というものは、大体にして正解でない事が多いのだが、特に今回の出来事で、
「うろ覚えはうろ覚えを呼び、より大きなうろ覚えに発展する。」
という教訓を得た事は言うまでも無い。

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猫娘。

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よく立ち寄る喫茶店の店員さんに、小柄でクリクリとした猫目の女の子がいる。
この娘が狭いカウンターの中でコロコロと働いて、可愛いんだ、コレが。
しかも、ポニーッスよ!
ゆうさん!はせさん!
どうスか!?

おっちゃん、遠くからニコニコして見ちゃう。
エエなあ~。
可愛いなあ~。
って。

ぐっじょぶ(ハート)。

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機械オンチ

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昨日の事。

取引先の陶器屋さんまで、陶器の配達に行った。
店内は、まだ午前中ということもありお客さんも爺ちゃん一人しかおらず、店主のオバサンと世間話をしながら納品書を書いていた。

すると、オバサンが思い出したようにこう言い出した。

「あ!お兄ちゃん!ちょっと悪いんだけど、FAXの紙が上手く出てこないのよ!ちょっと見てくれない?」

そう。
このオバサンは、滅法機械に弱い人なのである。
いつもは娘さんに替えてもらっているそうなのだが、今日はたまたま出かけていて、先ほど受信したデータがプリントアウト出来ずに困っていたのだった。

しかし、他人のウチの、しかも自宅で使っているメーカーと違うタイプのFAXである。
突然「見て」と言われても、どうしたものか困ってしまった。

一応、中の機構を覗いてみたが、案の定ウチのそれとはまったく違う。
「コレ、説明書はありますか?」
と一応聞いてみたのだが、
「ああ~、(どこにあるのか)わかんない。」
・・・ヤッパシ。

となると、大体機械の用紙ホルダーのところなどに、簡単な替え方を記したシールなどが貼ってある場合がある。
それが無ければ、そそくさと帰ろうと決意し、用紙を外してみた。

・・・あった。

しかも、用紙のセットが表と裏逆なだけだった。
 
 
  
「機械がニガテ」という人は、何故ニガテなのか?という理由を、ずっと前に何かの本で読んだことがあった。
例えば、ラジカセなどを使うときに、機械が普通に使える人は、
「大体、この辺にはこのスイッチがある。」
という、パターン認識があらかじめあるそうなのだ。
電源スイッチは、大体この辺だナ。
早送りの横には必ず巻戻しがあるナ。
プレイの反対位置には大体ストップがあるナ。
少し外れたところには、リピートやシャッフルがあって、クロックと書かれたスイッチは、長押しすると大体時計合わせモードになるナ。
時間合わせは、曲送りボタンで増減させるナ。
などなどなど・・。

そういったことが、どんどん蓄積されていき、それがイメージとして残って、初見の機械に対しても柔軟に対応できると言う。

しかし、「機械がニガテ」という人は、その「パターン蓄積」があまりされないらしい。
音楽を聴こうと、プレイボタンを探す時に、「プレイボタンのありそうな場所」のイメージが浮かばず、視線がさまよい、
「えー?なんかボタンがいっぱいあるよ。わかんないよ。ってゆーか、今何しようとしてたんだっけ?あー!もー、メンドクサイ!ヤメた!」
となってしまうらしいのだ。

 

とかく日常生活では不便を被り、周囲に手間をかけてしまうがために肩身の狭い「機械オンチ」さんではあるが、
逆に言うならば「機械オンチ」の人は、「機械に使われない人」なのかもしれない。
機械のペースに巻き込まれず、操作感覚の呪縛にも捕らわれず、常に自由な視点でありのままの機械をその目に写しているがために、少しばかりの遠回りを余儀なくされるのではないだろうか。

その証拠に、その機械を触った事も無い人間に、いきなり「紙を替えて!」というあたり、かなりリベラルな思考の香りがする


だから、「機械オンチ」の人は、これからの生活において、機械がらみで進退窮まり、周囲の人間にその解決を要請する時。

「私、機械ニガテだから・・。」
ではなく、
「私、機械には媚びないし、リベラルな視点で俯瞰しているから。」

と言い放って欲しい。
その発現を受けて、周囲の人間が協力してくれるかどうかは私の知るところではないが。

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どうしてそんな事をするのだろう。

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常識と言うものが人それぞれ違うのは当たり前だが、万人に「非常識」と認められる行動というものは必ずあり、それすらも「自分の常識」として公衆の面前で晒すというのは、やはり恥かしい事で、間違いであると思う。
 
 
 
昨日の事。
仲間内や、その知人達で集まって、庭でやや季節はずれのバーベキューをした。
子供たちを含め、約30人ほど集まった会場は、上等のお肉や、ヤキソバ、トン汁などが振舞われ、大いに盛り上がっていた。
私はU字溝に網を乗せ、肉を焼いたりそれを運んだり、世話役の方に回っていたのである。

そのうちに、いつの間にかお肉を焼いている場所の前で、2~3人がタバコを吸い始めた。
「料理しているところでタバコを吸うなんて、非常識な人たちだなあ・・。」
と、見ていると、その連中はさらに信じられない行動に出た。

なんと、今、まさにお肉を焼いている炭火の中に、タバコの灰を落とし始めたのである。
タバコの灰は、風に煽られ肉の上にパラパラ落ちているのに、それに気付かないかのようにトントンと灰を落としている。
そして、ある程度まで吸うと、短くなったタバコの吸殻を迷う事無く炭火の中に放り込んだのではないか。
それも、一人二人ではない。
その場にいた喫煙者が全員同じ行動をとったのだ。

私は呆気に取られた。
若いニイチャンならば、単なる「色んなものが足りないヤツ」と思えるが、その喫煙者は自分の孫も連れてきているようなオジサン、オバサンなのである。

料理をしている所でタバコを吸うという行為も非常識極まりないというのに、その上、猛毒性のあるタバコの吸殻を調理用の熱源に放り込むという行為に、何の疑問も感じないのか、そのタバコの灰がかかった肉を周囲の人方が、そして自分の孫が食べるという想像すら出来ないのかと愕然とした。

急いで灰皿を用意し、
「すんませんけど、タバコの灰はこっちにお願いします。肉に灰がかかってるんで!」
と、かなり分かりやすく苦言を呈したところ、
「ああ、ごめんなさいね。みんな食べるものだもんねえ。」
と、急いでタバコをもみ消してはいたが、そんなことは人に言われる前に気付くべきだろうと思わずにはいられなかった。

喫煙者が、全員ここまで非常識な人間だとは思わないが、喫煙者には自己中心的な人間が多いというのもまた事実だと思う。
まあ、自己中心的な性格でなければ、周囲に迷惑がかかると分かりきっているタバコをわざわざ吸おうなどとは考えないだろうが、昨日のことでますます私はタバコと喫煙者が嫌いになったし、そんな人と知り合いである自分も恥かしかった。

ああ、恥かしい・・。

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油断する者勝ち。

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まったくウチのネコ共ときたら「危機感」というものがすっかり抜け落ちていて、クルマが自分に向かって走ってこようと全然避ける気配すら見せないコマッタチャンばかり。

避けないどころか、むしろ
「ってゆーか、お前が避けて通れ。」
と言わんばかりの態度で寝そべっている。

そのたびに、
「オメー、踏んじまうぞ!」
と、ちょこっとずつクルマを動かして脅しをかけ、
「しょーがねーなー。」
と、もっそり動くネコを見送りながら、
「それは、野生のネコとしてどーなんだ!?」
と苦悶することになるのである。
 
 
 
ついこないだの事。
クルマで帰宅した私の行く先に、ネコがデップリと横たわっていた。
いつものように、クルマで距離を詰めたり、クラクションを鳴らしたりして避けるように促したのだが、一向に避ける気配すら見せない。
その様を見て、ついに腹に据えかね、ぼくはクルマを降りた。
ウチの家族なら、気を付けたり確認したりして事故を防ぐ事も出来る。
しかし、ウチに出入りするのは赤の他人もまた多い。
知らぬ間に下に入り、クルマに踏まれて死んだネコもたくさんいるのだ。
クルマが人間の都合というならその通りだが、一緒に暮らす以上はお互いに気をつけるところは気をつけなかればいけない。
「クルマは怖いもの、危ないもの」
という事を教えなければならない。

クルマを眺めながら寝そべるネコに近づき、
「この、アホチン!危ねえっつってっぺ!」
と怒鳴りつつ、
パシ!
真上から平手をお見舞いした。

ネコというものは、もともと俊敏な動物で、不意の衝撃などに襲われたとき、体が動ける状態なら、瞬く間に逃げ出すものなのであるが、なにしろウチのネコはそういった本能方面に疎く、しかも生まれてからこの方人間に叩かれた事が無いのである。

そこに持ってきて、生涯初の平手打ちを、油断しきった脳天に喰らったそのネコは、無意識裡に意外な行動をとってしまったのだった。

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真上に飛んだ。
マヌケな声とともに。

しかも、手のひら足のひらをパアッと開いての、ネコの動きとしてはありえない動作であった。
先ほどまで怒り心頭であったぼくも、思わず
「プッ」
と笑ってしまう程の奇態であった。

ネコは、しばし呆然としたのち、思い出したようにどこかしらへと逃げ出していった。
かわいそうなことをしたが(ちょっと面白かったが)、これに懲りてこれからはクルマが来たら避けてくれるだろう・・。
と、確信した。

・・のだが。

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なんにも分かっちゃいねえ・・。
やはり、こちらが気をつけるしかないのか・・。

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福の神に敗れた日。

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私は、どちらかというと混んでいる店というのがニガテな性質で、空いている店に好んで入る習性がある。

そのせいか、よく利用するお店は、程なくして廃業する事が多く、空いている店ばかり好み、混んでいる店には寄り付かないという行動パターンから、まさしく「貧乏神」の二つ名をほしいままにしていたのである。
 
 
しかし、そんな私の「貧乏神伝説」に、強大なライバルが現れた。
相方(彼女)である。

相方と、ご飯を食べにいくのは私の大きな楽しみの一つである。
お店を選択する時は、好き嫌いがあまり無く、なんでも「美味しい美味しい」と食べてくれる相方が(イイ女だろー?)、やや偏食のケがある私の意向に合わせてくれるため、自然と空いている店を選択する事が多い。

つい先日の事。
ランチタイムを少し過ぎた午後2時20分。
我々はとある食事処に入った。
店内は、男性一人、カップル二人のたった三人しかおらず、私的には非常に居心地のいい空きっぷりであった。
店員さんは、手持ち無沙汰がやや解消されたように、まばらな時間帯に訪れた我々の注文を丁寧に聞き取り、厨房へと伝えにゆく。

待つ間に、とりとめもない会話をしていると、ぼくはふとある違和感を感じたのだった。
その違和感は、相方とご飯を食べに行くたびに感じていたもので、原因が今までイマイチ分からなかったのだが、その日は特にハッキリとその異変が分かった。
その感覚の原因は、店内の活気にあった。
先ほどまでガラガラの、私好みのガラガラっぷりだったガラガラ店の入り口から次々にお客さんが入ってくる。
表を見ると、次々にクルマが駐車場に詰めかけ、モタモタ駐車する車の後ろで、さも舌打ちを禁じえないような様子で次のクルマが待っているような光景が広がっていた。
かくして、さっきまでガラガラだった店内は、いつの間にか満員に近い状態までなっていたのである。

明らかに、我々の入店直後に人の流れが変わっている。
考えてみれば、相方と食事などをする時。
必ずと言っていいほど始めはガラガラの店内だと言うのに、食べ終わって会計をする時にはかなり賑わった状態になっているのである。

ぼくは前述のとおり人気を避ける「貧乏神属性」の強い人間であるから、つまり、相方が人並み外れた「福の神属性」だという事になるのだ。
その「福の神度」は、ぼくごときの「貧乏神度」をはるかに上回るほどの威力であり、およそ人知を超えた能力なのかもしれないとさえ感じたのだった。

敗北を認めたぼくは、相方にその旨を伝えた。
「最近気付いたんだけど、サチが店に入ると、必ずどんどんお客さんが入ってくるよな。」
すると、相方は初めて見るような不敵な笑みを浮かべこう言った。

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分かっていたのか・・!
チクショー!

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服屋は恥かしい。

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服屋さんというのは、何故あんなにも気恥ずかしいのだろうか。

服屋さんというものは、入店時からして恥かしい。
服屋さんには、オシャレさんが多く存在するからである。
服屋の店内にいるお客さんは、その多くが颯爽としていて、自分の服装の方向性を明らかに打ち出している。
もともと、服装は地味で、簡素なものがよく、滅多に買わないので型も古く、着まわしつづけているのでところどころほつれているような服で、なおかつコーディネートというものなどまったく気にしない、言わば、ファッションの迷走者たる自分が店内を徘徊すると、どうしても浮いてしまう気がするのだ。

服屋の店員さんも、さすがに服を扱っているだけにオシャレなユニフォームである。
まあ、服屋さんの店員さんの服がカッチョ悪かったらちょっとそこの店で買う気にはなれんだろうから、当然といえば当然なのだが、店に入る時に、その店員さんの視線を集め、服装のチェックをされているような錯覚に陥ってしまうのである。
「あら、なんだか場違いな人が入ってきたわね。」
とか思われているような気がして仕方が無いのだ。
(多分、単なる自意識過剰でしょうが・・)

陳列されている衣服を物色する時も、すごく恥かしい。
「服を選ぶ」という行為は、自分の衣服の方向性を明らかにすると言う事であり、ひいては
「こういう方向に行きたいのです!」
という意思を、本意、不本意に関わらずレジのお姉さんに高らかに表明する事になるからだ。
まったくの赤の他人に、そういう自分の赤裸々な部分を見せて良いものだろうか・・と、いつも躊躇してしまうのである。


ズボンを買うときも、恥かしい。
気に入ったズボンの丈が、どうしても合わない時。
「裾あげ」をしてもらわなければならない。
「丈が合わない」というのは、「私は足が短いです。」と全面降伏しているような気がして、非常に悔しく、恥かしい。
その上、女性の店員さんが外で待っているのを知りつつ、そこで着替えるもの恥かしいし、どれくらい詰めるのかを計り、「マチバリ」で止める時も非常に恥かしい。
何故ならば、自分は立ったまま、お姉さんが目の前でかしずくからである。
なんだか申し訳ないような、居心地の悪い気分になって、しかしちょっとドキドキしてしまう。
何故か背徳的な香りを感じてしまう。
「コレくらいでよろしいですか?」
と、上目遣いに見上げられると、さらにドキドキしてしまう。
「ああ、もう、結構ですから・・。」
と言いたくなってしまう。

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そして、服屋さんのあの内容物に対して明らかに余分な大きさの、お店のロゴが大きく入った紙袋もニガテである。
オシャレな人が、その紙袋をもって颯爽と闊歩する様は傍目にもカッコイイと思うのだが、私のように明らかに颯爽としていない者が持っていると、明らかに袋だけが異界のものであり、取り合わせが間違っている事がクッキリと表れてしまうからだ。

服屋は恥かしい。
なんとも気恥ずかしい。
困ったものだ。

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さよなら携帯

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今日、携帯電話と別れた。

もともと、電波が届かないところに住むぼくと、電波の通じないところでは本領を発揮できない彼女(携帯)とでは、意思の疎通が円滑にゆくはずもなく、お互いに違和感を感じながらも週に数度、私が外に出た時にだけ逢うような関係であった。

ぼくは、彼女(携帯)の存在に疑問を抱き続け、彼女(携帯)もきっと、毎日の起床時間を知らせる事と、たまに計算機機能を使われるだけの、本来持つ優れた通信機能をあまり求められない暮らしに不安を募らせていったのだと思う。

そんな毎日が、少しずつぼくらの距離を、電波の通、不通よりもっと根本的な部分で離れ離れにしていったのだ。

しかし、心の距離は二度と立ち帰れない距離にありながらも、ぼくらの関係は続いた。
ぼくは、たまに彼女(携帯)の通信機能だけを利用したし、彼女(携帯)は、自ら別れを切り出すことも出来ずに、進む事も戻る事も出来ず、ただ求められるまま通信機能を許した。

砂を噛むような関係でも、ぼくらはほんの少しの部分でお互いを必要としあっていた。
その事実に一縷の望みを託したのだ。

 
そんなかすかな愛情の残光にすがるぼくらを嘲笑うかのように、運命はふたりを引き裂いた。
突然の事故が彼女(携帯)を襲い、二度とは帰れぬ場所へ連れ去ったのである。

呆然と立ち尽くしたぼくは、喪失感よりも、絶望感よりも、安堵感を抱いている自分に気付いた。
その時、はっきりと「ぼくに、人を愛する(携帯を持つ)資格など無い」という事を思い知らされたのだった。

今日、彼女が生まれた場所(ドコモショップ)へ行き、永遠の別れを告げた(解約した)
ぼくたちが、お互いを必要とした「少しだけ」さえ置き去りにして。
 
 

グッバイ携帯電話。
こんにちは公衆電話。

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