リモコン探訪
リモコンは非常に困る。
テレビのリモコンというものは、その存在感の希薄さからか、日常においてしょっちゅう遭難する。
必要になった時、大体4割くらいの確率で「どこだどこだ」と探す事になる。
見つからなければ、テレビの下のほうについているチマチマしたボタンで操作すればいいのだが、リモコンが無いという状況は、非常に居心地が悪い。
以後、何をしていても常に「リモコン不在」の意識が離れなくなる。
本来「テレビを見る」という目的だったものが、一瞬で「リモコンを探す」という使命に変わる。
リモコンを探すにしろ、まずテレビをつけてからゆっくり探せばいいはずなのだが、それは何となく悔しい。
敗北感に打ちひしがれる。
なんとしても、「リモコンのスイッチでつけなければ」と思い込んでしまう。
リモコンというのは、実に不心得な代物である。
しょっちゅう遭難するのに、遭難者としての心得がなっていない。
遭難した場合、一番正しい選択肢は「その場を動かない事」であるはずなのに、リモコンはあっちにフラフラ、こっちにフラフラと落ち着きなく、絶え間なく動く。
所在が常に定まらない。
住所が不定である。
(まあ、自分が色々なところで使うからなんだけどね。)
かといって、こちらからコンタクトを取る方法が無い。
常にリモコンからテレビへの一方通行である。
使用者に対しては、一切関知しませんので悪しからず・・という態度がありありと窺える。
捜索が難航してくると、だんだんと気が滅入ってきて、
「なんで、テレビを見るのにこんな苦労せにゃならんのだ。」とか、
「なんだか、俺の人生って、1/10くらい探し物だよな・・。」などと思えてきてしまい、最初は、恋焦がれていたリモコンに対して、今度は憎悪の念が沸きあがり、
「こんなにも求めているのに、何故応えてくれないんだ・・!」
と、逆恨みを始め、ストーカーチックな気分になってくる。
部屋中をひっくり返し、シェイクにシェイクを重ね、まるで局地的な台風が過ぎ去った後のごとき様相を呈し始めて、ついには心が折れ、捜索を断念するという事態に至るのである。
「もう、絶対テレビなんか見ねえ!」
と言い捨てて、ベッドに突っ伏した瞬間、何故か布団の間に包まったリモコンを発見するのだ。
先ほどまでの憎悪は消え失せ、再会の喜びと、目的成就の安堵と、発見場所への疑問がない交ぜとなり、脱力感に変化し、ほんの数秒前「もう見ない!」と決めたテレビをアッサリとつけ、チャンネルを一通りチェックして、
と納得し、すぐに消すのだ。
こうして事件は一応の決着を見るのである。
まったくもって、リモコンというものは困ったものである。
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コメント
グダグダじゃないっすか(笑)
私はリモコンに関しては猛省したので
今や見つからないことはまずないです。
リモコンだけは、ですけどね。
税金のアレとか免許更新のアレとかは
基本的に1度は見失います(泣)
投稿: ゆう | 2004/10/21 00:37
ええ、グダグダッスよ。
グダグダな時に書くと、内容もグダグダになって、後から読んでもグダグダになります。
失せ物、毎回困るのに、何故か改められないんですよねえ・・。
投稿: そんちょ | 2004/10/22 08:25