川はスバラシイ。
川はいい。
川というものは、恐らく一日いても飽きないのではないかと思われる。
川は、ただ見ていても楽しい。
まず、空気が清々としている。
そして、音は常にサラサラと心地よく耳をくすぐり、目の前を幾分早めの水の流れがところどころヒダを作っている。
石はひとつ残らず丸くて、歩くのに一苦労するが、ひとつひとつ個性があり、思わず顔を描いてやりたくなる。
(相方は「顔描いて、文鎮にしよう。」と、2~3個持ち帰っていた。スゴイ嬉しそう。)
水の流れはよく似ているが、よく観察すると微妙に個性がある。
とめどなく、微妙な緩急をつけて流れる様につい見とれてしまう。
川は、少しだけちょっかいを出しても面白い。
目の前に川があって、足元に石があると、人はそれを投げずにいられなくなる。
まず、座りながら2~3個水面に投げ入れる。
河原の石は良く弾む事に感心する。
着水した地点の飛沫が、ナナメに立つのが楽しい。
よく聞くと、石はそれぞれに水に入った時の音が違う。
「ボチョン」だったり、「タポン」だったり、「チャパ」だったり、「チョポン」だったりする。
自分の投げた石の音が予想を越えていい音だったりすると、たまらなく嬉しくなる。
音を楽しんでいるうち、何かの拍子に「ピッピ」と跳ねたのを見ると、
「ああ、そうだ。これをやらなきゃ。」
と立ち上がる。
何故かそこには義務感というか、やらずにはいられない感が生まれる。
そして、本来の自分の投球フォームに関係なく、全ての人がサイドスローになる。
投げているうちに、自分のイメージよりも水面を跳ねる回数が少ない事に不満を感じ、切磋琢磨を始める。
まず、石を探す。
平べったくて、軽めの石を探す。
指のかかりも重要な要素である。
そして、射角を検討する。
アンダースローの方がスムーズに跳ねるかも知れないと試すが、ある程度高さがある方が良いのではないかと思い直し、再びサイドスローに戻す。
「水面が乱れている所は上手く跳ねないナ。」
と、静かな流れのところを探す。
たまに、5回以上跳ねた石を見て、「よしよし、肩があったまってきたナ。」
と、ますます投石に力が入り始める。
試行錯誤を繰り返し、気付かぬ間に数十分間投げつづける。
何かにとり憑かれたかのように投げまくる。
やがて、肩にニブイ痛みを感じて、ようやく我に返り、大きい石に座り込み、呼吸を整える。
整えながらも、「より跳ねさせるにはどうしたらいいか・・」という事を考えている。
28にもなって、石の跳ねた回数がどうのなんて言っているのはどうかと思われるかもしれないが、どっこいそんな事は無い。
河原においては、人間の身分に貴賎は無く、ただ「石が何回跳ねるか」ということが人間の価値を決めるといっても過言ではない。
(過言かも知れない。)
私はそういった、比較的アクティブな楽しみ方をするが、相方は、石の着水音を楽しみ、石の形を楽しみ、川の流れを、ただゆったりと楽しんでいる。
川は、人それぞれ楽しめる所も、いい。
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コメント
顔を描いて…で思いついたのですが、そんちょさまのイラスト付きどんぶりがあったら絶対買いますっ。
(川とぜんぜん関係ないやんけっ)
投稿: じゅじゅ | 2004/10/19 22:22
確かに川は素晴らしいです。
流れを聞いているだけで心が休まるし、
空気も清らか!
流れに削られて丸くなった柔らかな石も大好き。
我が家には想い出の川の石がいくつかあります。
投稿: nemu | 2004/10/20 00:10
川ですかぁ…うちの近所にはロクな川がありませんで、
なんだかうらやましーです。
ノロケ(なんかもう何でもそれに見える…)
は相変わらずのようですが。
投稿: ゆう | 2004/10/20 01:29
>じゅじゅさん
ワタクシのイラスト入りドンブリは無いのですが、犬やネコを描いたコーヒーカップはあります。
しかし、今は品薄状態なので、今日の窯で必死に焼いているところなのです。
欲しいと言ってくださって、嬉しいです~。
>nemuさん
そうなんですよね。
相方は、「河原でボーっとしながらオニギリを食べるのが好き」と言ってました。
特に春先がいいそうです。
>ゆうさん
いやいや、これはノロケではなくてデスネ・・。
ややノロケ・・って、結局ノロケか~い!(変なテンション)
投稿: そんちょ | 2004/10/20 20:38