素敵な油断
携帯電話の普及で利用者も激減し、公衆電話はどんどん減少の一途を辿っていて、当然、電話ボックスなども、どんどん姿を消している。
ほんのひと昔、どこにでもあった電話ボックスは、急激に「懐かしいもの」、「珍しいもの」に姿を変えてきている。
よく通る道に、電話ボックスがある。
そこの電話ボックスは、いつでも誰かしら利用している。
住宅地のそばの、割と幅の広い道路。
坂道の途中という立地で、携帯電話はもちろん電波が届く。
しかし、多くの人が電話ボックスを利用して、電話をかけているのである。
考えてみると、電話ボックスというものは実に良いものである。
少し重い引き戸を開けて中に滑り込むと、途端に街の喧騒が遮断されて、目の前には会話するための機械がただ鎮座している。
「よし、電話をかけるぞ。」
という決意というか、覚悟というか、緊張感がいや増す。
電話帳の紙のニオイが箱の中に充満していて、少し重い受話器を取り上げ、アドレス帳から電話番号を確認し、または記憶の中から取り出して、硬貨を入れる。
呼び出し音が鳴り、相手が出た時には、「プーーーーー」という音がなり、相手の「ハイ、〇〇〇です。」というのが聞き取れなくて、ある程度、声色で予測する必要もある。
たまに、普通に話していたら実は間違い電話だったということもある。
公衆電話は、携帯電話に比べればはるかに手続きや間違いの多いものである。
しかし、その分、会話というものが重視され、濃縮されるような気がする。
携帯電話の便利さと同じくらい、公衆電話の不便さは、良いものなのかもしれない。
電話ボックスの中、シヤワセそうな油断顔を見せるあの人は、もしかしたら携帯電話を持っていて、それでもわざわざ電話ボックスを使っているのかもなあ・・。と思った。
電話ボックス、グッジョブ・・!
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コメント
ケータイを持ってなかったころ、
よく500円のカードを持って公衆電話に走りました。
使い切る直前
「もう切るよ、もう切る(/ブツッ)から」
みたいな感じで切れちゃって、
相手どう思っただろうとか、
かけ直すのもなんかなぁとか、、ありました....
投稿: すだれ | 2004/10/17 23:30
ものすごい感性、表現力、
ただただ、脱帽です。
花屋さんの話、これこそ、まさに
僕が何年も胸に抱きながら、表現できなかったこと。
とても、感動しました。
とにかく、グッジョブ。
これからも、楽しみにしています。
Peace ^^v
投稿: ジロー | 2004/10/17 23:40
>すだれさん
そうなんですよね。
かける時、切る時にドラマがあるんですよね。
カードがなくなる直前までかけてくれたってのは、相手の方も嬉しかったでしょうねえ・・。
グッジョブ!
>ジローさん
あわわわ・・。
そんな、いや、ありがとうございます。
大変恐縮です。
これからも読んで頂けるのは嬉しいです。
すみません。
すみません。
(なぜか謝る)
投稿: そんちょ | 2004/10/18 08:28
うちの小2の息子、帰るコールに10円玉を持たせていました。
「もしもし、あのね~今日先生がね~」
「まず名前をいいな!よし○なの?」
「あ!そう、よし○。俺、緊張して忘れちゃったよ!で、今日ね~」
「いいから、帰ったらゆっくり聞くから。今どこにいるの?」
「それなんだけど~、キョウスケ君と偶然会ってね~、なんでそこにいたのかわからないんだけどね~(何が?)乗せてくれないかっていってるんだけど、いい?」
「それはいいけど、どこにいるの?!(怒)」
「今ね~コ(ビー!ブツッ!!)」
「もしもし?もしもし?!!こら~~!肝心なことを言え~~~~!!」
・・こんなことが毎日なので、とうとうテレフォンカードを持たせました。
投稿: 編み助 | 2004/10/19 09:49