シオリについて。
シオリが好きだ。
シオリはいい。
シオリは、「キチッとしてる感」が滲み出ている。
読みかけの本の、読みかけのページをしっかりと守り、知らせてくれる。
「ハの字起き」や、
「異物挿入」
などの安易な手段ではなく、本の読みかけを守るために生まれ、ただ粛々とその天職をまっとうする様を見ていると、
「お疲れさん。頼むぞ・・!」
と、声の一つもかけ、肩の二つも叩いてやりたくなってしまう。
それほど勤勉で、寡黙。
愛らしいヤツなのである。
シオリというものは、その種類によって、付き合い方に若干の差異があるような気がする。
文庫などに付属している、厚紙を長方形に切り、そこに出版社の広告などが載っているシオリなどは、割かしぞんざいに扱われがちである。
何しろ糸の切れた凧のように、繋ぐものが何一つ無いがゆえにいつの間にか紛失という事も珍しくない。
紛失に紛失を重ね、いつしか部屋の掃除をした時に、あっちからもこっちからもシオリが出てきて困るという状況に陥ってしまう事も珍しくない。
(珍しいかもしれない。)
しかも、存在感に乏しいため、ある程度読み進めるまでその存在を失念していたなんてこともあるくらいである。
シオリが挟まっているのに、「ハの字置き」されているという異常事態まで招いてしまうのだ。
一方、立派な装丁の本に見られる、いわゆる「花ぎれ」あたりから伸びる紐状のシオリなどは、付き合うのに覚悟を要する。
何か、「読むからには最後まで責任を持ちます!」といった、「結婚前提のお付き合い」を強いられる雰囲気がある。
やはり、高級感が「良家感」を連想させるのかも知れない。
今、読んでいる本に、シオリが挟まっている様子を見ていると、その本と自分の絆がそこにあるのがよく分かる。
「ボクたち、交際しています!」
という雰囲気が醸し出される。
もし、本を読む時に、いかにも他の誰かが挟み込んだようなシオリがあった場合、読むのをためらう人も多いのではないだろうか。
「ああ、今、この本には交際中の誰かがいるのだな。」
と、遠慮してしまうのではないだろうか。
横恋慕した自分を恥じてしまうのではないだろうか。
まあ、中には「人が読みかけているからこそ読みたい!」と思ってしまう、魔性の持ち主の方もいるにはいるでしょうが・・。
シオリというのは、その位置により、自分と、その本との親密ささえも視覚で認識できる。
前半だったら、まだ知り合って間もない頃の初々しさと、少しの緊張があり、
中盤に来ると、だんだんと馴染んできて、お互いを尊重し、気の置けない雰囲気が嬉しくも楽しく、
後半には、やや倦怠感も伴い、近いうちに訪れるであろう別れの時を予感して切ない気分になる。
そういった意味では、シオリというものは、隔壁であり、段取りの確認であるような気がする。
自分にとって最高の本と出逢った時には、何度読んでも飽きず、どこから読んでも面白い。
シオリが必要なくなるというところもまた、いい。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
すごくよくわかります!
私の今のお気に入りは、キャンパス地でできた文庫サイズのブックカバーとお揃いの柄のキャンパス地のしおりです。
ブックカバーとお揃いのしおりは、本が変わってもずっと一緒です。その安心感が居心地よいです・・・。
投稿: fanshen | 2004/10/16 21:17
ですねえ。
いいシオリというのは、可愛いですよねえ。
本に挟むのがもったいなくなりますね。
(ならないって。)
投稿: そんちょ | 2004/10/17 09:29