スカート下のズボンは避妊具である。
最近では、街で女子高校生などが、制服のやたら短いスカートの下にジャージのズボンを穿いているという光景をよく目にする。
世間では、どうもこの「制服スカートの下にジャージ」というものは「みっともない」という評価を頂いているようだが、ぼくの意見は反対である。
「制服スカートの下にジャージはアリ。」
いや、むしろ
「制服スカートの下にジャージはグッジョブ。」
とさえ思っている。
何故ならば、ぼくは女性のスカートの下のズボンは、「避妊具」のようなものだと思っているからである。
そもそも、なぜ、スカートの下にズボンがみっともないのだろうか?
それは、「先入観」なのではないか?
「スカートの下は、脚線が出ていないといけない。」
という先入観。
決め付けである気がしてならない。
スカートというものの衣服の構造上、冬は寒く、たとえストッキングを穿いたところで、どうしても足腰が冷えるということはスカートを穿いた事が無く、ましてやスコットランドの出身(※注)でもないぼくでも想像に難くない。
しかし、永きにわたる「スカートの下は脚線」という先入観が、「冷やさない方がいい、寒い」と分かってはいながらも、世間の目に負け、超えられぬ壁として女性達の前に立ちふさがり、心胆ならぬ足腰を寒からし続けて来たのではないだろうか。
それらの障壁を、
「っつーか、さみーから穿くのー。」
という大儀(?)を無意識のうちに掲げ、軽々と超越してみせたのが彼女らだとしたらどうだろう。
合理的とも、開き直りとも取れるこの行動は、少なくとも「見た目が悪いから・・」という理由だけで寒さに耐えるしかなかったスカート像を、そして女性像をも覆し、「自分の体は自分で守る」という自衛の精神を高らかに謳っている気がしてならない。
しかし、単純に
「では、衣服本来の目的、体温調整、肉体の保護を念頭に置いて、ズボンにすれば良いではないか。スカートはいらんではないか。その辺どうなんだキミ。」
というお父さん。(誰?)
それは違う。
彼女らは、ズボンで体温を維持しながら、制服スカートの可愛さも捨てたくは無いのだ。
つまり、自らの女性としての魅力的な部分も、十分に自覚しているのだ。
男性の自分たちに対する期待感も計算に入っているのですよ。お父さん。(だから、誰?)
ぶっきらぼうに「両立」を図ってしまったがために、「ちぐはぐ感」は否めないにしろ、試みとしては悪くないと思う。
女性が、女性の特質を生かし、女性らしく生きてゆく事に何の問題があるだろう。
「私は女性として生き、女性なりの知恵で自分の身を守る。」
という主張が、あのファッションから読み取れる気がしてならない。
つまり、どんな状況でも、
「セックスはいいけど、避妊しないと絶対ダメ。」
と言える、流されない、媚びない賢さがそこにあり、もしかすると奇抜にも見えるあのファッションの影に、しなやかで、したたかな、想像以上に成熟した女性像を持っているのかもしれない。
と、考えたのである。
だからぼくは、「制服スカートの下にジャージ」を着る貴女方を支持したいと思います。
(別にぼくに支持されても何の足しにもならんだろうが・・。)
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