文化について、もっとも身近にその相違を感じるところがあるとしたら、それは間違いなく「食の文化」ではないだろうか。
相方(彼女)とは、よく食べ物についての話をするのだが、その度に驚かされる事が多い。
食べ物の好みからしても、相方は、ニンニクやニラや、辛い物など、刺激物好きであるのに対し、私は炭水化物、または大豆食品が好みの中心となっているのだ。
それだけでなく、今まで暮らしていた地域による食文化の違いも著しい。
何故ならば、相方は名古屋に長いこと住んでいて、食文化も、どちらかというと関西に近いからなのだ。
ある日のこと。
いつものように車に乗り、食べ物についての話になった。
「サチってさあ。お好み焼きとか、タコ焼きとかオカズにゴハン食べるの?」
「うん。食べるねえ。」
「うそお!マジで!?」
「えー?普通に食べるよ。」
「普通、タコヤキならタコヤキのみ、お好み焼きならお好み焼きだけだろー?炭水化物だぞ?チャーハンオカズにご飯食べるようなもんだぞ。」
「美味しいんだから、いいじゃないスか。」
「まあ~、そりゃあそうだけどねえ。」
お決まりの会話ではある。
私は、タコヤキもお好み焼きも、それそのものがオカズであり主食である。
それだけをもっしもっし食べる。
つまり、ナンバーワンよりもオンリーワンなのだ。
それはまだ良かった。
問題は次である。
納豆。
関西の食文化では、あまり納豆は食されないそうだ。
私は、北海道生まれの宮城育ちであるから、当然納豆は大好きであり、むしろ納豆が無いと一日は始まらないだろうと信じてさえいるほどである。
納豆については皆さんもそれぞれ「自己流の作り方、またはこだわり」があるのではないかと思う。
ちなみに、私は、次の調理法が一番美味しいと思っている。
鉢の中に、納豆のみを投入。
↓
レンゲにて、充分に糸(ナットウキナーゼとかそういうの)が出るまでひたすら練る。
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刻んだネギを投入。
(太ネギより、小ネギの方が好み)
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レンゲにて、充分に糸(ナットウキナーゼとかそういうの)が出るまでひたすら練る。
↓
生卵を一個投入。
↓
レンゲにて、充分に糸(ナットウキナーゼとかそういうの)が出るまでひたすら練る。
↓
醤油を入れながら良く練り、出来上がり。
納豆に生卵を入れることにより、完全食品にさえなってしまうという、まさに完全無欠の調理法なのである。
それはさておき。
もし、私の大好きな納豆が、関西のエッセンスのやや強い相方が
「っていうかー、こんなの食えないっつーか、ありえないみたいな。ゲロキモいー。」
と、やや死語を含めて言われてしまったらどうしようと危惧の念を覚えた。
たかが納豆とは言え、そのささいな隔たりが、我々の唇歯の交わりとも呼べる密度の濃い絆に、大きな亀裂を穿つことも十分考えられる事であり、焦燥の念は胸から溢れ、ついには恐る恐る祈るような気持ちで問うてみた。
「・・・サチさあ。納豆って食べられる?」
「うん。食べるねえ。」
おお!良かった。
「ウチの家族はみんなダメなんだけど、私だけ、昔、仙台にいた時に給食で食べて、普通に食べられるようになったよ。」
「へえ~。なるほどね。んで、納豆には何入れて食べるの?」
「う~ん・・カラシとかだねえ。」
「カラシって、よく付いてるけど、美味いの?アレ。」
「美味しいよ~。」
「ふーん。んで、それをゴハンにぶっかけて。」
「え?ゴハンにはかけないよ。」
なな、なにいい???
ゴハンにかけないですと????
このカルチャーギャップには参った。
まさか、この世に「納豆をゴハンにかけずに食べる人」がいようとは。
私も、まさに井の中の蛙。
世間には、まだまだ見知らぬ豪傑がひしめいているのですね。
と、感心せずにはいられなかった。
「ゴハンにかけないのか!!?普通、かけるだろ~??」
「かけないよ。食べづらくなるし。」
「ええ~!?あの、ゴハンと一緒にかき込むのがいいんじゃねえの!」
「う~ん・・。」
「こう、ズゾゾ~!ガフガフってさあ!」
「・・・」
「ズビズバー!って!!」
「だー!もう!分かったから!ゴハンにかけて食べればいいんでしょ!」
「・・・あのさ。・・・今までの熱弁はなんだったの?」
「ん?なんとなく。・・・ノリ?」
「もうエエわ・・。」
それ以来、しばらく相方は口を利いてくれませんでした。
このように、食文化ひとつ採ってみても、その関係に微妙に影響する危険性を秘めているという事であり、お互いの理解と、歩み寄りが、それを埋める唯一の手段なのではないかと考えさせられました。
・・はい。
カルチャーギャップが原因ではありませんね。
ちゃんと謝りましたから・・。