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究極の安堵の表現は・・

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非常に下品な話で申し訳ないのだが、
究極の油断というものがあるとすれば、それは「おなら」をしている時だと思うのだ。

なにしろ、普通に緊張していて当たり前の、むしろ緩んじゃいけない「括約筋」が、つい緩んでしまうほどの「油断っぷり」だからであり、果てしない人間関係のなかでも、「おならの音を聞かせてはならぬ」という間柄の割合が圧倒的に多いことからも、その「油断指数の高騰」はうかがい知れよう。

「ほっとする」

という表現がある。

忙しさや、危機が去って、安堵する様を現しているのだが、この表現は生ぬるい。


前述のとおり、人間、もっとも安堵し、安心し、油断している時には「おなら」が出るのだ。

であるから、
真に正しく、「安心しました」を表現したいと欲するのであれば、

「プッとする」

というのが正解である。

たとえば、

「銀行の融資が決まって、経営危機がひとまず回避され、『プッとしました』。」

「ヒロシ君、浮気してると疑ってたんだけど、友達だったんだって。『プッとしちゃった』。」

「まだ、奴らは襲ってくるだろう。『プッとする』のは早いぜ。」

「ああ、ポチョムキン、無事だったのね。『プッとした』・・・。」


どうですか。

『プッとする』をひとたび使ってしまえば、「ほっとする」という表現のなんと生ぬるいことか、賢明な諸君には瞭然であろう。


他人に対して、自分の心情を表現する時に、労を惜しむのは必ず良い結果を生まない。
吐息のみで安堵を伝えるのではなく、腸や、肛門をフル活用して、お節介なほど分かり易く、無意味に大仰に表現してもらいたいものである。

プッ。

あ、失礼。

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