山のばあちゃん日記18 ~タヌキのはなし~

五年くらい前の話。
季節は初冬でした。
我が家の庭のハンの木林を、
夜になるとタヌキの母子が通り抜けるのを、
窓から毎日見ていた。
ある時、子ダヌキの一匹だけ置き去りにされた。
その子ダヌキは、ハンの木林に置いてあった犬小屋に住み着いた。
犬小屋は、以前飼っていた犬が使っていたもので、
その主はもうおらず、空き家となっていたのだ。
「どうして置いていかれてしまったのかナー」
と思って、ずっと観察していると、
どうも様子がおかしい。
小屋からちょっとだけ出て、二~三歩歩くと、
すぐ小屋に戻ってしまう。
気になったので、そ~…っと近づいてみると、
その理由が分かった。
目が見えていないようなのだ。
あれから親ダヌキも子ダヌキもここには来ないし、
何も食べていないようだ。
キャットフードを近くに置いてみると、
そ~…っと食べて、またすぐ小屋に戻る。
何日かそんな繰り返しだったのだけど、
そのうちキャットフードも減らなくなり、
小屋の中にこもったまま、出てこなくなった。
思い切って近寄ってみた。
やはり、子ダヌキは小屋の中で死んでいた。
小屋から出して、毛布にくるもうとして、
初めてじっくり見ることが出来た。
子ダヌキは顔がクチャクチャで、
毛もまばらにしか生えていなかった。
急に寒くなったから、凍えたんだなぁ…と思った。
母ダヌキはここの小屋に入れて、
他の子ダヌキを連れて行ってしまったんだ。
毛布にくるんで、ぎゅっと抱きしめてから埋めた。

それから十日くらい過ぎて、
埋めた場所に行ってみて驚いた。
すっかり掘り返され、包んだ毛布がちぎれて散乱し、
子ダヌキは「なくなっていた」。
そうか、誰かに食べられたんだ。
誰かの命をつないだんだ。
初めてこみ上げるものがあった。
あれからいくつ同じように埋めたことか。
でもやっぱり同じ。
掘り返される…。
それでいいんだ。
それが自然なことなんだ。
と思えるようになった。
自分の死についても一日一回は考える。
”騒がない”と。
<明日も更新します>
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